ろくでもない奴ら

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 俺の目の前に死体がある。  落ち着け、落ち着け……。  自己暗示でもかけて、自分を落ち着かせるしかなかった。目の前に死体が転がっている経験なんて当然俺にはないし、こういうのはテレビの中の話だと思っていた。  俺の目の前に広がっているこの光景は決してフィクションではなく、現実に起こりえていることなのだ。  尻もちをついていた俺は、ゆっくり立ち上がって残りの二人を呼びに行くことにした。  一階に下りると、Cが「あれ? A呼びに行ったんじゃないの?」と言った。 「てか、お前顔色悪くね?」とDが高らかに笑った。 「二階に来てくれ」  俺が表情を変えずにそう言うと、二人はただごとじゃないことを察したのか、顔を見合わせると、席を立って、後をついてきた。  心臓の鼓動が速くなる。当然だ。またあの悲惨な現場を見ることになるのだから。一歩一歩、階段を上るたびに冷や汗みたいなものが吹き出てきた。  二階には部屋が四つ。手前から、俺、A、C、Dの順の並びだ。誰も喋らないので、床が軋む音がやたら大きく聞こえる。  俺の部屋を通り過ぎ、開けっぱなしになったAの扉の前で俺は立ち止まった。二人に惨状を見せると── 「うわぁあぁああ」  Cが悲鳴を発しながら勢いよく、尻もちをついた。Dは「……なんだよ、これ」とCほど取り乱すことはなかったけれど、声は震えていた。  死体を見たことがないはずである二人の反応は正常なものだ。俺と同じで。  俺たちの目の前には、首から血を流したAの死体がベッドで横たわっている。彼の掌の上にはナイフがあり、自分で首を切ったように見えた。 「俺が呼びかけても返事がなかったから、中に入って確認したらこの有様だ……」  俺は軽く状況を説明する。部屋に入ったときにはすでにAは死んでいた。 「どうして自殺なんか……」項垂れながら、Cが言う。  そう。Aは自殺したのだ。俺たちの反応を見る限り、みんなAの死は予測できたものではなく、あまりにも唐突で、衝撃的なものだった。  Aはいつも笑っていて、俺たち四人グループの中心人物だった。大手企業に内定したことを聞かされたときは、さすがだと思った。そんな順風満帆な生活を送っていたAがどうして自殺したのか、それはここに残された俺も含めた全員の疑問だった。 「とりあえず、警察に連絡した方がいいよな……」  俺はCとDに訊いた。 「ああ」Dが言い、Cは小さく頷いた。  スマホを取り出して、少し離れて『110』を押して、警察に連絡を入れた。 「すぐ来るってさ」  俺たちはAの扉を閉めて、一階に降りることにした。  正方形のテーブルにそれぞれが座る。本当なら、全ての辺が埋まるはずなのに、一辺だけ空いていた。    雨がまた強く降り出したようだ。雷もひどい。三十分ほど前に一度止んだときは、もう大丈夫だと思っていたんだけどな。 「な、なあ。なんであいつ自殺なんかしたんだろうな……」  やっと口を開いたのは、Dだった。 「わかんないよ。僕たちが知らないところで悩んでることでもあったのかな」 「今となっちゃ、知りようもねぇな」  会話はすぐに途切れる。こんな状況なのだから、誰も普通の精神状態を保ち続けることなんてできない。  Aは自殺した。だが、それは本当に正しいのだろうか? 他殺という可能性も捨てきれないのではないだろうか?  彼らの狼狽る表情を見て、すぐにその可能性は捨てたけれど、俺たちは演劇サークルで知り合った仲間なのだ。演技から離れているとは言え、死んでいることが予めわかっている状況であれば、ああいった演技も不可能ではないんじゃないか?  勝手に自殺と決めつけていたけれど、もしこの中に殺人鬼がいるとしたら、自分の身は自分で守らないといけない。友達を疑いたくはないけれど、あくまでそういう可能性もあるという話だ。外部からの侵入者の犯行ということもある。そういった可能性が少しでもあるのならば、用心するに越したことはない。  みんなの不安を煽ることになるとわかっていながらも、注意喚起を建前に言うことにした。 