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まだ時間も早く、周辺の店も開いていない。俺たちは自販機で飲み物を買って、大学構内のベンチに座った。明日香はホットミルクティーの蓋を開けずに、手を温めるように両手で握っていた。
俺がなんと切り出すか迷っていると、明日香の方から口火を切った。
「どうして会いに来たの?」
「……そりゃ、来るだろ。あんな一方的に別れるとか言われて、納得できるかよ」
「惜しむほど、私に執着してなかったでしょ。大学で彼女ができなかった?」
からかうような口調に、俺はむっとした。あながち間違っていないので、余計に。
「はぐらかすなよ。俺は、別れた理由を聞きに来たの。俺なんかした?」
思い返しても、何かをした記憶はない。けれど、もしかしたら明日香には不満があったのかもしれない。そうだとしたら、言って欲しい。言われなければわからない。察することは、得意じゃないのだ。
「何もしてないよ。私が、もういいかなって思ったの」
「いいかなって何だよ」
「もうおしまい、ってこと。いいじゃない。隼人くん、私のこと別に好きじゃなかったでしょ?」
俺は息を呑んだ。そりゃ、確かに、告白した時は嘘だったけど。それでも、付き合う中で、俺はちゃんと明日香のことを好きになった。それは伝わっていると思っていたのに。
傷ついた俺は、訂正するのではなく、傷つけ返すことを選んでしまった。
「明日香だって、俺のこと、そんなに好きじゃなかっただろ」
俺が告白した時、明日香は喜ばなかった。別に、俺のことを好きだったわけじゃないはずだ。断れなかったから受け入れた、それだけ。だったら、もういいという言葉も納得だ。付き合いきれなくなったのだろう。
けれど、明日香は傷ついたような顔をしていた。
「だったら、お互い、これ以上話すこともないよね。改めてお別れってことで。ばいばい」
明日香が席を立とうとした。思わず手を掴んで、引き留める。
「いや、そうじゃ、ねぇんだって!」
馬鹿か俺は。何しに来たんだ。明日香を、取り戻しに来たんだろ。
「俺は、ちゃんと明日香のこと好きだったよ!」
明日香が、驚いたように目を丸くした。
「そりゃ、白状すると、告白した時はそうでもなかったよ。でも明日香と付き合って、本当に好きになった。だからずっと一緒にいたかったし、いられると思ってた。俺がなんかしたなら、謝るよ。嫌なとこがあるなら、できるだけ、直すから。言えよ。なんも言わずに消えるなよ。俺どうしようもねぇじゃん」
縋るような言葉に、情けなさから俯いてしまう。でも、他にどうしようもない。俺は、捨てられた側なのだから。
「……そういう、まっすぐなところ、好きだったよ」
明日香の言葉に、顔を上げる。明日香は、泣きそうな顔で微笑んでいた。
「私を呼ぶ時、絶対名前で呼んでくれるところとか。いつも荷物持ってくれるところとか。美味しい物食べると、必ず一口くれようとするところとか。負けず嫌いなところとか。下心が隠せないところとか」
後半は悪口じゃねぇの、と思いながら、俺は黙って聞いていた。明日香は付き合っている間、俺に好きだと言ってくれたことはなかった。
「そういうところ、好きだった」
「なら、なんで」
「好きになったから、別れたの」
は? と俺は言葉を失った。
「告白してきた時、私のこと好きじゃないのはわかってた。だからOKしたの。お互い好きじゃないから、傷つけあうこともないと思った。ちょうどよく、私の寂しさを埋めてくれるんじゃないかって。私にとって、都合が良かったの」
告白を受けてくれた理由を、初めて知った。付き合い始めた頃に聞いていたら怒ったかもしれないが、今はどうでもいい。明日香の寂しさを俺が埋められていたのなら、嬉しいとさえ思う。
「でも付き合っていく内に、隼人くんのこと好きになった。好きになったら、怖くなった。私なんかに付き合わせていることに。私なんかじゃ、隼人くんのこと幸せにはできない。だから別れたの」
意味がわからなかった。だって告白したのは俺の方からなのに。なんで、明日香が付き合わせている、なんて。
「それ、俺の気持ちは置き去りじゃん。俺が、明日香とじゃ幸せになれないなんて、言った?」
「だって、隼人くん、告白の後は一度も好きだって言わなかったから。結局、私は練習台だったのかなって。女の子は、他の女の子のお墨付き、好きだもんね。それでも良かった。隼人くんを幸せにしてくれる、素敵な彼女ができるなら」
言われて、俺は初めて気づいた。明日香だけじゃない、俺だって一度も好きだと言っていなかった。告白の時は好きではなかったのだから、あれはノーカンだろう。これは、俺が気持ちを口にしてこなかったことの結果なのだ。
「さっきも言ったけど、俺は明日香のこと好きだよ。今まで、ちゃんと言葉にしなかったのは……ごめん。でもそれは明日香もだし、お互いさまってことでさ。ちゃんと両想いだったんだから、これからは何も気にすることないだろ」
俺の言葉に、明日香は首を振った。
「好きな人には、幸せになってほしいの。私、こんなだから。隼人くんのこと、不幸にする。今だって、わざわざこんなところまで来させて、こんな面倒なこと言って。もう振り回したくないの。だからごめん、帰って」
俺は大きく溜息を吐いた。確かに、面倒だ。なんで俺がここまでしないといけないんだ。勝手が過ぎる。
それでも。明日香がいい、と思ったから、俺はわざわざこんなところまで来たのだ。
「好きだよ」
泣き出す寸前の目と、視線を合わせる。
「俺は、明日香が好きだよ。不幸にするってんなら、俺だって大概だけどさ。明日香が隣にいてくれたら、俺はちょっとだけマシな男になれるから。俺のためにも、一緒にいてよ」
「でも」
「俺が、こう言ってるの。俺のことは俺が一番わかってる。俺の幸せについてなら、明日香より俺の言うことが正しい」
明日香が黙った。それを見て、俺は明日香を抱きしめた。久しぶりの感触だ。懐かしい、温かい、柔らかい。見た目は少し変わったけれど、香りは変わっていなかった。明日香だ。やっと、彼女に会えた気がした。
「――好きです。俺と、付き合ってください」
あの日の告白を、やり直そう。今度は、ちゃんと心から出た言葉だ。今度こそ。最初から、大切にしてみせるから。
腕の中で、明日香が泣き出した。
「返事くれないと俺帰れねーんだけどぉ」
あごで頭をぐりぐりと押すと、明日香が軽く笑った。
「私も、好きです。よろしくお願いします」
あの日望んだ答えに、俺は満足げに笑って、キスを一つ落とした。
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