落ち人たちと胡乱なる医者

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 僕が意識を取り戻したとき、そこは屋根の下だった。  身体中が痛んで寝返りを打つことも出来ない。特に右腕が酷い。なんとか頭を傾げて視線を向けるとそこには上腕半ばから先が無く、代わりに包帯が綺麗に巻かれている。  領主のお嬢様ひとりを連れて戦火を逃れようとした僕と相棒のアドニスは追手の激しい追撃を受けて重傷を負い、お嬢様と三人で森の中をさまよっていた。  僕の記憶はそこまでだ。  ここはどこで、他のふたりはどうなった?  手足を少し動かしてみるが拘束はされていない。よくよく見ればとなりの寝台にアドニスが寝かされている。その両目を覆うようにしっかりと巻かれた包帯が容態の厳しさを物語っているような気がした。  まあ今はこんなやつのことはどうでもいい。守るべきお嬢様を探してさらに視線を巡らせる。  あまり上等とは言えない板張りの作りの部屋。採光と換気のためだろう、大きめの窓が開け放たれていて、それでも十分に薄れたとは言い難い血の匂いが吹き込む風に渦巻いている。  寝台は自分たちが寝ているふたつの他にもうひとつ。しかし、あれを寝台と呼ぶべきだろうか? 高さもあるしどちらかと言えば大きめのテーブルのような……よく見れば多量の血の跡がある。あれはそうか、治療台だ。つまりここは病院かどこかということか?  治療台の足元に籠があり、そこから棒のようなものが突き出ている。妙な胸騒ぎを感じながら更に目を凝らす。  少し幅広の棒は先のほうが折れ曲がっていて、五つに細く枝分かれしてそれぞれが曲線を描いている。見たことのある傷がある。訓練のときに酷い怪我を負った名残の傷痕……あれは。  あれはだ。  視界が赤く明滅するほどに心臓が脈打ち呼吸が浅くなる。叫びそうになるのを寸前で堪えて歯を食いしばった。落ち着け、落ち着け、切断したのだから別にそこに在ったところでなにもおかしくはない。利き腕を失ったのは大きな損失だったがそんなことを嘆いていられる状況じゃない。そうだ、僕にはお嬢様を守るという使命がある。今は状況把握に努めるんだ。利き腕はもう無い。あれは二度と戻ってこない。 「僕の……腕が……」  口から零れるように、枯れた小声で呟く。だめだ、どうしても考えてしまう。寝台に沈み込むように頭が、心が重くなる。目の奥が熱くなり大声を上げたい気持ちが込み上げてくる。  見習いとはいえ僕だって騎士の端くれだ。くそ、使命を全うしろ! 感情を圧し潰すように固く目を閉じて、振り切るようにゆっくりと身体を起こした。寝台に埋もれていてはなにも出来ない。 「お、目を覚ましたか坊主」  僕が葛藤していた(あいだ)にだろうか? 気付けば部屋の扉が開きそこそこ身体の引き締まった中年の男が覗き込んでいた。顔色はあまり良くなく髪は短く雑に切られている。 「あの、ここは……?」 「ここは森の奥にある“まつろわぬ民”の村さ。三日前に村の猟師が近くで倒れてるのを見つけてな。もうひとりは大きな怪我も無いから別の部屋を使ってるがお前らは命に関わる重傷ってことで俺が預かった」  “まつろわぬ民”、税も払わず兵役も負わず、代わりに街や村には住めず法の庇護も得られない、世界中の野に住む無法の民たちの総称だ。森の中にその集落のひとつがあると噂では知っていたけれど、偶然にもそこまで辿り着いていたらしい。 「助けていただいてありがとうございます。私はカーライル、もうひとりいた彼女の……ええと、使用人のようなものです」  一般常識としてはお互いの身分を明かすためにフルネームで名乗りあうのだが“まつろわぬ民”は家名を持たない。敵意が無いと示すためにもここでは村の流儀に従おう。  僕はいつもの外面(そとづら)で礼を述べる。 「礼は最初に見つけた猟師に言ってやんな。俺はザイオン。そうだな、流れの医者みたいなもんだ」  医者は必要な道具も薬も高価で希少なのでコネや付き合いが大事でおいそれと転居も出来ない仕事だ。だから流れの医者なんてものはか有力者の不興を買って追放されたかだろう。 