「なぁ、本当に自殺だったのかな?」 「B、どういうことだよ」  訝しげな目をして、Dは言う。 「いや、自殺したように見えたけど、あれくらいの状況って誰にでも作れるんじゃないかと思って」 「お前、友達を疑ってんのかよ」Dは興奮して、立ち上がった。 「違う。そういうことが言いたいんじゃない。外部犯の可能性も否定できない。俺たちは警察でも探偵でもない。当然、自殺だって断定することもできない。それなら、別の可能性も残されているわけだから、用心深くなっておいた方がいいって話」 「Bの言う通りかもね……僕だって友達を疑いたくないし、他殺だとは思わないけど。可能性はゼロじゃないもんね」 「くそっ!」  Dは乱暴に座った。 「他殺だとしたら、Cが怪しいけどな」  全員に睨みを利かせながら、刺々しい声でDは言う。  「ど、どうして、僕なんだよ!」  普段大人しいCがこんなにも荒々しい声を出すときは、演技以外で見たことがなかった。  刺激した張本人であるDも少し驚いている様子だった。 「お前、Aから結構な額、借金してたんだろ」 「え?」    俺の口から素っ頓狂な声が出た。  Cは視線が泳いでいて、ひどく動揺している様子だった。 「違うか?」    そんなCに追い討ちをかけるように、Dは言った。  Cは何かを言おうと口を開くが、パクパクさせるだけで、声としては何も出てこなかった。 「そうだったのか……?」 「……うん」  Cは小さく、弱々しく頷いた。 「俺からも借りてんだから、次は俺が殺されんのか? もしかして、Bからも借りてんじゃないのか?」 「……ごめん。だけど、僕はAを殺しちゃいない! 絶対に殺してなんかない!」  涙目になりながら、必死に訴えかける。    Dの想像通り、俺からもCは借金していた。それもかなりの額。きっとDからも俺と同じくらい借りているんだろう。   「どうだか。なぁ、こいつの話信じるか?」 「ちょっと難しいよね」  2対1となった状況で、Cの顔色はどんどん青くなる。全身の血液を抜かれてしまったんじゃないかと思うくらいだ。  疑いの目がCに向けられたところで、Dは勢いよく立ち上がった。 「──殺人鬼と同じ部屋でいれるかよ」  そう言って、二階に上がっていった。きっと自分の部屋に戻るのだろう。  Cは「僕はやってない、僕はやってない」とぶつぶつ呟いていた。 「ごめんな。俺もさっきは話を合わせるためにああ言ったけど、Cがやったとは思ってないよ」  俺はCを落ち着かせるように、優しく、寄り添うような声で話しかけた。 「……そうなの?」  俺の言葉に少しだけ表情が明るくなった。 「さすがに証拠が何もないからね。Dはああいう性格だから、暴れられでもしたら、困るだろ? 殴られてもおかしくない。だから、あんなことを言ったんだよ。それに俺は自殺の可能性が一番高いと思ってるから。友達を疑いたくない」 「……ありがとう」  今まで我慢していた涙が、堰を切ったように流れていた。不安に押しつぶされそうになっていたのだろう。 「それにしても、Aはどうして自分で首を切ったんだろうな」 「わかんない……ねぇ、警察ってまだ来ないの?」 「この雨だし、時間がかかるんじゃないか? さっきから雷もひどいからな」  ピークは過ぎ去っていたけれど、まだまだ雨脚は強かった。 「うん……」  Cは不安そうにスマホを見た。 「もう三十分以上経ってる」  時間を確認したCは、急に目を見開き、こちらを見た。 「──ねぇ、Bのスマホを見せて」 「いいけど」  俺はスマホのロック画面をCに見せる。 「B」  Cの目には強い懐疑心を持っているように見えて、俺が犯人であることを確信しきっているようだった。 「どうして、俺なんだよ」 「だって、ここだよ?」  俺はスマホを確認する。  電波は一つも立っておらず、圏外だった。 「それで俺を犯人に仕立て上げるのは、早計じゃないか? 俺が電話したときは、まだ通信障害が起きていなかったかもしれないじゃないか」 「じゃあ、通話履歴を見せてよ」 「──ほら」  スマホを手渡し、俺はスッと立ち上がった。 