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翌日、病室、というかザイオンの小屋から寝台がみっつある少し大きめの小屋へと移された。お嬢様と同室など許されることではないが、待遇をとやかく言える立場ではない。
僕たちは様子を見に来たケリィに頼んで村長に挨拶をさせてもらった。バラバラに事情を問われるより三人揃っているときに説明を済ませておきたかったからだ。
お嬢様は城下町に住んでいた商人の娘で自分たちは年が近いので護衛や遊び相手を任された使用人だということにした。戦火に巻き込まれて城下町を脱出したものの敵兵に襲われ、暴走した馬が森に突っ込んでしまい今に至ると。
村長は僕の言葉を黙って聞き、時折穏やかに相槌を打つだけだった。彼は「望むならいつまでいても構わない」「他に子供が居ないのでケリィとは仲良くしてやって欲しい」とだけ言ってそれ以上の多くは語らなかった。
僕らは部屋へ戻ると輪になるように寝台へ腰を下ろした。
「もう、帰るところは無いのね」
黙って頷く。その通りだ。僕たち家臣が不甲斐ないばかりに。
「これから、どうしたらいいと思う?」
今日までの数日よほど心細かったのだろう。領主の娘であることを隠し、瀕死の僕らふたりの容態を案じ、ただそこで生きているだけのことが酷く不安だったに違いない。
やはり彼女に与えられるべきは安全と安心だと僕は思う。
「このように申し上げるのは心苦しいのですが……友好的だった隣領へ庇護を求めてもどのような扱いを受けるかわかりません。名を捨ててどこか遠くの町で平民として静かに暮らされるほうが、恐らくは安全でしょう」
これは騎士団員なら見習いだろうと事前に知らされている最終手段だ。貴族や騎士の家系に連なる非戦闘員は有事の際にはいくつかのツテがある町へ落ち延びて平民として生きるように取り計らう。
彼女は驚いたように目を見開いたあと、静かに視線を落とす。
「もし……私がそうするなら、あなたたちも一緒に来てくれる?」
お嬢様は不安げに問い返して来た。その言葉には僕よりも早くアドニスが答える。
「平民として生きるのであればこんな身体の俺たちは足手まといでしょう。もちろんどこか良い土地が見つかるまではカーライルが送りますよ」
こうなった場合アドニスは連れていかない。昨晩のうちにふたりで決めておいたことだ。彼女の移動は絶対に足がつかないように、出来得る限り迅速に行われなくてはいけない。
お嬢様は再び視線を上げて僕らふたりを見据えた。その眼差しには強い決意が漲っている。
「もし、私が領の跡取りとしてお父様とお母様の仇を討ちたいと言ったら……ふたりはついてきてくれる?」
気丈な彼女がそう言い出す可能性も昨晩のうちに考慮してアドニスと話し合っていた。この場でなにが本当に正しくて、なにが間違っているのかは誰にもわからない。だからなるべく悔いが残らないように、なるべく迅速に決断出来るように、いくつかの可能性を打ち合わせてこの場に臨んでいる。
「それはお嬢様、茨と呼ぶも生ぬるい修羅の道になるでしょう」
淡々と返した僕に続いてアドニスが口を開く。
「それはお嬢さん、地に這い泥水を啜って平民に嘲り笑われる道になるだろうよ」
僕らは最後の騎士、いや、領の家臣として、いかな屈辱も甘んじて受け、いつか必ず報復する。アドニスとそう決めた。だからもしお嬢様が僕らに同行するというのであれば、彼女は主君となるけれども、同時に覚悟を共にする同志でもあって貰う。
僕らの脅しのような言葉に、けれども彼女は凛と答えた。
「そうね。でも我が身可愛さに全部に目を瞑って生きるなんて、領主家の生き残りとしてあんまりにも無責任だわ」
部屋が静寂に支配される。
「もう守るべきものはなにも無いけれど、それでもまだ私を主としてくれるのなら、あなたたちの力を貸してちょうだい」
彼女はあくまで僕らの主として立とうというのか。
無論私怨もあるだろう。彼女ひとりで出来ることなどなにもない。まあ僕らがいたところでなにが出来るというわけでもないけれども、それでも。
僕の小さな溜息を聞き取ってアドニスが立ち上がる。こうなったら僕らの行動は決まっている。
ふたりして彼女の前に跪くとはっきり宣誓した。
