二君に仕う

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 直柾は刀を手にし、忍び足で廊下を渡った。  屋敷の中は寝静まっている。  罠である可能性を考えつつ、恐る恐る足を進めたが、とうとう誰にも会わぬまま秋國の部屋へ辿り着いた。  息を殺して、戸を開く。  その時も、何も起きなかった。  暗闇の中に見えた遠野秋國は、両目を閉じて寝息を立てていた。罠はどこにもない。  彼は秋國に近寄った。  剣の柄に手を置き秋國を見下ろす。  そのとき不意に、彼の中で蓋をしていた何かが、突然逆巻いた。  確かに彼は本柳の臣である。それゆえにここへ来た。しかし彼は遠野にも、誠心誠意、仕えたつもりだった。  彼が欺いてきたのは、誰だったのだろうか。  二君に仕えようとした彼は、結局誰にも仕えていなかったのかもしれない。無惨に裂けた残骸、己は一体何者だろうか。  彼がひゅっと息を吸った瞬間、秋國の目が開いた。  秋國は刺客の影を見止めるなり、枕元に置かれていた刀に手を伸ばした。  反射のように直柾の体が、金縛りから解けた。  鞘から刀を抜き放った。 「なん、」  発されかけた秋國の声は途切れ、起き上がりかけていた体は血を吹きながら倒れた。  直柾は、闇の中でその様を見送る。  眩暈のように回る脳裏に、夜ごと思い返した妻の言葉が響く。  所領を奪われ難題を課されて敵地へ送り込まれた彼は、本柳に捨て駒として使われたのではないか。それが真実であるかどうか、彼には永遠にわからない。  確かなのは、彼は主君を斬ってしまったということである。  彼は床に膝を突くと、血に濡れている刃を自らの腹に突き立てた。  既に主君の命は果たした。ならばあとは、裏切りを償い、主君のあとを追うのみ。  さあ、もう演じる必要はない。 <終>
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