「ま、挨拶はこのくらいにしといて傷を見せて貰うぜ」 「はい、ありがとうございます」  彼は器用に包帯を解くと傷になんらかの薬液を塗布して新しい包帯を巻く。少し不安だったが、治療のときにちらりと傷口を見ると腕は雑に切断されたわけではなく丁寧に切り離されたのだろう、縫合した跡も綺麗なものだった。騎士団所属の医師にも引けを取らない腕前だ。のようだが本物の医者に違いない。 「そうだ、お嬢さんにも礼を言っとけよ。お前らふたりの包帯を替えるたびに洗って干してんのも、この消毒と鎮痛剤作る野草摘みに行ってんのもあの子だからな」  おいおい領主のお嬢様になんてことさせてるんだ! と頭の中で絶叫したが、僕たちの立場について詳細に語るのはまだ避けたいので、なんとか顔に出さず愛想笑いを浮かべておく。  ザイオンは同じ要領でアドニスの治療をすると「もう一晩くらいはここで安静な」と告げて、僕の右腕が入った籠に気付くと「しまった」という顔をして手に取って部屋を出て行った。患者に見せるものじゃないくらいの意識はあったらしい。大事なことなのでうっかりしないで欲しい。 「カーライル、今の男どう思う?」  そこまで意識が無いと思われたアドニスが横たわったまま口を開いた。今の治療で起きたのだろうか。 「腕は確かですね。だからこそ逆に何故こんな村に居るのか気になるところですが」 「そうだな……」 「とりあえず僕らはお嬢様の使用人とだけ言ってあります。お嬢様に相談はしますけれど、僕は身分を明かすべきでは無いと思っています」 「了解だ。その辺は任せるぜ」  意思の疎通を済ませて一息ついたところで、窓の外に駆けて来る姿が見えた。薄汚れたとはいえそれでもなお美しい白金の髪は見間違いようもない。お嬢様だ。 「カーライル! 気が付いたのね!」 「ええ、お嬢様。アドニスも今しがた」  アドニスもゆっくりと身体を起こして声のしたほうへと一礼した。 「このたびは最後まで我らの責任で安全なところまでお送り出来ず不甲斐ない姿をお見せしてしまいました。申し訳ございません」  本来ならば僕とアドニスでこの村まで辿り着くべきであり、倒れるなど許されなかったのだ。三人が命を拾ったのは本当に偶然と幸運の産物で、これは騎士ならば不徳としなくてはならない。  しかしお嬢様はそうは思わないだろう。だから「そんなこともういいわ」と涙ぐむ彼女に対して穏やかに「ありがとうございます」とだけ返す。  感動の対面もそこそこに、僕らが意識を失っている(あいだ)のことを彼女から聞き出す。  お嬢様も名乗りは名前だけで姓と立場は明かしていないとのことだった。賢明なお方で助かる。ここは領主様も存在を承知していたが直々に黙認された“まつろわぬ民”の村で、領民とも浅く友好的な付き合いがあるのだそうだ。ザイオンは数年前からこの村に住み着いた流れ者で、病人や怪我人の世話を出来るので強い発言力を持っているらしい。  この村に着いてすぐに意識を取り戻したお嬢様は、僕らの治療と引き換えに否応なく雑用を申し付けられたのだとか。あの男はいつかシメる必要がある。 「村長の孫娘のケリィが色々教えてくれたから大した苦労はなかったのだけど……。それから、お城がどうなったのかも聞いたわ」  隣領との境界問題について調印に赴いていた騎士団長と特使以下全員がその場で殺害され、不眠不休で行軍して来た敵兵によって一切の情報が無いまま急襲された城は即日陥落。貴族は皆殺しになり、特に領主夫妻とその親族は見せしめというにも惨たらしい最期を遂げたらしい。  恐らく彼女は口にするのも辛いだろう内容だったが、とつとつと語ってくれたのは義務感故だろうか。 「やはり、私はこの場で身分を明かすべきではないと思います」  僕は声の震え始めた彼女の話を意図的に遮った。 「そうね……ここのひとたちは悪いひとではないと思うけれど……」 「それでも、知られればどこから漏れるとも限りません。そうすれば領主の遺児を追ってここにも兵が来るかもしれない。教えないのは彼らのためでもあります。なにとぞ、ご理解を」  僕の言葉に彼女はしばし逡巡してから深く頷いた。
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