偽造された『人間史』

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 突然目が覚めたような感覚に、ハッと目を開けた。  目を開けると眩しく、目を細め、混乱する。 「深呼吸して下さい、名護さん」 「……なご……」 「ええ。わかります? 貴方のお名前です」 「……………あ、ああ…、そうだった」   この不思議な感覚にも、今も慣れることはない。  けれどだからこそというか―――この時の、少しずつ『自分』を取り戻す感覚は、一種の“癖”になっているようで、まるで麻薬のように―――依存してしまっている節が俺にはあった。  レンタルする記憶の種類なんて本当は何でもよくて、この時の感覚こそが得たいものであり、ストレス発散に繋がっているのだ。 「深呼吸をして下さい」 「ここは記憶レンタルショップです」 「貴方は先程、世界チャンピオンに選ばれたダンサーの記憶を観ていました」 「EIZIは貴方ではありません」 「貴方は名護[[rb:信弥>しんや]]さんです」 「私はショップ店員の烏帽子と言います。覚えてますか?」  一方的に、烏帽子くんが続ける。  ゆっくりとした口調で、俺が『名護信弥』を取り戻す手助けをする。 「………いつも思うんだけど、烏帽子くんの一人称は『僕』だから、この時の台詞ってマニュアルがあるの?」 「やぁ。おかえりなさい、名護さん」  ゆっくりと烏帽子くんに焦点を合わせると、烏帽子くんは八重歯を覗かせて笑った。  レンタルが終了した時に暗闇だと更なる混乱を招くとかで、レンタル終了時間が近付くとヘルメットを外すのが決まりらしいが、基本的に、相手との会話が正しく成立してから手足の拘束を解くらしい。  烏帽子くんは手首に付けている簡易モニターを操作し、俺の拘束を解除した。 「少し前に前崎さんがお帰りでしたが、前崎さんはなかなか苦労しました」 「………まえざき、」 「白髪の。事業家の前崎さんですよ。とんでもなく長身で、」 「ああ、常連の。そうだ、前崎さん」   まだ自分の記憶に曖昧なところがあった。  俺は名護信弥。中小企業の中間管理職。マイホームには妻が居て、子供が二人で二人とも女の子。今日は金曜日で、スカッとする記憶が観たくて記憶レンタルショップに来た。―――深呼吸しながら、頭の中で再び『自分』を確認する。 「前崎さん、大丈夫だった?」  完璧ではないだろうけど、それでも防音性の高い個室ブースに入った状態であれだけの悲鳴が聞こえたのだ。喉を潰していないかも心配なら、その精神もいささか不安なところがある。  うーん、と烏帽子くんは珍しく困った顔をして首を傾げた。 「まあ。大丈夫でしょうけどね。だいぶキテましたね」  その時の困難を思い出しての顔だったのだろう。過ぎた話だと言う風に、烏帽子くんは直ぐにいつもの調子で笑った。 「先払いなのは、なかなか直ぐに本当の記憶が合点しない人も居るからなんですよ。合点してもとても支払える状態じゃない人も居ますからね」 「………そんな人、帰していいの?」 「マニュアルには、『三十分ほど様子を見る』って書いてるんで、三十分ほどは居て貰いますよ」  「……」  悪気の無い顔で笑う烏帽子くんに、勿論、他意はないのだろう。しかしこの世には『臨機応変』と言う言葉があって、………いや、まぁいいか。  よくこんな難しい商品を扱っているのに一人でやっていけているなとも思ったし、何故県内で唯一、警察に信頼されているのだろうかなとも思ったけど、口にはしなかった。  記憶レンタルショップは各県に一店舗しかなく、扱っている商品の性質から警察とも密な繋がりがあるのだと言う。―――改めて聞いたわけではないが、世に言われていることであり、信憑性が高い。 「………帰るよ」 「はーい! またのご来店をお待ちしております!」  好青年はえくぼを浮かべて笑いながら、趣味の悪いドクロがプリントされたエプロンを揺らして、お見送りをした。
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