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16.煙
都営新宿線の幡ヶ谷駅から水道公園を跨いで坂を下ると、一変して重厚な斎場が姿を現す。
代々幡斎場だ。
昔からある斎場で、かつては大きな煙突があって、火葬の時には大層な煙を吐き出していたと言う。お屋敷街には不似合いだが、なくてはならない別れの施設だ。やがて周辺への配慮と火葬炉の進化によって、煙突はなくなり、緑の多いシックな景観の建物に生まれ変わったのであった。
蜂の巣状にいくつも会場が仕切られており、中でも一番少人数向けの小ぶりな場所を当てがってもらった。
何しろ、棺がない。
小さな桐箱に、姉貴は白い骨となって収められている。
2年という歳月、飯能の山中に埋もれているうちに小動物や微生物に食い荒らされ、発見できたのはごく僅かであった。微量に残っていた組織からDNA鑑定で姉貴だと証明されるまで、それでも俺は姉貴ではないと信じていたかった。
白骨化して発見されたとしても、火葬はしなくてはならないのだという。そうしないと、衛生的な観点においても、霊園で埋葬を受け付けてもらえないのだとか。
せめて、帷子の代わりにお気に入りのワンピースを入れさせて欲しいと頼んだら、若い女性ならばその方が故人様の思いに添えるでしょうと、了承してもらえた。
だから、箱のふたを開けるとそこには、きちんと畳まれたピンクのワンビースがあり、その下に、姉貴の欠片が収まっている。
その箱は、遠藤フラワーのおやっさんが誂えてくれたセンスの良い花祭壇の中、淡い紫とピンクの花に包まれるようにして安置してある。
「すみません、ちょっと早いのですが、受け付けを始めてもよろしいでしょうか」
俺の高校の卒業式の日に撮った写真がまさか遺影になるとは思わなかったと、ぼんやり祭壇を見上げて座っていると、区の委託を受けている葬儀屋の係の女性が、申し訳なさそうに声をかけてきた。
「まだ、30分も前ですけど」
「それが……」
綺麗にお団子に纏めた髪を俺の方に向け、女性は入口を指した。
「ご参列の方達が……」
立ち上がって入口に進み、俺は足を止めて息を呑んだ。
こんな小さな会場の入り口から、駐車場の外まで、ずらりと長蛇の列が出来上がっていた。そうこうするうちに、和貴と光樹さん、久紀さんがその向こうから息を切らして駆けてくるのが見えた。
「遅くなってごめんね、今、夏輝兄ちゃんと政さんが、会場を広くしてくれるように交渉に行ってるから、待ってて」
和貴と光樹さんは、受け付けを手伝ってくれることになっており、30分前じゃ早いくらいだから、ゆっくり来るようにお願いしていたのだ。どうせ何人も来るわけない、政さんがいれば十分だと。
列に並んでいるのは、見覚えのある顔ばかりだった。五丁目の人間が、二丁目の旧知が、ごっそりやってきたのではと思う程に。それも夜の顔ではなく、昼の顔で喪服を着ているから、パッと見では解らなかったりする。
「京太郎、大丈夫? 」
そんな優しい言葉を聞いて初めて、ああ、〇〇ママだと解る始末で……改めて、あの街の温かさを知って、涙が止まらなかった。
「今日なんてこんなに冷え込んでるのに……皆さん、有難うございます」
俺はもう、ただただ頭を下げることしかできなかった。
夏輝さんと政さんのおかげで、たまたま空いていた隣の会場を押さえ、祭壇はそのままながら、仕切りを取り外して広く使わせてもらうことができた。
お清めやお凌ぎも大量に追加し、二階の大宴会場を急遽空けてもらうことができた。
「こういう時は流石に国家権力がモノを言うわね、夏輝おにいさん」
火葬場からお凌ぎの席に移動して漸く腰を落ち着け、霧生一家と卓を囲んでいると、園子ママが夏輝さんの肩を叩くようにして囁いた。
「人聞きが悪いですよ。斎場側もその方が好都合だったというだけです」
さらりと受け流す夏輝さんにイタズラっぽく笑うと、園子ママは例の嗄れた声で俺に言った。
「沙絵は私たちの救いの女神なのよ。何人の大馬鹿野郎が沙絵に命を救われたかって。そいつらが生き延びて店張って、次の大馬鹿野郎を助けるの。ここの光樹も久紀も、政ちゃんも、そんな沙絵の救いの連鎖の中で命を拾ったクチよ。だからね京太郎、胸張って生きなさい。あんたのピアノだって、これから沢山の大馬鹿野郎を救えるんだよ。沙絵の弟なんだから、その力があるの」
「園子ママ……」
最後の方はもう、ママも、ママの言葉を聞いていた周りの皆も泣いていた。
