4. 妖しすぎる兄弟

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4. 妖しすぎる兄弟

 細かいペダル使いやフレージングなど、夢中で擦り合わせながら小一時間も合わせて弾いていると、やがてカランカランと喫茶店のようなベルの音を響かせて、霧生和貴の超絶エリートイケメン兄貴がやってきた。    丁度曲も最後まで弾けたことだし、和貴が楽しみにしているおやつの時間にしようかと、俺たちは一旦手を止めた。 「ご面倒をおかけして申し訳ありません」  和貴をカウンターに座らせながら、俺はやってきた久紀(ひさき)さんに頭を下げた。既に政さんは挨拶を済ませている様子で、スーツの上着を脱いでカウンターに腰を下ろした久紀さんにビールとつまみを用意していた。 「もう、お仕事は宜しいんですよね」  プライベートとして、まずは相談に乗りに来てくれたのだろうと、政さんは暗に確認をし、久紀さんも黙って頷いた。  脚が長い。ウチのカウンターは、和貴くらいの身長だと足がつかなくて、スツールの足置きにやっと爪先が付くくらいで、まるでお子様が座っているようになってしまうのだが、久紀さんの足はどーんと床にしっかり足裏がへばりついている。一体股下何センチあるのやら。 「改めまして、代々木南署の組織犯罪対策課の霧生久紀です。いつも弟がお世話になっております」  久紀さんは、改めて立ち上がり、折り目正しく名刺を政さんに差し出した。 「組対の方なんですね」  納得である。身長は裕に185くらいはあろうかという長身に加え、何らかの武道のスペシャリストを思わせるガッシリとした体格。でも顔立ちはあくまで凛々しく整っていて、暑苦しさは微塵もない。ただ、和貴のタヌキ顔とは大分系統が違うのは確かである。 「ここ、隣は坂田組の持ち物ですね。揉めたりしたことは? 」 「いいえ。ビルのオーナーは何代もこの新宿に根を下ろしている人ですから、坂田さんとも上手にお付き合いされていると思います。ママは、そうしたことには全く関わらない方でした」 「そうですか……あ、いただきます」  久紀さんは、注がれたビールを一気に煽った。その飲みっぷりも、女が放っておかないだろう。いや、この街なら、男だって放っておかない。 「お付き合いされていた方とかは……」  と言った時、初めて久紀さんが俺の方に体を向けた。 「悪いな、何度も同じことを聞いて。きっと、2年前も嫌な思いをしたんだろうな」 「いえ、大丈夫です」 「また、あの時と同じことを何度も聞くことになると思う。勘弁してほしい」  とんでもない、と顔も手もブンブンと振った時、また店のドアが開いた。 「あの、開店はまだ……」  慌てて断ろうと身を乗り出すと、ドアを開けて入ってきたのが超絶着物美人なので、俺はくらくらして思わず後退ってしまった。  何だこの人は。172㎝の俺より少し背が高いくらいか、黒地の紬をさらりと着こなし、この辺の姐さん達に主流の控えめお色気メイクで、結い上げた髪から幾筋かほつれている襟足が何とも婀娜っぽい。 「光樹(みつき)兄ちゃん、来てくれたの? 」 「み、光樹兄ちゃん? 」  振り向くと、ケーキを頬張って口の周りを生クリームだらけにしているスーパー坊ちゃんが、超絶着物美人に向かって手を振っているではないか。 「ごめんなさい、驚かせちゃって。今日、近くで仕事があったもんだから。いつも弟がお世話になっています、霧生光樹(みつき)です」  確かに、そう名乗る声は優しくて甘い男の声で、顔も、一度だけ会ったことのあるような気がしてきた。  何て美貌だ。久紀さんともまた系統が違うし、和貴寄りだとしても、たぬきをもっとスレンダーにして婀娜とクールを混ぜてシュッと作り直したような、誰もが振り向かずにはおれない派手な美貌である。  光樹さんはさっさと久紀さんの横に座り、その腕にぐるぐると自分の両腕を巻きつけた。おいおい、同伴の姐ちゃんか。 「ビールでよろしいですか」 「ええ、いただきます。あら、久紀もビール? バーボンにしないの? 」 「大事な話を聞きに来たんだ、チャチャ入れんなよ」 「わかってるって。だから私も来たんだから」  俺はそっと和貴に近づき、耳元で聞いた。 「光樹さんって、何やってるの? 」 「ああ、専業主婦」 「はい? 」 「って、本人は言っているけど。えっと、生け花の師範でしょ、日本舞踊の名取でしょ、着付けの先生でしょ、柳生新陰流の目録持ってて、えっとあとね、メーキャップアーティストで……」 「んなわけねーだろ。あの美貌だぞ、しかも着物って、絶対ギョーカイ人だろ、それか二丁目方面」 「言うと思った。確かに二丁目のショーハプとかで振り付けの仕事頼まれたり、高級クラブで着付けの仕事頼まれたりしてるみたい」  要は、何でもこなせる一人親方ってか? 