二君に仕う

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 直柾(すぐまさ)は朴訥な武士だった。  ある秋の夜、直柾は主君に呼ばれて登城した。  彼は譜代の臣だったが、夜に呼びつけられたのは初めてである。何の要件だろうかと訝りつつ向かうと、主君は人払いし、二人きりになるなり言った。 「遠野(えんや)秋國(あきくに)を暗殺してほしい。おまえの忠義を見込んでのことだ」  直柾が仕える本柳(もとやなぎ)家は窮地にあった。  近年、本柳家の勢力は薄弱となっていた。隣接する強国にやむなく臣従し、主家となった強国の戦に度々駆り出され、兵も物資も枯渇している。本柳を見限り強国へ鞍替えする家も出始めた。一方で北隣の小国である遠野とは戦が絶えず、次に遠野と干戈を交えれば、本柳は敗れ滅びると誰もが思っている。  戦が無理ならば謀殺しかない。  とはいえ、直柾は戸惑った。彼は戦場で敵と相対して怯んだことはない。それに対し暗殺は、彼の性分に全く合わない。  言葉を失った彼の返答を待たず、主君は言葉を継いだ。 「おまえは演技をして本柳を裏切り、遠野へ(はし)るのだ。近々儂は、貢納のことでおまえを理不尽に叱り、知行地を取り上げる。おまえはそれに怒ったふりをして、遠野へ出奔するのだ。そして遠野秋國の信用を得て懐に入り込み、奴を殺せ」  ますます、直柾は困惑した。彼は自分の妻相手にすら、芝居などしたことがない。しかし代々忠勤に励み、今も本柳に身命を捧げている直柾に、主命を拒否する選択肢はない。 「承知仕りました」  彼は頷いた。
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