夏夜の月蛍

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翌日、喫茶店を訪れた小桜と部長は、二人掛けの席に座ってメニューを覗き込んでいた。 「雪女の猛吹雪パフェ、写真で見ると迫力ありますね」 「どうやら生クリームを吹雪に見立てているようだね!」 「吹雪というより雪崩のようです」 「たしかに! それじゃあこれは、雪女の猛雪崩パフェ?」 「猛雪崩って言葉、初めて聞きました」 メニューの上で指を移動させて、小桜は珍しいものを見るように目を見張る。 「木魚達磨の睡眠打破激辛カレー、真っ赤ですね」 「すごく辛そうだね。眠れなくなりそうだよ!」 「木魚達磨に取り憑かれると不眠症になる、と言いますが、なにか所以があるのでしょうか」 「木魚は修行僧に不眠不休の修行を説くために作られた物で、達磨は9年間眠らずに修行したと伝えられている達磨大師をモデルにしているって話だよ!」 「なるほど。それで不眠症、ですか」 今度は向いの席の部長がメニューを指で示した。 「こっちは牛鬼の鬼盛り牛丼だって!」 「トッピングがいろいろ選べるみたいですね」 「ボリュームがあっておいしそうだね」 「このオススメの毒沼トッピングというのが気になりますね」 「思いきった名前をつけるね! 牛鬼は毒を吐くって聞いたことがあるから、 そこからつけたのかな?」 「へえ。それは初めて知りました。 ……これは、どうやら焼きなすびと味噌を和えたトッピングのようですね」 「絶対おいしいよ、それ!」 目移りしながらなにを注文するかを悩んでいると、「なにげに僕が一番気になっているのがね」と部長がメニューの一番下に記された妖怪を指さした。 「ぬらりひょんのいつの間に粗茶!」 「いつの間に……とは、どういう意味なんでしょう」 「ぬらりひょんは、家の人が知らないうちに勝手に家に上がり込んでお茶を飲んで、そして家の人が知らないうちにいなくなっている、なんて話があるよね。 ぬらりくらりとしていて捉えどころのない妖怪だって」 「いつの間にか家にいて、いつの間にかいなくなっている。 だからぬらりひょんのいつの間に粗茶、ですか」 「小桜くん、いつの間にっていうのは、それだけじゃないみたいだよ」 「なんです?」 わくわくした様子で、部長はメニューの説明文を読み上げた。 「こちらをご注文されたお客様のお席には、お客様が気がつかないうちにお好きなドリンクを提供させていただきます、だって!」 「えっ、そんなことが可能なんでしょうか」 「面白いよね! これは注文してみようよ!」 人ならざる存在である小桜は、人間よりも生き物が動く気配に聡かった。 もしもそんな自分でも気がつかないうちに、突如としてドリンクがテーブルに現れたとしたら。 (……すごく、面白い) 想像するとこのサービスにとても興味が湧いて、柄にもなく期待で心が弾んできた。 「部長、さっそく注文しましょう」 「うん! とりあえずこれだけ先に頼もうか」 呼び出しベルを押していつの間に粗茶の注文を済ませると部長はメニューに向き直った。 「他はなにがいい?」 「そうですね……こうメニューが多いと、やはり悩みますね」 「だよね! どれも食べてみたいけど、一回の来店じゃ食べきれないし……。 ……そうだ! 夏休み期間中はこのフェアやっているみたいだから、また来ようよ!」 部長にそう言われて嬉しさが隠せない口元をメニューを立てて隠した小桜は、 おずおずと確認する。 「その際、活動日誌は必要ですか?」 目を丸くした部長に、小桜は身を屈めてメニューの影に隠れてしまいたくなった。 (なにを確認しているんだろう、私は) なんとか平静なふりをして堪えながら、じっと部長を見ていると、部長の瞳が徐々に輝きを放ちだしたので、小桜はぎょっとした。 引き気味に見守っていると、光の粒子たちが最高潮にその瞳に集結したとき、感極まったように部長が言った。 「小桜くん……部活動がお休みのときでも我が部のことを考えてくれるなんて、 僕は嬉しいよ!!」 部長は拳を握りしめて「なんて部活思いなんだ! なんて部活熱心なんだ!」と 涙を流すのではないかというような勢いで感動に浸っている。 もちろん小桜はそういう意味で聞いたわけではなかった。 しかし、何も言わないでおくことにした。 それは恥ずかしくて身が持ちそうになかったのと、もうひとつは視界の端にある ものが映ったことにより、唐突に活動日誌の必要性を感じたからだった。 からん、と音を立ててグラスの中で氷が崩れる。 テーブルにはいつの間にか先程注文したドリンクが置かれていた。 それを見つけた部長が、驚きと喜びが混ざったような歓声を上げた。 「すごいよ小桜くん! 本当にいつの間に粗茶だよ!!」 「はい。さすがに私も驚きました。……部長、妖怪フェアを取材する、という活動はこの夏にやるべきではないでしょうか」 「君もそう思うかい? 不可思議事象研究部、次の活動内容が決まったね!」 「食事が終わったら、取材させていただけるかをお店の方に聞いてみましょう」 「そうしよう!」 プライベートで来たはずなのに、結局、部活の話をしている。 二人で出かける前までは、やたらと部活以外で部長に会いたいという思いがあったが、こうしていると、あまり関係なかったのだと思えた。 部活だろうがプライベートだろうが、部長に会える時間が増えるのなら、どちらでも構わなかったのだ。 なぜならいまは、こんなにも次の活動日が楽しみになっているのだから。 なんだかんだこの部に染まりきっている自分に気がついて、小桜はふっと息を漏らした。 (今度からは部活動関係なく連絡ができるから、それはまあ、嬉しいけれど) なんて考えて、心の中の自分の思考に気恥ずかしくなった小桜がドリンクを手に取った部長に続いてグラスを持ち上げると、コースターにはデフォルメの可愛らしいタッチでしめしめとほくそ笑む、ぬらりひょんのイラストが描かれていた。
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