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「あなたには自分のことをキリンだと思っているカピバラ役になってもらいます」
白衣を着た男は鼻をほじりながらそう言った。ちょうど僕の五メートル先くらいに椅子に座っている。
「さすがに無理ですよ」
僕はすかさず断る。キリンだと思っているカピバラをどう表現すれば見当もつかない。キリンだけならまだしも。
「それでもやってもらいます。さもなくば君の妹の命はないです」
「妹? 妹は今小学校に行ってるはずだ」
男は笑う。高らかに、音感のないソプラノ歌手のように。耳障りな笑い声は鉄筋コンクリートの部屋によく響いた。
「おい」と白衣の男は近くに立っているスキンヘッドでサングラスをかけているスーツ姿の男を呼ぶ。
スーツのサイズはスキンヘッドの男の体格には明らかに小さすぎるように見える。大きな動きをしたら張り裂けてしまいそうなほどきちきちとしている。そのせいか迫力のある見た目とは裏腹に動きはこじんまりとしており、自分のことをリスだと思っているゴリラみたいだと思った。
白衣の男はスキンヘッドから携帯電話を手渡されるとどこかへ電話をかけ始める。
僕はその一部始終をぼんやりと眺めていた。
すると突然頭に衝撃が走る。仰向けに床に倒れるといつの間にか傍にスキンヘッドの男が立っていた。手には黄色っぽい棒状のものが握られており、よく見るとそれは冷凍されたトウモロコシだった。
「それで僕を殴ったのか?」
スキンヘッドは返事をしない。ただじっと僕を見下ろすように見ている。服はどこも破れてはいなさそうだ。思ったよりも繊細な動きをするのかもしれない。
「そのサングラス似合ってないね」
ちょっかいをかけてみるも反応はない。もしかすると日本語が通じないのかもしれないと思ったが、先ほど男が日本語でスキンヘッドを呼んでいたの思い出す。反応がないのはただ単に無視されているのだろう。
後頭部に手をやるとたんこぶが出来ており、指に少し血が付着する。血を見た途端たんこぶのところがじんじんと痛み始めた。殴ったのは男の指示だろうか。チキショウ。だんだん腹が立ってきた。
男はまだ電話をかけている。
「おいまだか? 妹を人質に取ったってウソなんだろ」
「ちょうどいい」男は薄ら笑いを浮かべたまま僕の元まで来てしゃがみ込む。そして携帯電話をこちらに向けて「なにか喋ってみてください」と言った。
「アケミか?」僕は携帯電話に耳をつけて妹に話しかける。
「アケミって誰だよ。ハルカだよ。妹の名前間違ってんじゃねーよ」
なんだ、元気そうじゃないか。
「大丈夫みたいだな」
「や、そうでもないよ。今数学Ⅰの授業中なんだけどさ、突然教室の中に物騒な格好をしたスキンヘッドの男たちが入ってきて私にナイフを突き付けてきてる。生意気だと思わない?」
「おいおいおい」
それにしては随分と余裕があるように思えた。
声色も特にいつもと変わらず落ち着いている。
「まあ、私は大丈夫。お兄ちゃんはお兄ちゃんの心配だけしていればいいよ。じゃあね」
そう言って通話が切れる。
「ククク、あなたの妹かなり怯えていたんじゃないですか?脅すには少しやりすぎなくらいがちょうどいいですからね」
男は満足したのか、携帯電話を懐にしまった。
「どうですか? 少しは自分のことをキリンだと思っているカピバラ役になろうという気になりましたか?」
妹がもうちょっと切羽詰まっていれば僕は喜んで自分のことをキリンだと思っているカピバラ役をしていたかもしれないがさっきの様子だと問題はなさそうだ。
「いや、僕には無理です」
「じゃあ、自分のことをカンガルーだと思ってるイグアノドン役は?」
「イグアノドン?」
「はい。自分のことをカンガルーだと思ってるイグアノドン役です」
「いやいや、もっと無理ですよ」
さっきからいったいなんなんだ? なにを僕に要求してるんだこいつは。
「はあ」
男は立ち上がり元いた位置に戻った。スキンヘッドはいつの間にか部屋からいなくなっている。僕は倒れたままだったので、体を起こす。頭の痛みは引いていた。
「さっきさ、スキンヘッドの男に殴られたんだよね。あんたの指示?」
「ああ、彼ですか。そうですね、私が指示を出しました。私が電話を始めたらとりあえず殴ってくれって。本当は私のことを殴れって意味で言ったんですけど何を勘違いしたんですかね。あなたをお殴りになられました。そこについてはお詫び申し上げます。しかしどうでしたか、冷凍のトウモロコシに殴られた気分は」
「最高だね」
「左様でございましたか。それなら一発と言わずもう二、三発お見舞いすればよかったですね」
「次から頼むよ」
で、と男は手を叩く。
「そろそろその気になっていただけましたか」
「いやならないよ。一生ならない」
「これはどうですか。……おい」
男が呼びかけるとどこからともなくスキンヘッドの男が再び現れる。その手には冷凍のトウモロコシ、ではなくジュラルミンケースがあった。スキンヘッドは手際良くケースを開ける。そこには札束が大量に敷き詰められていた。
「三億円は入ってます。もししていただくのであればこの五倍をお出しします」
「無理なものは無理だ。頼むからもう帰らせてくれ」
「仕方ありません。こうなれば強硬手段です。あ、その前にお前」と男はスキンヘッドを呼びつける。
「お前、さっきあいつのことを殴ったらしいな。俺は俺を殴れと言ったんだ。お前はとんでもないことをやらかした。ケジメをつけろ」
男はそういうと冷凍のトウモロコシを取り出しスキンヘッドに渡した。スキンヘッドはそれを持って、白衣の男の頭に打ち付ける。男はバウンドするように体を震わせたあと地面に倒れ込んだ。
「僕はコントでも見せられているのか?」
「失礼いたしました。では、代わりに強硬手段を取ります」
スキンヘッドが指をぱちんと鳴らすと部屋にたくさんのスキンヘッドが流れ込んできた。僕は逃げる間も無くスキンヘッドの濁流に飲み込まれる。上か下かもわからなくなり、僕自身どうなっているのかもわからなくなった。そうしている間にも部屋の中はスキンヘッドで埋め尽くされる。やがて息も出来なくなり、僕は意識を失いつつある中で、そんなに動いたらスーツが破けちゃうよと思っていた。
「カァァット!」
そこで監督の大きな声がスタジオに響いた。
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