ちょうどいいって難しい

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そして今日、レッスン当日を迎えた。 教室には既にアンサンブル仲間となる二人の生徒さんが到着していた。 同じような年齢、格好に見えるお二人にほっとした時、講師の溝口先生が教室に入ってきた。 溝口先生は、すこし白髪が交じった紳士だった。 普段は、講師や受験生、コンクール対策を受け持っているそうで、今回は20年ぶりにクラスを担当することになり、とても緊張しているらしい。 先生は、みんなで楽しい時間にしましょう、僕のレッスンは楽しく優しくをモットーとしています、よろしくお願いします、と挨拶を締めくくった。 先生の紹介が終わったところで、生徒三名もそれぞれ自己紹介と相成った。 このクラスで1パートを担当するのが響子。ピアノばかりを弾いていてエレクトーンの経験がなく、また20年ぶりのレッスンに緊張していると響子は話した。 2パートを担当するのは、ピアノを大学生まで習い続けていたという小川さん。 3パートの峰岸さんはエレクトーン歴20年以上で、娘さんが系列の別の教室に通っているという。 ピアノ出身者、子どもが教室のレッスン生というお二人との共通点に、響子は安堵した。 そして、演奏者としての経験年数が似通っていることから、楽しくなりそうだと、心の底からわくわくしていた。 「みなさん、それではレッスンを始めましょう。まずは、ディズニーの曲からです。個々に音を出してもらおうかと考えていましたが、どうでしょう。最初から全員で合わせられますか?」 先生の質問に一同は沈黙のままだった。 誰が答えたらいいのか迷っている。 しかし、緊張するタイプという溝口先生をこれ以上待たせてはいけないと響子が思ったとき、溝口先生から指名された。 「小林さん、どうでしょう。」 「はい!間違えてもよければ!」 元気よく響子は返事をした。 みなさん長く鍵盤を続けられた人ばかりだし、合わせた方が楽しいはず。 響子は早く弾きたくてうずうずしていた。 届いた楽譜には1パートしか載っていなかったし、響子は1パートしか練習はしてこなかったが、たった3人でも合わせると音が広がり、素敵なハーモニーを奏でる。 しかし響子にはまだその余裕はなかった。 フレーズごとに足のスイッチを蹴って音色を変え、音の強弱も足のペダルで行う。 右手は上鍵盤、左手は下鍵盤で弾く。 何もかもピアノでは必要ないことばかりで混乱する。 せめて綿密な練習を重ねてこなかった事を響子は後悔した。 腕や指の感覚で視線を落とさなくとも、多少ならごまかしがきくピアノとは違い、時々鍵盤を見ないと、正確な位置を掴めない。 それに加えて、別のパートの音にかき消されて、自分のパートのタイミングを掴むのも難しく、さらに足の操作まである。 最初から合わせてもいいと元気よく答えた自分の浅はかさに少し後悔しながらも、響子は必死に食らいついた。 二曲目は、1パートは音の移動が大きく、細かい動きはない。響子の得意なピアノの技を生かせないし、エレクトーンの鍵盤に不慣れなことから鍵盤間の移動は難しく、これもまた必死でこなした。 そして、三曲目の紹介も終わり、次回までの宿題が告げられた。 一時間経ったとは思えないほどあっという間の時間。 演奏に集中してとてもいい時間だった。 先生もユニークだし、授業の中でピアノ出身者二人に向けてアレンジをしてくださったそうだし、先生が設定した音色も豪華だったし、なかなかにすごい人なのかもしれない。 レッスンが終わった後、なんとなく生徒三人でお喋りをしていると、二人から突然告げられた。 「実は私たち、この教室の職員なんです。」 響子はこの一時間を振り返り、すべてに合点がいった。 そうだ、先生はほとんど私にばかり質問していた。 ピアノ出身の方も含めお二人は、エレクトーンの操作にかなり慣れていた。 経験年数だけではない、圧倒的な差があったし、ほとんどメインメロディーを担う1パートを実力が未知数な私に充てたのも、すべて。 そして、職員のお二人が、久しぶりのレッスンに溝口先生の講座を選んだのは、おそらく溝口先生は職員の間でも人気か、カリスマ的な先生なのではないか。 そして響子はこうも思った。 「少しは鍵盤楽器の経験のある人ならだれでも参加可能」という文言で集まった人の中で、まさか自分が一番必死で追いかける立場になるとは思ってもみなかった。ギアを変えるしかないけれど、それが今は楽しみ、と。 今月からの3ヶ月講座で最低3曲は仕上げるというクラス。 ピアノの技術とは異なるエレクトーンのノウハウをマスターして、最終回のおまけのクリスマスらしい曲を演奏する頃には、溝口先生の言うように楽しいでいっぱいになるように、練習しよう! 家ではエレクトーンの練習は出来ない分、まずは楽譜を完璧に仕上げる。 分かる限り他の人のパートを思いだし、自分のパートのタイミングを掴む。 そして、エレクトーンの部分はイメージトレーニングと楽譜への注意喚起を色分けで示すなど出来る準備を万全に。 それでもうまくいかない時は、優しいという溝口先生の言葉を信じ、教えを請おう。 3ヶ月の先にまだこのクラスを続けたいかは最後のレッスンで決めよう、それまでは残り二回を悔いなく楽しもう。 響子はそう、決めたのだった。
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