17.銀の鳳凰

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17.銀の鳳凰

 クリスマス前の最難関である実技試験は、散々な結果に終わった。  周りの奴らは、小遣いでもかかっているのか、デートの約束に箔をつけたいがためか、死に物狂いでさらっていた。少なくとも、俺が放り込まれた実技グループは皆素晴らしい出来で、成績も上位層に食い込んでいる奴が多かった。  和貴はやっぱりトップをブッちぎり、来春から招聘される外国人の特任教授の選抜門下に入ることが決まっていた。超エリート集団だ。中には既に外国への留学が決まって辞退する者もいるくらいだ。  俺はそれこそ、超絶美形巨乳女史に捨てられなかっただけでも有り難かった。  試験後のレッスン、蛇に睨まれた蛙の如く小さくなっていると、女史が牡丹のような華やかな笑みを俺に向けた。 「何てショボイ顔してるの」 「でも……」 「ああいう状況で、諦めなかっただけ偉いわよ。それよりね、ちょっと君に話があって……この前渡辺千紗の伴奏弾いたよね、今回の歌のトップの子」 「はい」  歌科の実技試験の時、本来は和貴が弾くはずだった伴奏だが、あろうことか試験当日、電車の扉に指を挟まれて怪我をするというアクシデントに見舞われ、急遽俺が弾いたのだった。 「コレペティもやってらっしゃる柳川教授がね、君の伴奏は素晴らしいから、嘱託で伴奏スタッフやってみないかって」 「え、嘱託」 「試験だとか、入試だとか、まぁ色んな場面があるんだけど、伴奏スタッフとして登録して、必要な時に登板するの。もちろん謝礼も出るし、何より色んな曲を知る修行になる。先生の元でコレペティを目指すのも良いかもよ」  コレペティ……コレペティートールのことである。主にオペラの劇場などで、オケの代わりにピアノ伴奏で練習を支え、歌手の音取りから、解釈などの音楽作りへの助言など、作品に精通してあらゆる方向から支える裏方の仕事である。日本でも、歌劇団などには腕の良いコレペティが何人も所属して作品作りを支えているし、世界で活躍する名指揮者の多くは、この仕事を経験している。俺が密かに尊敬するファビオ・ルイジ先生もだ。  とはいえ、自分の身の上にそんなワードが降ってくるとは露ぞ思わなかった俺だ。何のことかと間抜けに首を傾げるしかなかった。 「お店のこともあるだろうし、無理は言えないけれど、私は君の持っている物を活かす又とない話じゃないかと思ってる。こんだけピアノ科の学生がいたって、本当に伴奏に向いていると思うのはほんの一握り。よく、考えてみて」  先生からこんな評価して頂いたのは、大学入ってから初めてか? という程に稀なことであった。  レッスンの最後には、散々な成績の詳細を暴露されて完全にオトされ、山ほど課題を出され、ショートした頭からぷすぷすと煙を出しながら学校を後にしたのだった。 「素晴らしいじゃありませんか! 是非受けるべきですよ」  政さんに相談したら、手を叩いて開口一番こう言われた。 「お店に縛られるだけではいけません。勿論大切に思っていることはよく知っています。でも、君の人生は君のもの。君を認めてくれるところで力を発揮できるのも、男冥利というものです」 「うん……」 「ああ、銀の鳳凰ですもんね、京太郎君は」 「ぎ、ぎん? 」 「占いですよ。銀の鳳凰は変化を好まないそうです。腰が重かったり引くに引けなかったり……やり方は幾らでもありますよ。考えましょう、一緒に」  そう言って、さっきから猛烈に泣きまくる腹の虫を宥めるように、政さんが特製ナポリタンを俺の前に置いた。ふわりふわりと煙が立ち上り、甘酸っぱいケチャップの香りが食欲を刺激する。ああもう、たまらない。 「いただきますっ! 」  一口食べると病みつきになる、和貴曰く「病みつきナポリタン」  美味い、美味すぎる……。  その夜は、二丁目と五丁目の昔からの飲食店のオーナー達が集まり、二日後に迫るクリスマスイベントの最終的な打ち合わせが行われた。  有志だけが集まっているが、相当な数だ。厚生年金会館の大きな会議室を使って、町を挙げての一大イベントへの意気込みを確認しあい、会合はお開きとなった。  俺たち音楽系の飲食店は、歩行者天国となる当日、通りでのライブ等を担当する。ウチも五丁目の布団屋の倉庫跡を提供してもらって即席ステージにし、俺が昔使っていた電子ピアノを出して、公募したアーティストの生演奏を3時間分ほど組んである。ステージワークは俺が担当し、飲み物の提供は政さんと他の店に任せてある。  勿論、俺も和貴もエントリーし、それぞれ演奏する予定である。  当日は昼から、そこかしこにテーブルセットを広げて、酒と軽食を提供する露店が並ぶ。客足が激減し始めたリーマンショック後に立ち上げたこのイベントだが、年々盛況になっていき、一時期アジア系マフィアにテナントを押さえられて治安が不安視された頃のイメージを払拭していく一助にもなっているのだ。   