12. 逮捕

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12. 逮捕

 考えがまとまらないまま、学校でのんべんだらりと授業を受け、ソルフェージュで新曲視唱を当てられてもロクに歌えずに先生に罵倒されて、食堂で水を入れたコップをひっくり返しておばちゃんに罵倒されて、人間失格のような気分のまま最寄駅から電車に乗った。  いつもなら笹塚から歩くが、今日は小田急線で代々木上原に降り立ち、ふらふらと大山町のお屋敷街を歩いて霧生家の豪邸を目指した。新宿で一応菓子折りを用意した。それも何を選んで良いかわからず、何を選んでも光樹さんの手作りには及ばないと、どうしようもない気分のまま紙袋をぶら下げていた。  インターホンを押すかどうか迷っていると、この前の時のようにガーデニングをしていた光樹さんが、グローブを外しながら駆け寄ってきた。 「京太郎! 」  と叫ぶなり、光樹さんは俺をギュッと抱きしめた。 「大丈夫? こんなクマ作って、可哀想に。どうせ思いつめて寝ていないんでしょ。丁度久紀がいるから、一緒に夕飯食べていきなよ」 「あの……和貴のこと、本当に申し訳ありませんでした」  俺は光樹さんから離れて、深々と頭を下げた。本当は、大切な弟をあんな目に合わせた元凶である俺を、ぶん殴りたい筈だ。 「君が悪いんじゃない、兄さんもそう言った筈だよね」 「でも……」 「ほら、栄養足りてないから、そんなロクでもないこと考えるの。早く上がんなさい。ねぇ、久紀、久紀ってば」  チャキチャキとそう言うなり、光樹さんは庭の奥に向けて大声を出した。すると、リビングのガラス戸を開けて、久紀さんが顔を出した。 「ウルっセェな、また裏の家に怒られんぞ……あ、京太郎じゃん。何してる、上がれよ、ほら」 「遠慮してんのよ、この子。連行して」  連行って……。すると、庭からつっかけサンダルを履いた久紀さんが、のしのしと歩み寄ってきた。普段着のジーンズにTシャツ姿だと、とても若く見える。こんなフランクなタイプだったかと、意外な姿に驚いた。 「京太郎は結構気遣いしぃだよな」 「お姉さんのお仕込みが良いのよ。ねぇ、さっき焼いたアップルパイ出してあげて。私まだ、バラの手入れ終わってないからさ」 「バラねぇ……お前が手入れするとトゲだらけになりそうだな」 「何それ、アタシが棘だらけのバラとでも言うつもり」 「それじゃバラに申し訳無ぇや」 「久紀! 」  光樹さんとの夫婦漫才を繰り広げる久紀さんには、まるで屈託がない。警察官が服を着たような仏頂面も、眉間に皺を寄せて考えを巡らせているような難しい顔も、まるで見受けられない。本当に心からリラックスしているのが、砕けた口調からもよくわかる。  俺と姉貴に、こんな丁々発止を繰り広げた記憶なんてあったかな……。 「ちょっと二人とも何やってんの」  夫婦漫才の前で項垂れていると、玄関の荘厳なドアを開けて和貴が飛び出してきた。 「ごめんね、京太郎。入って入って」 「あ、うん……お邪魔します」  玄関に入ってドアを閉めようと外を見ると、光樹さんと久紀さんは例のごとく腰に手を回し、今にもキスをしそうに微笑み合っている。新婚かっ。 「ごめんね、あの二人、たまに休暇が合うとバカみたいにベタベタして」  容認してるんだな、当たり前の事として。何気に和貴は凄いなと思う。 「和貴、怖い目に合わせて、本当に申し訳ない」  リビングに通された俺は、和貴が席に落ち着くの待って頭を下げた。 「夏輝兄ちゃんから聞いてるよ。君が悪いんじゃないって、ウチの兄弟皆んながそう言ったと思うけど」 「うん……でも」 「あの時、倉庫みたいな所に閉じ込められて、まずいなぁと思っていたら、組の人が助けてくれて。事務所に連れてってくれたら丁度、組長の息子さんが、学校の合唱伴奏頼まれたとかで練習しててさ、同じ所を間違うから聞いてられなくて、ちょっとアドバイスしたら感激されて、すっかりレッスンになっちゃったの。夏輝兄ちゃんが鬼の形相でドア蹴り破って単身で乗り込んできた時、僕、レッスンのお礼にケーキご馳走になる所だったんだよ。だから、全然怖くなかったし、君のせいだなんて全然思ってない」 「え……」  ふつう、ヤクザの息子にアドバイスとかするか?  こういう奴はいざという時誰よりも大胆だったりする。 「僕のことなんかいいんだよ、それより京太郎、君のことだ」 「俺」 「お姉さんの事。2年もかかったことが一度に動き始めて、困惑してない? 」 和貴は俺をキッチンカウンターに座らせ、紅茶を淹れてくれ、アップルバイを出してくれた。光樹さんの手作りだ。 「まぁ食べてよ。光樹兄ちゃんのアップルパイは最高だから」  何しろケータリングを商売にしているくらいだから、そりゃあ……と口に入れて、俺は仰け反った。 「ね、美味いでしょ」  美味いなんて次元じゃない!! プロだ、プロの仕事だ! 