偽造された『人間史』

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 21✕✕年。  他人の記憶が気軽にレンタルできるようになって久しい。―――元々は、桁違いの金持ちが娯楽として私用に取り入れていたものだったが、いつからか犯罪者の刑罰の中に被害者の記憶を擬似体験すると言うものが取り込まれ―――やっと、一般人もレンタルできるようになった。まぁ、先にも言ったように、それでも殺人犯の記憶は高額だし本来は一般には出回らない。被害者の記憶なんか、普通はレンタルショップに置いていない。  他人の記憶を覗いた後は、本来の自分と混同する危険があり、基本的にはレンタルと言いながらも持ち帰り厳禁だ。そもそも、一般人が持ち帰ったところで、それを観る為の環境がない。  ある金持ちが自殺者の心理を理解したいとかで記憶を覗き、見終わった後に現実世界と混同して本当に自殺してしまってからは、金持ちへの規制も厳しくなった。基本的に、家で一人の時に記憶を観るのは御法度だ。―――別に、捕まりはしないが。注意喚起されている事の一つだ。  誰かの『記憶』を擬似体験できるのは人間だけだが、他にも、例えば―――猫の目線、鳥の目線など、プログラムされたものを擬似体験する事も出来る。  良いように言えば、俺達人間は、その記憶の上で何にでもなれる機会を与えられているということだ。お金さえ払えば。 ……考えようによっては、俺達はいつか、―――数奇な運命を辿った時なんかは、否応無しに自分の記憶が唯一無二のモノでは無くなってしまう可能性を秘めている。  他殺なんてのは特に、他人に無遠慮に踏み込まれ、憎いはずの犯罪者に共有されてしまう。 (………まあ、俺には関係無い話だけど)    烏帽子くんが言ったように、特に有名企業でも無い中小企業の中間管理職。部下からそれぞれ口々に不満が吐かれるのを聞き、上司から指示された無理難題を何とか達成する為に心を砕いたり、それでも叱責されたり、秋の空よりも高頻度で変わるご機嫌を取ってみたり――――が、俺の仕事である。  特に可もない人生。  否、結婚し二人の子供にも恵まれた。マイホームも買った。……特に、不可があるわけでもない平凡な人生だ。俺の記憶がレンタルされる未来なんて無いだろう。  通された個室ブースで、ポツンと佇んでいる大きな椅子に腰掛けた。何処かマッサージマシーンを連想するような椅子だ。  暗室で、それなのに追い討ちをかけるようにヘルメットを被せられるのには今も慣れなくて、心臓が不安にドキドキと脈打つ。 「心拍上がってますね」 「ああ。やっぱ、こう無防備になると……慣れなくて」  椅子に座ると手足にベルトが巻かれる。決して違和感の無い強さではあるが、視界も体の自由も拘束された世界になるのは、命を持つ生物として、不安になるものではないだろうか?  記憶のレンタルというのは金さえあれば気軽に出来るが、やはり整った環境が必要で―――心拍を図るというのもルールとして決められていることの一つらしい。これが異常な興奮を叩き出せば、レンタルショップの店員は強制的に記憶のレンタルを中止し、速やかに客の安全を計らなければならないのだとか。 「リラックスして下さいね。そろそろ再生を開始しますよ」 「ぎゃあああああぁーっ!」  烏帽子くんの優しい声音に被せるように、隣のブースから前崎さんの悲鳴が聞こえた。犯罪者側の記憶なのに、そんな風に叫ぶ場面があるのだろうか? 前崎さんの喉のことも心配である。   「………前崎さん、心拍大丈夫なの?」 「ええ。意外と」  見えていないはずなのに、烏帽子くんが腕に着けた簡易モニターから前崎さんの心拍を確認してえくぼを浮かべた光景が見えたような気がした。  白髪に、いつも品のある服装をして背筋を真っ直ぐに伸ばしている前崎さんの出で立ちを思い出し、それからその好奇心の強さに少しだけ同情した。 「深呼吸をして下さい。なるべく、リラックスして」   それが合図である。  既に視界は真っ暗だったが、更に俺は目を閉じた。次第に、眠るような感覚が起こってくる。   身を委ねる。 ******
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