故郷

1/2
前へ
/2ページ
次へ
 ここは山陰地方の小さな城下町。古くからの街並みが残る、小京都のような所だ。その古くからの街並みを目当てに観光客が訪れる。  そこを1台のベンツが走っている。ナンバープレートには『東京』と書かれている。その中には2人の男性が乗っている。大熊孝之(おおくまたかゆき)と村林武志(むらばやしたけし)だ。武志は昔からここに住んでいる。孝之はこの街の出身だが、今は東京に住んでいる。  孝之は売れっ子作家で、ペンネームは神山夢志亜(こうやまめしあ)だ。そんな男は、故郷を捨てた過去があった。そして、大熊孝之という名前を捨てて生きてきた。  母の1周忌を終えて、孝之は明日、東京に帰る。父は数年前に亡くなり、もうこの街に帰る必要はない。これからずっと東京で暮らすだろう。 「久しぶりだね」 「ああ」  何十年ぶりに城下町の通りを走っている。懐かしい。あの頃と変わっていない。だが、孝之は笑みを浮かべない。故郷にいるのが楽しくないようだ。 「懐かしいな」 「うん」  武志は孝之と過ごした少年時代を思い浮かべた。辛い事が多いけれど、その中にいい思い出もある。だけど、目を覆いたくなるほど辛い日々ばかりだ。  やがて、通りを左折して、狭い路地に入った。人通りが少ない一方通行の道だ。 「この道、何度通ったんだろう」  2人がよく通った道だ。武志は懐かしそうに見ている。だが、孝之の顔は浮かれない。それほど辛い日々だったんだろう。  しばらく走ると、古びた家がある。その家は空き家になっていて、入口には『売家』の札がある。そこが孝之の家だ。母が死んでから間もなくして、孝之が家を売った。だが、まだ売れていないようだ。 「ここが家だったんだよな」 「もう跡形もないけど」  2人は家の前にやって来た。ドアを開けると、2人は家を見上げる。孝之はここに住んでいた頃を思い出した。思い出したくないのに。  それは中学校の頃だった。孝之はいじめられっ子で、多くの同級生にいじめられていた。孝之は運動神経がほとんどなく、それが理由でいじめられていた。何度先生に言っても、彼らは反省せずにまたいじめる。そして、先生に話したら集団で殴る。それがきっかけで、孝之は先生に言う勇気を失ってしまった。  帰り道、孝之は自分の鞄を取られ、追いかけた。だが、足の遅い孝之は追いつけない。ばててしまうしまう。なかなか奪い返せない。その様子をみんな笑って見ている。孝之はその度に辛くなった。みんな自分がいじめられるのを面白そうだと見ているに違いない。いじめようとしているに違いない。 「返せ! 返せ!」 「ほれ!」  同級生はその後ろにいた別の同級生に鞄を投げた。今度は孝之はその同級生を追いかけた。だが、追いつかない。 「ほれ!」  同級生は壁の前でまた別の同級生に鞄を投げた。怒りが浸透した孝之はその勢いで同級生に体当たりした。同級生は後頭部を強く打ち、その場にうずくまる。 「痛てっ!」  それを見て、同級生は駆け寄る。同級生はなかなか動かない。そのすきに孝之は鞄を取り返した。孝之は避けるようにそのまま帰っていった。 「大丈夫?」  と、後ろから同級生がやって来た。武志だ。孝之の唯一無二の友人で、孝之をかわいそうだと思っている。だが、先生に言うたびに殴られているのを見て、武志も言う勇気がなくなってしまった。本当は止めたい気持ちでいっぱいなのに。 「うん」  孝之は涙ながらに武志に抱きついた。武志は孝之を抱きしめた。どんなに辛くても、僕が守ってみせる。孝之は大切な友達なんだから。  高校3年の3月、孝之は別の街に旅立つ事にした。大学に進学するためだ。だが孝之は、ある目標を抱いての理由だった。  中学校の頃から小説を書いていた孝之は、神山夢志亜のペンネームで密かに活動していた。高校生に入る頃になると、神山夢志亜の名は世間で話題になり、天才少年として話題になった。そして、大学を経てプロデビューする目標を立てていた。  孝之と武志は最寄り駅の前にいた。駅には多くの人が行き交っているが、その中には故郷を離れる日ともいる。孝之もその中の1人だ。 「本当に行っちゃうの?」 「うん」  孝之の決意は固い。自分の過去を捨てるためにこの街を離れるんだ。帰省でしかここに帰りたくない。