蛾面舞踏会

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 タケさんがあの日言った言葉の意味は、成長するにつれて理解した。  「蛾面」が見えるということは、その人が私に対して無意識に「どんな自分を見せようとしているのか?」がわかってしまうのだ。他の人は見えなくて意識する必要ないことが、私は見えて意識してしまう。  これだけでも疲れたが、そうやって目元を覆い隠されると本当は一体どんな表情をしているのか……わからなくて、私は怖かった。雰囲気で何となくわかるが、「目は口ほどに物を言う」と言うらしいじゃないか。  私はその「目」が見えないのだ。  けれど、私はそれでも人と関わりたかった。  そのために観察を続けた結果、社会人になるころに私は蛾面の羽の色は相手に向ける感情、形はその人の心だと気づいた。  確かタケさんが「ペルソナ」とは、古来劇でつけていた仮面が由来だと言っていた。だとしたら「蛾面」が見える私は、ある意味配役がわかる唯一の存在なのかもしれない。    ──ならば、この社会を一つの「大きな劇」だと考えよう。そして私は俯瞰(ふかん)して物事を見るようになった。    世の中とは無情なもので、皆が何かしらの主役になりたいと思って生きている。  だが思った通りに輝けるのは、ほんの一握り。主役になれないのは、まず役を演じるには力不足。または、その実力があるのに脇役をさせられているから。  他には、その人物が輝けるのは主役ではなく、脇役などの別の役だということなど……要するに「キャスティングミス」なのだ。  それがわかってから、私は「演出家」となった。蛾面から役柄──人格や能力など──を判断する。そして適材適所に配置して、仕事を振り分けていった。  すると仕事は面白いほど、上手くいった。私は出世コースを快進撃で進み、五〇代になるころには社長にまで昇りつめた……でも、私は一人で孤独だった。  それも当然だ。  「社会」という同じ劇にいるが私は「演出家」だから、同じ舞台上には立てない。  蛾面が見える私は異質で、わいわいと舞台上で輝く他人を舞台袖で見ているだけの外れ者だった。  こんな私を慕ってくれる人もいたが、私の肩書や財産欲しさに「いい自分」を見せようとしていることが蛾面からわかってしまい、受け入れることができなかった。  社会における役柄がわかっても、その仮面の下に隠れた本性までは、私にはわからなかったから。  どんな地位も、金も、人脈があっても誰にも心を開けない私は、どこまでも孤独だった。  ──限界だ。  タケさんも同じ気持ちだったのだろうか。せっかく、忠告してくれたのに。  同じ孤独でも賑やかな周囲との落差の酷さを感じるくらいなら、最初から静かな一人になりたい。余生をゆっくり暮らせるだけの財産を得た私は会社を辞めて、一人でひっそりと暮らし始めた。  
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