「な──」  Cの言葉を聞く前に、彼の首をロープで絞めた。強く、強く、絞め付けた。言葉が喉を通過して、声にならないように、俺の精一杯の力で。  抵抗しなくなったので、ロープを緩めると、彼の身体は椅子から転げ落ちた。 「こいつ、意外と鋭いんだな」  Cも死んだ。残るは、Dだけだ。  眠らせていたAと違い、力も強いDは気をつけないとな。  俺はDの部屋に行き、三回ノックをする。警察がやって来たことを告げると、疑うことなくのこのこと出てきやがった。  階段を下りるDの背中を思い切り蹴る。声を発する余裕もなかったのか、勢いよく床に叩きつけられる音だけが耳に届いた。俺が一階まで降りると、まだ生きているのか、声にならない汚らしい息遣いが聞こえる。  呼吸は少しずつ、小さくなり、やがて消えた。Dも死んだ。   「んー!」  任務を終えた俺は、伸びをした。  俺は三人を殺すために、別荘に招いた。彼らを殺すためだけに、こんな山の中の別荘を購入したのだ。  演劇をかじっていたおかげで、すんなり役になりきることができた。ただの第一発見者の気持ちを宿すことなんて容易だった。  誰も俺の名演技に疑う様子はなかった。 「くくっ」ついつい、笑みが溢れてしまう。俺は自分自身に言い聞かせた。自分は第一発見者であるが、決して殺人犯なんかではないと。  あいつら三人はクズだ。最初に殺したAは俺が大学時代に付き合っていた彼女を寝取った、クズ。世間とは狭いもので、俺の耳にちゃんと届いた。Aはバレていないと思っていただろうけど、数年前からずっとわかっていた。わかっていながら友人のフリをし続けるのは、反吐が出るほど苦痛だった。  Cは俺に金を借りるだけじゃ飽き足らず、俺の家に置いてあった母親の形見を盗んだ、クズ。あいつが家に来た次の日に見るとなくなっていたから、間違いない。  Dは暴力しか頭がない、クズ。頭に来ることがあったら、すぐに手を出す。関わりを絶とうとしたら、俺自身の身も危ないことくらい容易にわかった。Dが悪ふざけで俺を突き飛ばした際に、小指が折れたことがあった。悪びれる様子なんてなかった。  俺のシナリオでは、疑心暗鬼にさせて一人ずつ殺していこうと思ったのだが、Cにバレるとは思っていなくて、計画が狂ってしまった。あんなところでCを殺してしまったら、Dにすぐにバレる。Dの恐怖心をもっと煽ってから殺したかったが、仕方がない。全員殺せたし、満足だ。 「ふははははっ──え?」  なんだか身体の力が抜ける。気付いたら、俺はあいつらのように床で横たわっていた。  待て。どういうことだ? なんだか背中が熱い。 「──ナイフ?」  俺の背中に刺さっているものが何かわかった瞬間に、激しい痛みが襲う。 「あぁあぁああ!」  呼吸が荒くなる。痛い。痛いよ。 「はぁ……お前だったんだな。クズが!」  視線だけ声のする方へやると、Dが憎悪に満ちた目で俺を見ていた。 「ど、どうして生きてるんだよ」 「死んだフリくらい余裕だろ。俺からすれば、お前も十分怪しい。だから、まんまと誘い出されたフリをして出て行ってやった。用心深くなってたおかげで、咄嗟に頭だけは守ることができた。骨は数本折れてるだろうけどな」  そんなの聞いていない! 聞いていないぞ! 俺のシナリオにそんな筋書きはなかった! 「ナ……ナイフは──」 「お前なら見覚えがあるだろ。Aに刺さってたやつを護身用として隠し持っといた」  は、ははは。まんまといっぱい食わされたわけか。 「一つだけ訊かせてくれ。俺が飼ってた犬に怪我させたのもお前なんじゃないのか……?」  犬? あぁ、そんなこともあったな。ずっと吠えてて、うるさかったんだよな。 「それがどうした……」 「くっ──」  意識が遠のいていくのがわかる。  もう目を開けてられる気力もない。Dのものであろう足音が近づいてくるのを感じる。  俺に刺さっているナイフが抜かれる。 「じゃあな。クズがっ!」  そこで意識が完全になくなった。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!