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レッスンの帰り道。
私と千佳子さんは近くの公園の中を、並んで歩いていた。
「千佳子さんのおかげです」
「何がですか?」
彼女が不思議そうな顔をして、私を見上げる。
「あなたのおかげで、自分がいかに独りよがりだったのか知れたので」
「また俯瞰して考えてますね」
「あはは。こればかりは癖みたいものですから」
銀杏並木から、黄色の葉が落ちてくる。夕日に照らされた葉は、赤さを増して黄金色のように見えた。
「葉山さん、こっちに来てください」
彼女に案内されて辿り着いたのは、公園内の広場だった。ここも銀杏の葉によって、これまた黄金色のカーペットが敷きつめられているようだ。
落葉する葉は、花吹雪とはまた違った趣があっていい。そんなことを考えていると、千佳子さんが私に手を差し出した。
「私と一緒に一曲、踊っていただけませんか?」
「……いいですよ」
思えば社交ダンスを習うことになったのも、今もすべて彼女から誘ってもらってばかり。まったく、男として恥ずかしい限りだ。
音楽は、私たちの頭の中にある。練習を重ねた成果で、ワルツなら私は音楽無しでも踊れるようになっていた。
「1・2・3」、「1・2・3」の三拍子。私たちがステップを踏むと、足元の黄金色が舞い上がる。
私はふと、彼女に質問してみた。
「千佳子さん。今の私たちの関係性は何のダンスですか?」
「今踊っているワルツですね」
「え? 前と変わらないままですか?」
「いえ、葉山さんとの関係性は、ゆっくり流れる音楽のようで心が安らぐので」
「私もです……この時間が人生で一番幸せです」
以前の私なら恥ずかしがって言えなかった言葉を、伝えることができてよかった。
彼女も別の意味で同じことを思ったようで、
「──よかった。私も幸せです」
と、言ってくれた。
そのとき、不思議なことが起こった。
千佳子さんの顔から蛾面がひらひらと飛び立った。初めて見た人の……彼女の素顔。そして瞳はとても透き通っていて、今まで見てきた何よりも綺麗だった。
飛び立った彼女の蛾面を追って、上を見上げる。すると頭上にもう一羽の蛾面が飛んでいた。
──あれは、もしや私の蛾面か? ありのままの自分を曝け出せたから? じゃあ、千佳子さんも?
私の心の中に、形容しがたい感情が広がる。それは不快なものではなく、この世の幸いや喜びをすべて混ぜ合わせたような……そんな感情たち。
私はこの時間が永遠に続けばいいのにと感じつつ、踊り終えたらあることを伝えようと思った。リードされっぱなしだったから、見返したいというわけではないが、驚かせたいのだ。
と、言うのも今のワルツのような穏やかな陽だまりのような関係性もいいが、私は彼女ともっと他の関係性への変化──別のダンスも踊ってみたいと思っている。
あんなに人と深く関わろうとしてこなかった私がだよ? 自分でも信じられない!
さて、何のダンスにしよう?
千佳子さんが言っていたリズムが早くて、今よりも難易度の高い「ヴィエニーズワルツ」?
それとも──男女の恋における葛藤を表現した「ルンバ」?
私たちがクルクルとワルツを踊る頭上で、二羽の蛾面も踊るように一緒に飛び続けている。
この後、踊り終えた二人がどんな言葉を交わしたかは、あなたの想像に任せよう。
二人における話はいったんここで終わりだが、「社会」ではなく「人生」という劇の中だとしたら、ここは数ある一幕であって通過点に過ぎない。
社会という劇には時には演じなくてはいけない台本と役があるが、人生という劇にはない。
──即興劇のように自由に、役も結末も自分で決めていいのだから。
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