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ここ暫くは、何の騒動もない。
千翔星が変に絡まれることもなければケンカで呼び出されることもなく、先生に怒られることもない。
告白の呼び出しみたいなのはたまにあるみたいだけど、それは今に始まったことじゃないし。
朝起きたら彼が普通に俺の部屋にいることにも家族全員もうすっかり慣れきって、普通に食卓を囲むし普通に身支度をして、一緒に家を出て登校する。制服とか教科書とか、いつの間に持ち込んだんだか。まぁいいけど。
いつも寝起きみたいにぽやっとしてる彼はまるでペットみたいに可愛がられているが、ふとあのギラついた瞳を思い出してしまう。アレも、彼なんだよなぁ。
朝の食卓、ぼうっとパンを齧る千翔星を見つめていると目が合った。そうしたらふわりと花が咲くみたいに微笑まれて、そこから目が離せなくなる。
…学校でもそんな風に笑ったら、いいんじゃないだろうか。
いや、そうしたらファンが増えるな。あれ、でもファンが増えるのは良いことなのでは?ふむ、分からん。何かちょっともやっとしたのは、胸焼けだろうか。
外へ出ると無表情になっちゃった。家の中の方がリラックスしているんだろうか。猫みたいだなぁ。
そうしてまた今日も二人で登校し、靴箱を開ける。あ。
「あ」
「あ?」
思わず声を上げると、不思議そうに反芻して彼がこちらを見た。反射的に靴箱を閉じて、言葉を続ける。
「今日昼休み、先生に用事頼まれてたの忘れてた。先食ってて」
「…ふうん。手伝うよ?」
「いや、大丈夫。あ、昼休みちゃんと起きろよ」
「うん」
これはこれは…予想してなかったや。
自分の教室に着いてから、かさりと靴箱に入っていた紙切れをもう一度見つめる。これがラブレターだったなら…。
適当なプリントの端っこに綺麗とは言えない字で書かれていたのは紛れもなく俺の名前で、しかも念押しのように「一人で来い」だなんて書かれている。
あぁ、これがラブレターだったらなぁ。その可能性は限りなく低そう。何というか、もう魂胆が見え見えだ。だけど無視しても面倒そうだし…。
はあ。まさか俺が呼び出されるとは。
そうして昼休み。
別に素直に応じなくてもいいのでは、とぐるぐると自問自答しつつ、結局呼び出し場所の裏庭に来てしまった。あの人達この場所好きだな。
俺がその場に到着するとまだ誰も居なくて、数分くらい待っているとやっと思っていた通りの人達が姿を現した。遅い。
仮にも人を呼び出しておいて遅刻とは、マナーがなってない。小学生からやり直せ。
口には出さずに睨んでいると、集団のリーダーらしい人が俺の目の前に立った。リーゼントとかじゃないんだ。特に目立った特徴がない。黒髪で、何か目つきが悪いな、くらいの印象しかない。
こうして見ると俺はいつも飛び抜けた美しさを日常的に目にしてたんだなぁと実感する。比較対象がないと、どうも感覚が麻痺してしまうらしい。
やっぱあいつってすげー綺麗だったんだ。
「お前、自分が置かれてる状況分かってんの?」
「いやぁ、そんなに」
「はっ、さすがアイツのオトモダチだな」
カタカナ多いな…。というか思い出した、この人あれだ。
千翔星に恋人さんを横取りされたって喚いてた人だ。すごくどうでもいい。実際は、千翔星は何もしていなくて、この人の元恋人さんが勝手に彼に一目惚れしてしまったらしい。
それで振られて、千翔星のせいだっておかしな絡み方をするようになって…いや逆恨み甚だしいな?みみっちい…。あ、これ関西弁です。
「お前今オレのことディスッたろ」
「喋ってないすけど」
テレパシーかな。でも実際すごく鬱陶しくは思ってる。そんな俺の心情が態度から伝わったのだろうか。
一歩一歩、カタカナリーダーが迫ってくるもんだから俺は同じくらい後ずさって、遂に背中に壁が当たった。ほとんど使われていない校舎の壁で、一階の窓の向こうには当然ながら誰の気配もない。この前はあんなに野次馬でいっぱいだったのに。
もう逃げ場はないと言わんばかりに他の奴らもにじり寄って来る。煙幕とかあれば良かったんだが。持ってないですね。
「もう逃げ場はねぇぞ」
「言うんだ…」
「あ?」
「や、ナンデモナイデス」
ダメだ、俺の方がカタカナで話すようになってしまった。何て恐ろしい力なんだ…!
「マジでヨユーそうだな?実はお前も強いとか?」
「いや全然」
全く。そんななら今頃もう昼飯食ってます。
「まぁいいや。分かってると思うけど、お前アイツ呼び出すエサにすっから」
「はあ」
「お前を人質にしたらアイツどんなカオすっかな?楽しみだなぁ?」
「あの…。絶対、ぜっっったい、やめといた方がいいと思いますけど」
「は?お前なんかに意見する権利あると思うなよ?お前がコッチにいりゃあアイツもされるがままだぜ」
へへっといかにもな感じでリーダーっぽい人は笑った。知らん。俺はもう警告した。ホントに知らないからな。
ちらりと木陰を見ても、がさりともしやしない。クッソ、やっぱあてにならんか。
「諦めたか?そんじゃまぁ、とりあえず気絶しろやっ!」
やっぱ一発くらい殴られなきゃ動かないんだろうなぁと溜め息を抑えつつ、とんでくる拳に備えてギュッと目を瞑った。これは、多分すごい怒られる。
やだなぁ。
パシッと、小気味良い音がすぐそばで響く。でも俺の顔も身体も痛くも何ともなくて、恐る恐る目を開けると俺の背後から腕が伸びていた。え、こわ。
顔のすぐ横から伸びてきていたその腕が、がっしりと俺に殴りかかろうとしていた拳を握っている。というか、握り潰さん勢いでギリギリ力が込められているらしく、カタカナリーダーさんが呻いている。あわぁ。
振り向くのがちょっと怖い。多分、あのカオが…あの瞳があるんだろう。
拳を止めた左手はそのままに、右手が俺の身体を守るように抱き締めていたことに気づいた。やっぱり、長いなぁ。
「晶翔」
「…はい」
「嘘、吐いたね」
「………スミマセン」
「いいよ。あきとは悪くないし」
耳元で呟くと、彼が窓を乗り越えて俺の隣に立った。誰も居ないように見えた校舎の一階に、あの廊下に彼はいつから居たんだろう。
ストッと軽く着地した彼を横目で見上げるも、その表情は思っていたものとは違っていた。少しほっとする。あのギラついた瞳じゃない。
いつものようにぼうっとした顔ではないけれど、それでもあの誰も近寄れないような顔ではなかった。それだけでこんなにも安心してしまうなんて。
「でも後でお説教ね」
「あ、ハイ」
俺は悪くないって言ったのに…。
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