8. 姉貴

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8. 姉貴

 直ぐに店のオーナーにも電話し、簡単に事情を説明をした。ここは昔からのコミュニティがある。決して新しいばかりの街ではないのだ。戦後、まだ焼け野原だった頃、この辺りの土地は二束三文で取引されていたという。そのころ、いや、それこそ江戸時代の内藤新宿時代から代々根を張って代を継いできた連中が、手を替え品を替え、街を作り、二束三文のうちに大枚叩いてビルを建て、こうした大歓楽街を形成したのだ。  オーナーの実家も、内藤新宿時代から旅籠をやっていた一族で、ここいらの顔である。隣のビルに入っている坂田組でさえ、オーナーには一目置いているくらいだ。  と、ユニクロのCMから出てきたような、ド・カジュアルに身を包んだ背の高い男が、壊れたドアを更にぶっ壊す勢いで入ってきた。 「京太郎、無事か」 「真司さん」  その男、こんなカジュアルに身を包んでいても、泣く子も黙るヤクザのお兄いさんである。姉貴と同い年で、中学の同級生。小さい頃から俺もよく知っていたが、玄人のヤクザさんになってからは全くといっていいほど没交渉であった。というより、姉貴と俺を妙なことに巻き込まないよう、真司さんの方で距離を取っていたのだと思う。 「事務所に来たらよ、このビルに成田組の若い衆が入っていったって聞いて」  よく見ると、紺のセーターの襟から、タグが飛び出している。きっと、いかにもヤクザな格好で誰かの目についたら迷惑をかけるからと、慌てて買ってきたのかもしれない。真司さんは、ヤクザでさえなけりゃ、本当はそういう気遣いができる優しい男なのだ。 「それ、切ってあげるよ」  カウンターからハサミを取り出し、俺はハサミで切った。 「落ち着いているな」 「今、オーナーに動いてもらっている。意味なく動いたら、友達がかえってヤバくなるだろ」  一応、和貴の身元は伏せることにした。どこから漏れるか分からない。真司さんは漏らす人ではないが、夏輝さんと久紀さんの仕事が仕事だけに、余計に和貴の身を危険に晒すわけにはいかない。 「そっか」 「でも、来てくれてありがとう……で、成田組ってのは間違いないの? 」 「ああ。ウチの若ぇモンとやりあった奴らしいから、見間違えるわけは無ぇ」 「25の真司さんもしっかり若ぇモンでしょ」 「これでも部下が10人はいる兄ぃだぜ」  成田組なんて、尚更関わりはない。俺自身に何か意趣返しだの報復だの、誰かを引き出すための囮にするだの……そんな身に覚えはない。  だとしたら……俺は然程突拍子も無くはない事を、ぶつけてみた。 「南雲梨華、あんたも知ってるよね。同級生だろ、あんたも」 「まあな。ありゃ、とんだ阿婆擦れだぜ。あいつがどうした? 」  俺は、茉利子ママから貰った週刊誌を真司さんに見せたら、露骨に嫌そうな顔をした。それこそ、ゲジゲジでも見るような目、というやつだ。 「梨華は元々、成田組のチンピラとも派手に遊んでたんだ。コネだか何だか使ってよ、お嬢様大学をお情けで出て、女優の娘ってだけで勘違いして、おハイソな家に嫁ごうとしているようだが……その為に、消したい過去ってのも、一つや二つじゃ無ぇ筈だぜ」 「それって……」 「あいつの頭の程度も俺並みだからな。昔の男に過去を消させて、仕事が終わったらそいつも消して……」 「マジか……」  だとしたら、梨華は姉貴の事、何か知っているだろうか。いやむしろ、姉貴に何かしたのか。 「姉貴と何があったかは、知らない? 」 「そこまではなぁ……あ、中学ん時、梨華が万引きしたのを沙絵に見咎められて補導された事を、危うく記事にされそうだったとか何とか……まさかな」  あの時、俺の勘が梨華を尾行させたのも、姉貴のメッセージだったのか。 「成田組って確か、成子天神のあたりに事務所あったよな」 「あくまで事務所だ。梨華が個人的に動くとしたら、本拠地の連中を巻き込むとは思えねぇぞ」 「それでも行ってみる。だって和貴は、俺の親友は、俺の身代わりで拉致されたんだ」  飛び出そうとする俺の腕を、真司さんがガッチリと掴んだ。 「待てよ……すまねぇな。真っ向勝負で成田組と構えるわけにいかなくてよ」 「わかってる。組長にバレたらマズイのに、教えてくれてありがとう」 「沙絵には恩義があんだよ……いいな、無茶すんなよ。この辺りは若ぇモンに見張らせておくから、おまえは動くな、ここにいろ」  ギリギリの、情報提供だった。  真司さんが慌ただしく帰った後、スマホが鳴った。オーナーからだ。  持ちビルの防犯カメラを片端から当たり、連れ去った車のナンバー、行き先まで、見当をつけてくれた。何しろ三丁目のデパート界隈や、西武新宿駅近くの大ガードの周りや、御苑の周り、二丁目にも、多数のビルを持っているのだ。西新宿か北新宿方面ではないか、との推測だが、そこは警察に任せるとして、俺は直ぐに車のナンバーと車種を久紀さんに告げた。  姉貴のことも気になる。だが、やっとできた親友を、失ってたまるか。  