「「ならば、たった今よりあなた様こそが我らの主です。なんなりとご命令を」」
「ありがとう、ふたりとも……」
お嬢様の感極まった声。
そしてそれを砕くかのように小屋の扉が二回叩かれた。会話を聞かれたのではないかと室内に緊張が走る。
「お嬢さんがた、さっきの今で取り込み中だったら悪いんだが村長がお呼びだ。ちょっと全員で来てくれねえか」
声の主はザイオンだった。特段変わった様子もない声色に三人で顔を見合わせてほっと息を吐く。
部屋を出て村長の小屋へと向かおうとすると彼は行く手を遮って「こっちだ」と裏手の茂みを指差した。集落の広場を通りもせず村長の呼び出しにも関わらずその小屋へ行くわけでもない。僕とアドニスの中で警戒度が跳ね上がる。けれどもなるべく表情には出さないように、言われるまま彼の後に従う。
相変わらずお嬢様に手を引かれているアドニスは後ろの警戒としては少し不安があるが、いざとなれば身体を張って彼女を守る手はずだ。前からの襲撃であれば僕が対処する。
いったいなにがあったのか。そんな僕たちの不安をよそに連れて行かれた先には村長と孫娘のケリィが待っていた。
「あの、これはいったい」
「実は、ほど近い街道から村へ向けて兵隊が向かっておるようでして」
やはり追手が掛かっているのか。どうする? 考える間もなく村長が続ける。
「なにもないとは思うのですが、念のため対応が終わるまで裏山にでも隠れておいていただいたほうが良いかと思いましてな」
つまり村人にもあまり見られないように気を使って裏手へ回らされたということか。彼らの善意を疑ってしまい申し訳ない気持ちになるが、自分の使命を考えれば恥ずべきではないと思い直す。
「それで、ついでと言ってはなんですがケリィも一緒にお願い出来ればと。なにぶん村で唯一の子供でございますし、山や森の案内も出来ますので」
「お気遣いありがとうございます。ええ、ええ。そういうことでしたらお預かりしますとも」
村長は愛想良く答えた僕の手を取って強く握りしめた。枯れ木のような老人とは思えないほどの、強い意志を感じる手だ。
「孫娘のことを、どうかくれぐれもお願い致します」
少し態度が軽すぎただろうか。反省すると彼の手を握り返して頷く。
「はい、お任せください」
「悪いが時間が圧してるんでな、早く行ってくれ」
ザイオンに急かされて、僕ら四人は茂みをかき分け裏山へと足を踏み入れた。山道からは村を一望出来たが、斜面に生える低木の葉に遮られて下から視認されることはなさそうだ。
「私はここで村の様子を伺っておきますので、先に上がっていてください」
村の様子は誰かが確認しておいたほうが良いだろう。そしてこの四人なら間違いなく適任者は僕だ。三人と落ち合う場所を確認して木の幹に隠れるように偵察用の遠眼鏡で村を見下ろす。
村には武装した兵士たちが十人ほども獣道から入ってきていた。村人たちが遠巻きに見守る中、村長とザイオンが隊長と思しき男と話し込んでいる。声は聞こえないが穏便に終わりそうだな、そう思った矢先、村長が袈裟懸けに斬られた。
あ、っと思う暇もない。ザイオンが槍で突かれて倒れ、他の兵士が村人に矢を射かけ小屋に火を放つ。合理的に考えても勿論行くべきではないが、どの道ここから駆けつけてもなにもかもが終わった後だろう。僕は歯を食いしばって村の監視を続けた。こちらに来る兵があれば駆け上がって合流しすぐさま逃げなくてはいけない。
恩人たちが惨殺されていく現場を眺めて無力感に苛まれながら、ふと村長の態度を思い出した。彼は領主様とも面識があるという。お嬢様の髪色は領主様と同じ白金で、これは貴族の中でもかなり珍しい。ケリィを預けたときの態度もそうだ。
恐らく彼は、僕らが何者か気付いていて、これから村が迎える運命も察していたのか。
最初から正直に協力を願い出ていても村長はきっと助けてくれただろう。なのに彼は演技と言うにも稚拙なその場しのぎの口裏合わせに、僕らなりの真剣味を感じてか黙って付き合ってくれていたのだ。
今更気付いたところで、もう僕に出来るのは彼らが皆殺しになって村が跡形も無くなるまでじっと見守ることだけだった。
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