「お、おまえ、こんな美味いものを毎日……」 「光樹兄ちゃんの信条は、健全な心身は健全な食事から、だから。僕にちゃんとしたものを食べさせるために、大学も行かずに、家事一切を引き受けて僕を育ててくれたんだ。でも、僕のせいじゃないって言うけどね、本人は。僕は兄ちゃん達が僕にしてくれた事一つ一つ、忘れない。いつか返せたらって思ってる。でも京太郎はさ、こうやって自立して、お店守って、お姉さんにちゃんと恩返ししてると思う」 「和貴……」  そんなんじゃねぇよ、と言うつもりが、どうしても言葉にならなかった。胸からグッと込み上げてきて、唇を噛み締めて堪えるのが精一杯だった。  和貴の方もそんな俺を見て感極まったように目を潤ませた、と、その時、カウンターに置かれていた和貴のスマホが鳴った。 「はい……あ、夏輝兄ちゃん……テレビ、テレビつければいいの? ちょっと待ってね」  電話の向こうの夏輝さんにテレビをつけるように言われたのか、和貴は慌ててリモコンを探して、壁面を埋め尽くすバカでかいテレビをつけた。 「これって……」  緊急ニュースと題して映し出されていたのは、警察署に連行されていくヤクザ風の男の姿だった。 「……わかった。支度して待ってる」  画面の中では、歯が欠けまくってる茶髪の男が、悪びれもせずに辺りを睥睨(へいげい)し、婦人警官に背中を押されるようにして建物の中へ入っていく姿が繰り返し流されていた。  『成田組の元組員・斎藤洋二を逮捕』  そんなテロップがいつまでもしつこく画面にへばりついていた。 「……容疑についてですが、2年前に発生した新宿での着物展示即売会における詐欺容疑、また、10年前の新宿での暴走車死亡事故への関与も疑われています。その上、つい先日音大生を拐かした件についても関与が疑われており、取り調べと並行して裏付け捜査に人員が割かれるだろうとの関係者の見解です……」  記憶にある新宿東署の前で、マイクを持ったレポーターの女の人が、メモを見ながら声を張り上げていた。 「また、詐欺事件の後、新宿のスナック経営の女性が失踪している件につきましても、何らかの関与が疑われています」  テレビに食いついているうちに、和貴の電話は切れていた。 「兄ちゃん達を呼んでくる」  スマホを放り投げ、和貴は玄関へと駆けていった。  その時、いきなりリビングの窓ガラスが割れて、大きな石が投げ込まれてきた。な、何だ何だ! 狼狽えているところへ、明らかに風体の良くない連中が数人、家の中めがけてデッカい銃を構えていた。 「俺……俺? 」  いくら新宿育ちでも、あんなハリウッド映画のような大きな銃なんか見たことはない。銃なんて、そもそも見るものじゃない! 「うわっ!」  俺は首根っこを掴まれてカウンターの中へと放り込まれた。 「ここから出るな! 」  光樹さんの声が頭の上から聞こえてきたかと思いきや、庭先で男達のぎゃーと言う悲鳴が響く。そっと顔を上げてカウンターの天板から庭の方を見ると、久紀さんが素手で男二人を続けざまに投げ飛ばしているところだった。うち一人はそのまま後ろ手に拘束して手錠をかけられたものの、もう一人はガラスの割れた窓から飛び込んできた。すかさず、光樹さんが持っていた木刀で渾身の一撃を見舞い、床に転がしてしまった。 「京太郎! 」  背後から和貴が匍匐前進(ほふくぜんしん)で近寄ってきた。 「和貴、無事か」 「京太郎こそ、大丈夫? 」 「ああ…… 」  和貴は腰をさすりながら立ち上がり、年寄りのストレッチのように声を上げながら腰を反らした。 「ウチはねぇ、こんな事あるかもしれないとは思っていたんだけど……」  普通ないだろ、無いから。  恐る恐るキッチン越しに頭を出してリビングを見ると、光樹さんが転がる男を手際よく縛り上げていたところであった。 「まさか、縄師もやってる、なんて」 「うん、やってるよ」  背後から、さも当然という風に返答され、俺はもう言葉を返すのをやめた。  間も無く夏輝さんが黒塗りの覆面パトカーで駆けつけ、和貴の名を呼びながら土足で上がり込むなり和貴を見つけて、力一杯抱きしめた。 「良かった、無事で……」 「大丈夫だよ。その為に久紀兄ちゃんを休ませたんでしょ。普通だったら昨日の今日で休めるわけないもん」 「いや、その……」  和貴を離した夏輝さんが、頭を掻きながら苦笑した。 「兄貴」  すると、Tシャツの上にジャケットを羽織った久紀さんが、夏輝さんの元に数人の警察官を連れてきた。 「斎藤の面通し、俺が付き添っていくから。兄貴は梨華を」 「絶対逃がさん。頼むぞ、久紀。光樹、付き合ってくれ」  こうして、俺と和貴は久紀さんに連れられて新宿東署へ。夏輝さんと光樹さんは黒塗り車に乗って、どこかへ向かっていった。        
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