「何せ男所帯だから、光樹兄ちゃんしかまともに家事できる人いないんだよ。だから、兄ちゃんは家優先で、自由のきく仕事しかしないんだって」  肩書きだけ聞くと、一人で京都の映画撮影所の裏方全部できそうなんだが……いや、主役もいける。    後で聞いた話だが、和貴の家は父親も母親も再婚同士で、和貴だけが両親の実子なのだと言う。だが、その両親は和貴がまだ6歳の頃に亡くなり、当時20だった夏輝さんを頭に、17歳だった久紀さんと二人でバイトで何とか凌ぎながら、まだ14歳だった光樹さんと和貴の二人を育ててくれたのだと言う。親が残した財産は、光樹さんと和貴の為に、上の二人は一切手をつけなかったらしい。だからか、光樹さんは家の中の事一切を引き受け、大学に行かない代わりに、和貴を育てながらでも稼げる資格を次々に取ったのだと言う。  和貴もまた、親の縁が薄い奴だったのだ。そして、兄弟の愛情で大きくなったのだ。だから、姉貴を待ち続ける俺の気持ちに、寄り添ってくれたのだ。  本番はまだ先だったのだが、今日はプレで弾いてみることになった。すると、噂を聞きつけた常連であっという間に席が埋まった。  曲目の反応も良く、和貴と二人で内心ガッポーズをしながら弾いた。ふと奥のボックス席に目をやると、久紀さんと光樹さんが仲良く聞いてくれていた。またその聞き方が妖しいと言うか、久紀さんは光樹さんの腰にしっかり手を回しているし、光樹さんは相変わらず久紀さんに寄り添うようにというかベッタリとくっついて、両腕を絡ませているし、今にも濡れ場が始まるのではと思うほどのアダルトな雰囲気をぷんぷん漂わせていた。  光樹さんが久紀さんの頰にキスをした時は、思わず音を外してしまった。 「ごめんね、ウチの兄ちゃん達、妖しくて」  演奏コーナーが無事終わり、政さんお手製のハンバーグドリアに食らいつきながら、和貴が苦笑した。 「あの二人さ、親が再婚した時からずっとべったりだったんだって。夏輝兄ちゃんが、久紀に嫁が来なくなるからやめろ、ってよく光樹兄ちゃんに言うんだけどねぇ」  色々ベールに包んでおこうか、和貴……。 「ごめんね、待たせちゃったかな」  光樹さんが化粧直しを終えたのを合図に、久紀さんもボックス席から立ち上がった。カウンターで食事をする和貴を両脇から囲むように立ち、光樹さんがバックからカードを出した。 「いえ、こちらからお呼び立てしましたので、いただけません」  俺が断ると、光樹さんは顔を寄せて、 「それとこれとは別」  と、芯がブルブル震えそうな美声で艶めかしく囁いた。何て色っぽい話し方をするんだか、この人は! しかも何ていい匂い……。 「京太郎くん、沙絵ママって、着物をお召しになった? 」  艶々の唇を見つめながら、俺は頭を振った。記憶にある限り、姉貴は着物を着たことがない。 「いいえ」 「今日着付けを手伝ったクラブで聞いたんだけど、数年前、この界隈のママ達を招待して着物の展示会のようなものを開いた業者がいたらしいんだ。要は詐欺ね。数百万の着物を買わせて代金前払い、けれどナシの礫で納品なし。ママ達には脛に傷ある身が多いらしくて、勉強代だと思って諦めた人もいたみたいで……でも、被害にあったママ達の状況を取りまとめて、告訴する準備を進めていた人が一人いたんだって…… 」 「まさかそれが、姉貴……いや、そんな話は全然」 「ママ自身、友達に無理くり付き合わされて、被害を受けていたみたいだから、話しにくかったのかな」 「展示会詐欺の件なら、俺も記録を見たが……沙絵さんが絡んでいたとはな。この足で署の資料をもう一度探してみる。光樹、お前は和貴を連れて帰れ」 「わかった」  こちそうさまでした! と例のごとく元気に手を合わせる和貴の後ろで、光樹さんと久紀さんは新婚夫婦のように腰に手を回して向き合っていた。 「早く帰ってきてね」  チュッ、とばかりに久紀さんの頰にキスをして、光樹さんはレッドカーペットを歩く主演女優のように僕らに笑顔を振りまいた。 「ではまた、ごきげんよう」  例のごとくきちんと食器を下げた和貴の重たいカバンを軽々と持ち、片手で和貴の手を引いて、光樹さんはやはり派手に帰っていった。 「ま、またな、和貴。今日のギャラは明日渡すから」 「プレなんだからいらないよ〜、おやすみ〜」  み〜、の時にはもう、ドアの外であった。 「お騒がせしてすみません。では、きょうはこれで」  角ばったお辞儀をして、久紀さんも去っていった。  妖しい、妖しすぎる。  2年あまり動かなかった姉貴の事が急に動き始めたことと言い、霧生兄弟は一体何を持ってるんだか。  政さんも、顔には出さずとも、呆気にとられているのは間違いない。  コップを一つ、取り落として割ってしまったくらいだから……。    
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