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その言葉に私は演じることも忘れ、ポロっと言葉が出た。
「……つかれます」
演出家として俯瞰し、それ以外では皆に社会が求める模範的な人物を演じてきた私の──初めてのアドリブだった。
「やっと、あなたの心の声を聞けた」
その言葉に彼女は、何故か嬉しそうな顔をした。
「だったら、葉山さんの好きなようにやってみましょうよ」
「私の好きなように?」
「劇だって、即興劇があるでしょう? 台本なんて無視して、自由にやったっていいんです」
そんな言葉を言われたのは、初めてだった。でも……。
「迷惑じゃありませんか? もし失敗したら……」
「その時は私がフォローしますから……私が失敗したときは、葉山さんがフォローしてください。それとも私を無視してずっと一人で踊る気ですか?」
その言葉にハッとした。私は失敗しまいとするばかりで、千佳子さんの動きなどを全然見ていなかった。
私はずっと自分の殻に閉じこもっていたのかもしれない。他の人と関わっているようで「蛾面が見える自分は他と違うから」と、どこか心の中で線引きをして。
だとしたら、私は基礎のステップを覚える前に人との関係性を築くのを諦めていたと言えるだろう。
または千佳子さんが言っていたように、相手のことを見ようとしないでに一人で踊ろうとしていたか。
──あぁ、私は一人じゃない。
私は心を決めた。
「すみません。もう少し、あなたのリーダーとして頑張らせていただけませんか?」
「違いますよ。一緒に頑張るんです……改めて、よろしくお願いしますね」
それから私は、今まで以上に必死に社交ダンスの練習に励んだ。
週二回のレッスンだけではなく、家で自主練習をしてみたり、千佳子さんが休みの日には一緒に練習に付き合ってもらった。
心の中にまだいる「演出家」の私が言う。
「あぁ、酷く見苦しい。演じてもいない。ありのままの自分を曝け出そうとするなんて」
そんな以前の私に自分は、
「見苦しいとしても、頑張るさ。いつか『ありのままでもカッコいい』ってことを教えてやるよ」
と、返してやった。
彼女に言った手前、諦めるわけには──いや、千佳子さんだけが理由じゃない。自分が一番諦めたくなんかないのだ。
そして今、私は同じ社交ダンスの生徒たちとともにレッスンのため、ダンスホールにいた。三拍子のゆっくりとした美しい音楽に合わせて、ワルツを踊る。
背筋をまっすぐ伸ばして、ステップを踏む。もうステップを忘れたり、間違えたりもしない。千佳子さんの足を間違って踏んだり、別のカップルとぶつかることもない。
初めてここに来た頃に比べれば、目覚ましい進歩じゃないだろうか。
それに踊っている間、千佳子さんは私のことを真っ直ぐ見てくれる。それだけで体だけではなく、私の心も踊った。
心にできてしまった殻を破ってしまえば、こんなに簡単なことだったなんて。
「最近、葉山さん。明るくなりましたね」
「そうかな」
音楽に合わせて踊る。私はステップを踏みながら、他のペアとぶつからないように辺りを見渡した。
「蛾面」が見える私からすると、この場は「仮面舞踏会」のようだった。
今までは顔を隠す蛾面をつけた群衆を見るのは少し不気味に感じて苦手だったが、このダンスホールにおいては華やかに感じた。
人によって蛾面はすべて違うのだが、皆のワルツを心から楽しんでいる感情がその面に表れていたからだろう。
すべて綺麗な形に、色をしていた。
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