「有難う」
姉貴を偲ぶというより、俺が一人で生きていくための決起集会のような力強さ満載のお凌ぎとなった。
40分もすると火葬場に呼び戻され、俺はもっともっと小さくなってしまった姉貴を、薄桃色の骨壷に収め、両手の中に収めたのだった。
店に戻り、ピアノの前に遺影を立て、骨箱を置いた。
これからどうすればいい……姉貴が発見されてからも、ひたすらやるべき手続きに追われていたが、まだまだ終わったわけではない。
「邪魔するよ」
すると、喪服のままの遠藤さんが、大きな籠入りのアレンジメントを担いで入ってきた。
遺影の前に無言でそれを置くと、姉貴の笑顔が華やいで見えた。ピンク、紫に、グリーンのアクセントを添えた供花アレンジ。しめやかというよりは、おしとやかで、姉貴だ、と思った。
「俺からの餞だ。あの世でまた、迷える魂とやらを救うんだろうよ、沙絵は」
「姉貴らしいや」
「いい子だったよ、本当に。街の皆の娘みたいな子だった」
「有難う、おやっさん。今日の祭壇も、あんなに綺麗に作ってくれて……姉貴も喜んでると思う」
「おう」
それだけ言って遺影に手を合わせると、踵を返して出て行こうとした。
「遠藤さん、今飲み物を」
「いや、仕事がある……政さんよ、京太郎を頼む」
「はい」
真剣な面持ちで返事をする政さんに安堵したように、ふっと解れたような顔をして頷き、おやっさんは足早に去って行ってしまった。
「……政さん、どうお礼をしたらいいんだろう」
「あなたの性格です、生真面目に何か返さなきゃと思うのでしょうが……しっかり生きていくこと、それがまずは、御恩返しになるのではないでしょうか」
「それでいいのかな」
「それが、いいんです」
うん、と政さんの言葉をちゃんと腑に落とした時、ドカドカと階段を上がってくる音がしたかと思うと、普段着に着替えた霧生一家が総出で顔を出した。
「京太郎、来たよー」
一人一人、手に目一杯の荷物をぶら下げている。酒に、ピザに、オードブルに、ケーキの箱まである。
「ごめんねぇ、私が居ながらアップルパイ焼くのが精一杯で。後はデパ地下」
「光樹さんのアップルパイ、俺大好き……でも……皆さん仕事が忙しいのに、申し訳ありません」
「もう、本当にこの子は! 」
鼻を啜りながら、光樹さんが遠慮なしに俺を抱きしめた。ああ、この香り……だめだ、昇天して気を失いそうだ。
白目を剥きそうになった俺を和貴が引き剥がすと、今度はターゲットは夏輝さんとばかりに、光樹さんがその肩にもたれかかった。
「実はさ、夏輝兄さんは昇級したけど本庁から所轄に移動になってさ。ヒマになったんだ」
「よせ、光樹。いっそ清々したのだから」
何となくそんな気はしていた。平気な顔をして議員会館でのさばっていた、あの代議士の妻とバカ息子を逮捕したのだ。無傷では済まないのではと危惧していた。隆景の父親は流石に議員辞職にまで追い込まれてはいるが、梨華の父親・沢山康介については何も報道はされていない。揉み消しやがったのだ。
「すみません、ウチのせいですよね……まさか、小笠原とか」
「違うよ、田無警察署。私にとっては有難いくらいだ」
「良いよなぁ、兄貴は署長だもんなぁ。こちとら未だに這いつくばってる下っ端だよ。日々ドヤされる暮らしだぜ」
「まぁそう言うな、久紀。田無なら新宿から電車で一本だし、暫くは定時で帰れそうだから、体は楽になるだろうな」
全く落ち込んでいる素振りもなく、夏輝さんは飄々としていた。
「これまで忙しすぎて、お前たちとろくに話もできなかった。こういう時間がこれから持てるのかと思えば、幸甚なことこの上ない」
「だからって口うるさいのは勘弁してよ。アタシは今まで通り自由人だから」
「光樹兄ちゃん、言い方! 」
そうこうするうちに、それぞれの好みに合わせた飲み物を政さんが用意し、ピアノカウンターに並べた。
姉貴の遺影を囲み、全員がグラスを手にした。
「姉貴の事では、霧生家の皆さんには本当にお世話になりました。どころか、お仕事にまで迷惑かけちゃって、どうお詫びしたら良いか……でも、おかげで、姉貴は無事に、この街に、この店に戻ってくることができました。今日はどうか、姉貴の帰宅祝いとでも思って、賑やかに飲んでやってください」
献杯! と、声を揃えてグラスを掲げ、思い思いに、酒を飲み干した。
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