19人が本棚に入れています
本棚に追加
「ふ、ふふふふふふ……」
「わ、笑うな! これは見世物じゃないぞ!」
「だって、死に損なって、地面に八つ当たりしている姿がおかしくて……。かっこいい騎士さんが台無しです」
「おれはかっこよくないし、騎士でもない。……ただの敗走者だ」
きまりが悪い顔をした騎士は近づいてくると、地面に膝をついていたみくを助け起こしてくれる。
みくより少し年上だろうか。無精ひげが生え、小麦色の金の髪は汚れて乱れてはいるが、よく見ると年若く、面長の整った顔立ちをしていた。
「ありがとうございます。でも、死ぬなんてもったいないことをしないでください。生きていればいいことがあります」
「良いことか……帝国が敗戦した以上、良いことがあるとは思えないが」
「広く見ればそうかもしれません。でも、この島で細々と暮らす限りはあるかもしれませんよ」
「そうか……?」
「ええ。きっとそうです!」
みくは男に背を向けて、落ちていた簪を袖で拭くと、髪を一つにまとめた。
放り投げたままだった風呂敷包みを拾い上げていると、男に声を掛けられたのだった。
「君は、この島の娘か?」
「そうです。生まれも育ちも、この島です」
「その割には、帝国の血が混ざっているな。黒髪に紫色の瞳なんて、この島の出身には、そうそういないはずだ」
「そうですね……。亡くなった祖母が帝国からやってきた移民だったんです。わたしの目はその遺伝だと聞いています」
みくは菫の様な紫色の瞳を男に向けて、笑みを浮かべた。
すると、男は「おれとは逆だな」と、小さく呟いたのだった。
「おれの母は、この島から連れてこられたんだ。この島を訪れた騎士だったおれの父に、帝国に無理矢理連れて行かれて……おれを産んだ」
「お母様はいまも帝国に?」
「いや。ずっと前に死んだ。優しい母には帝国の空気が合わなかったんだ。おれは騎士だった父の跡を継いで騎士になった。帝国随一の騎士・カイトスに」
「カイトス様……って、聞いたことがあります。帝国の船に漁の邪魔をされていたこの島の船を救ったと」
「あれは救ったなんてものじゃない。帝国に交渉しただけだ。それにおれはもう騎士じゃない。ただの死に損ないだ」
「わたしの祖父は漁師だったんです。もう死にましたが……。私だけじゃありません。この島の多くの漁師が貴方のおかげで、漁が出来るようになりました。全て貴方のおかげです。貴方は島が誇る自慢の騎士です」
「おれは……」
「良ければ、村に来てください。きっと、村のみんなも……いいえ、島中がカイトス様を歓迎してくれます」
「おれは行けない。この洞窟の側に最後の部下だった者が眠っているんだ。彼を一人にしておけない」
「部下だった……?」
「死んだんだ。この島に来てすぐに。いまはそこで眠っている」
カイトスが指さした方を見ると、洞窟の側にはこんもりと盛り上がった土の山があった。
その上には、シロツメクサやタンポポ、どこかの木から折ってきたと思しき白梅、まだ咲ききっていない桜が供えられていたのだった。
みくはその山の前に膝をつくと、両手を合わせて、目を閉じた。
しばらくして顔を上げると、「これは……」と、腕をつかまれたのだった。
「血が出ている。服にも血が滲んで……」
言われるまで気づかなかったが、くすんだ橙色の袖には、薄っすら血が滲んでいた。
袖の上から腕に軽く触れると、肘にピリッと軽い痛みが走ったのだった。
「ああ。さっき、地面にぶつかった時に擦ったんですね。でも、大丈夫です。家に帰って消毒すれば……」
そう言いかけている間に、カイトスはみくの細腕を持ち上げると顔を近づけた。
そうして、肘に出来た傷口に舌を這わせたのだった。
最初のコメントを投稿しよう!