俺は店から飛び出した。派手なジャージ姿の若い衆が数人、慌てて追いかけてくる気配があるが、この辺りで生まれ育った俺が尾行を巻くなんざ、そう難しい事じゃない。  行くなと言われて、大人しくしていられるか。今まで政さんに守られているのをいいことに、自分で何も動こうとはしなかった。警察の対応に嫌気がさして、どこか自分の毎日を守ることに満足していた。最低だ。  だが、もう俺は二十歳になっている。俺には俺の、使える札がある筈だ。  タクシーを捕まえて成子坂へと飛ばしてもらっている間に、久紀さんや光樹さんから何度も電話がかかってきた。しかし、悪いと思いながらも、俺はそれを無視した。あの人たちはきっと、もう答えに辿り着いているだろう。もしかして、和貴は既に、愛しい兄ちゃん達の腕の中かもしれない。 「成子天神ですよ、お客さん」  コロナ以降、この界隈の賑わいのレベルは確実に大人しくなっている。新しい道でもあるこの東京所沢線は、小瀧橋通りを突っ切り、成子天神の先で青梅街道と繋がる。大規模な都市開発で無機質なビル群に変わったものの、そこに生体がほとんど歩いていないのが尚更廃墟っぽく見える。夕飯時だというのに、タクシーが列をなすわけでもなく、頭にネクタイを巻いた親父が徒党を組んで歩いているわけでもない。いわば、お行儀の良い街になったのだ。  天神から、その新しい通りを新宿村スタジオの方に渡り、更に路地へと入っていくと、やっと、昔の雑多な新宿を思わせる風景が見えきた。  この辺りは、正直なところほぼ土地勘はない。だからか、なんとなく事務所があるという方角を目指して忙しく歩き回っていたのだが、路地の先にパトカーが止まっているのが見えて、俺は足を止めた。それも相当な数だ。  どうしようかと迷っていると、突然、口元を押さえられて、俺は路地裏に引きずり込まれた。  真っ白になる頭で、でも何とか抜けなくてはと踠き、めちゃめちゃに暴れた。ウワァ! と叫びながら体を揺らして足を後ろ蹴りにすると、背後の人物が地面にひっくり返った。 「え、俺? 」  いかにもチンピラといった姿の若い男が、白目をむいて仰向けに倒れているのをまじまじと眺め、ふと視線を上げた。  そこには、木刀を振り下ろしたまま、時代劇スターのように残心の体勢の光樹さんがいた。 「何で電話に出ないんだよ! まんまと来ちゃって」  綺麗な人が、目に怒りを湛えている。とても申し訳ない気持ちになり、俺は黙って頭を下げた。 「俺なんかと友達になったから、和貴に迷惑かけてしまって……」 「何言ってんの、この子は。和貴はとっくに病院」 「はい? 」 「夏輝兄さんを甘く見るんじゃないよ。ここは新宿東署の管轄だけど、夏輝兄さんのツルの一声で久紀も応援にかけつけてさ。それこそ兄さんは警備部1課の課長補佐だけに、SAT(特殊急襲部隊)の名をチラつかせて殺気漲らせて仁王立ちして睨んだだけで、成田組の会長は震え上がって、はいどうぞ、よ」  流石に、スーパーぼっちゃまだ……。 「和貴を拉致したのは、ここのチンピラで、組員の下の下のやつらしいんだけど、だから尚更、黒幕がいる筈だから」  すると、光樹さんが倒したチンピラを引き取りに、久紀さんが駆けつけ来た。怒られる、そう身構えてしまうような厳しい表情をしている。 「何やってる! 」 「待って久紀、和貴を心配してきてくれたんだから……」  咄嗟に光樹さんは間に入って久紀さんを宥めてくれた。足でチンピラをしっかり踏みつけたまま。 「俺、ちゃんと話します。警察に連れて行ってください」  和貴に迷惑をかけた。その理由をきちんと説明しなくちゃいけない。 「京太郎、南雲梨華、知ってるな」 「……名前だけ。たまたま見かけて後を追ったんです。でも途中で見失った。姉貴と南雲梨華の両方を知る人からも、少し話を聞けました」  久紀さんは一瞬考えを巡らせるようにじっと俺を見据えて、やがてふうーっと溜息をついた。目の下にクマ。疲れていることは否めない。 「まぁ二十歳だよな、君も。そういうことなら、署で話を聞かせて欲しい」 「久紀、和貴は」 「兄貴が付き添ってる。あの人がいたんじゃ、ウチの連中も話が聞きにくい」 「不動明王か」  久紀さんが光樹さんの冗談に苦笑した。 「正にそれだよ。おっかない、って見張りの若い奴が泣きそうになってた」  夏輝さんのことだ、もう俺には関わるなと、激怒しているかもしれない。 「俺が話しますから。だって俺の身代わりでしょ、和貴が話を聞かれなきゃならない理由はないよ」  すると、チンピラの襟首を猫を持つように片手で持ち上げた久紀さんが、俺の目を見て頷いた。 「一緒に来い。光樹、政さんに連絡を頼む。あの人が京太郎の身元引受け人だから。行くぞ、京太郎」  返事もそこそこに、俺は慌てて久紀さんの後を追いかけた。  そして、人生初、パトカーの後部席に乗った。  悪い事をしたつもりはないが、乗り心地は決して良いものじゃなかった。  
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