「来たよー! 」  前日の午後、最高にキラキラなテンションをまとって、光樹さんが和貴を連れて店にやってきた。  和貴にはソロの演奏と、俺との連弾を依頼してある。その練習も兼ねての来訪だ。 「光樹さん、二丁目にもこれから? 」 「そう。振り付けと着付けと建てつけと、ツケ仕事ばっかりよ」 「お座敷いっぱいかかって、すごいですね」  露店用の紙コップを数えながら、政さんが笑った。 「呼んでいただけるうちが華ってもんよぉ」  やっだぁ、とばかりにオネエ手振りをしてみせるが、あんまりに綺麗すぎて笑う間を逸してしまった。  ふわりと毛先をカールさせた髪に、十字架を象ったイヤリングをゆらゆらと踊らせ、あんまり自然で気付かなかったが、黒いロングコートの下は真紅のベロアのワンビースに黒のロングブーツといういでたちだった。今日はしっかりめに化粧をしているようで、深みのあるローズ色の唇が艶めいている。  完全に昭和の女優オーラでしかない。  そして、ああ、やっぱり良い匂い……。 「兄ちゃんて、ただでさえ顔が派手じゃん、電車の中で恥ずかしかったよぉ」  ピアノを準備しながら、和貴がのんびりと言った。 「だって明日は本番で忙しいからさ、今日の夜は久紀とゆっくり飲むの」  あ、なるほど。 「女装は嫌だって久紀兄ちゃんも言ってたじゃん、知らないよ」 「いいの、こういう格好じゃないと、とんでもなく阿漕にコキ使われるんだから。力仕事も汚れ仕事もお構い無しだもん、あそこの連中は」  ……あ、なるほど。 「あ、これフィナンシェ。もう個別に包装してあるから、そのまま出せるからね。涼しいところに保管しといて」  デパートの大きな紙袋をドンッと音を立ててカウンターに置くと、光樹さんは少し肩を解すような仕草をした。  そう。本当はアップルパイを依頼したかったのだが、何しろ外で温める道具を確保できなかったので、今回は簡易に持ち帰りもできるフィナンシェをお願いした。試食したらもう、死ぬほど美味かったから、これなら間違いない。  100個は申し訳ないかと思いつつ、仕事として依頼してしまった。 「ありがとうございます。請求書、ありますか? 」  すると頷いた光樹さんが紙切れををバッグから取り出した。そのバッグがまた、どっかのブランドなのか、ヨーロッパの王族でも持ちそうな、ちょっとクラシカルな黒いハンドバックだった。小ぶりでコロンとしていて、でも持ち手は少し馴染んだ感じがある。 「あ、これ、亡き母の形見なの。このワンビもね、そのままじゃとても細くて入らないから、自分でアレンジしたの。どお? 」 「光樹さんの雰囲気に凄く似合ってます。え、洋裁もできるの? 」 「だって和貴の小学校の雑巾くらい縫えなきゃ困るじゃん」  いや、お裁縫のレベルを超えてるし……。 「亡くなったお母さんて、凄くお綺麗な方なんですね」  ウチのババァとは大違いなのは、形見だというその品々を見れば分かる。   上品で、綺麗で、優しい人だったんだろうな……。 「お姉様も、お綺麗な人よね。この前写真をたくさん見せて頂いたけど、本当に凛とした雰囲気の方」 「ウチの姉貴が? 」 「そう、本当にお綺麗。ウチの母は美人だったけど、写真撮られるのが下手でさぁ、残ってる写真、全部ブっサイクなのよ」 「ちょっと光樹兄ちゃん! 」  遠くから、お母さんが存命なら恐らくマザコン一直線であったであろう和貴が、抗議の声をあげた。  ひょいと肩をすくめると、光樹さんは鏡を取り出して指先で髪を直した。 「だから、こうやって化粧すると鏡の中に母が現れて……ま、実物の笑顔には敵わないよね、京太郎」  バシッと俺の背中を叩くと、じゃあねぇ、とばかりにひらひらと手を振りながら去っていった。  クリスマスイベントは大盛況だった。俺と和貴との連弾に、千紗のクリスマスソング……寒かったが雨は降らず、無事にイベントを終えることができた。  撤収の時になって、ふとテーブルを見ると、カバー代わりに掛けていたビニールクロスに沢山のメッセージが書かれていた。 『沙絵ママ、ありがとう』  この街が息を吹き返す様子を、姉貴も見ていてくれているだろうか。  姉貴の店を守ろう、どんな形であれ。  政さんや、他の誰かの手を借りる事になるとしても、守っていこう。  千紗を始めとするアーティスト達に、殆ど電車代にしかならない程度のギャラを渡し、クリスマスの雑踏の向こうに消えるまで見送った。  やがて、その雑踏の奥から霧生兄弟が姿を現し、スーパー坊ちゃん和貴を囲んで、賑やかにまた雑踏の向こうへと消えて行った。  家族で過ごすクリスマス、か……。 「今日は店で飲みませんか、京太郎くん」 「そうだな。飲もうか」  俺も、家族と過ごす。  姉貴と、政さんと。                      新宿沙絵                            〜了〜      
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