もうここは、僕のいる場所じゃない。 「俺は、過去を捨てたいんだよ」 「そうか」  武志はその考えに賛同していた。辛いけど、孝之が決めた事だ。孝之なら、必ず栄光をつかむ事ができるだろう。だって、孝之には小説家としての才能がある。 「両親には内緒だけど、もう故郷には住みたくないんだよ」 「そうなんだ」  孝之は下を向いた。だが、下を向いてはならない。もう故郷には住まないのだ。これから自分は大海原へと突き進んでいく。その果てに必ず栄光を見る。 「絶対に小説家になれると信じてるよ! だって孝ちゃん、才能があるもん!」 「ありがとう」  孝之は改札に入り、手を振った。すると、武志も手を振った。そして、孝之は大学のある別の街に向かった。武志はその姿を頼もしそうに見ていた。もし小説家になれば、この街の偉人に慣れる。いじめの事なんか、忘れる事ができるだろう。  大学も終わりに近づいた頃、孝之は上機嫌になっていた。有名な文学賞を受賞した事で、大学卒業後にプロデビューが決まった。いよいよこれから明るい未来が待っている。  その時、電話が鳴った。武志だろうか? 孝之は電話を取った。 「孝之、小説家になるってのは本当なのか?」  父だ。小説家になろうと思っているのを知ってしまうとは。秘密にしていたのに、どうしてだろう。まさか、近所の人から聞いたんだろうか? 「うん」  孝之は震えながら答えた。本当は知ってほしくなかったのに。秘密を守る事は、やはりできなかったんだろうか? 「こんなので稼げると思ってんのか? もっとまともな仕事をしなさい!」  両親はもっとまともな仕事をしてほしいと願っている。親としても恥ずかしい仕事に就いてほしくなかった。 「それでも、みんなが待っているんだ! 俺は売れっ子作家なんだ!」  孝之は大声で訴えた。自分は売れっ子小説家だ。多くの人が僕の作品を待っているんだ。彼らのために、頑張らなければならない。 「やめなさい! もしそんな事なら、実家に帰すからね!」  父は強い口調だ。そんな夢を持つようなら、地元に返して、そこで就職活動させる。そして、まともな仕事をしてもらう。 「やだ!」  それでも孝之は考えを変えようとしない。みんなが待っている。俺は売れっ子小説家なんだ。 「お父さんやお母さんの言う事を聞きなさい!」 「やだ!」  すると、父が机を叩く音がした。父はかなり怒っているようだ。孝之は少し怯えたが、すぐに持ち直した。 「もういい! 嫌でも連れ戻す!」  少し考えた後、立ち直って孝之は予定を立てた。もちろん、両親には内緒だ。 「わ、わかった。あさって、来てね」  父の電話が切れた。だが、孝之の語ったのは嘘だ。明日、こっそりと東京に引っ越そう。東京には親しい文芸仲間がいる。そこの家に密かに居候しながら執筆しよう。  すぐに、孝之は別の人に電話をかけた。文芸仲間の星七(せな)だ。東京に住んでいる3歳年上の文芸仲間で、秘かに交際している。そして、大学を卒業したら、一緒に東京に住もうと思っている。 「どうしたの?」 「お父さんが実家に連れ戻すって言うんだよ。俺、帰りたくないのに。みんな待ってくれてんのに」  孝之は悩んでいる。孝之には夢があるのに、待っている人がいるのに。帰りたくないのに強制的に帰らせるなんて、絶対に許せない。 「わかるよ」  そして、深呼吸をして、孝之は本当の事を言った。これからの人生の事だ。 「こっそり東京に引っ越そうかなって思ってる」 「本当なの?」  星七は驚いた。まさか、夜逃げしようとするんだろうか? もしそうなら、ここで住んでもいいと話している。 「うん。もう故郷に帰りたくないんだ」  孝之の決意は固い。辛い思い出があるんだ。もう故郷に戻りたくない。戻ってもまたいじめられるだけだ。辛い日々はもうこりごりだ。 「なら、私も協力するわ」  星七もその思いに賛同だ。みんなが待っているのに、家庭の事情で小説家を諦めろなんて絶対に許さない。 「ありがとう」  孝之は計画を立てた。明日のお昼までに支度をして、夜行バスに乗って東京に行こう。そして、星七と同居しながら執筆をするんだ。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加