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 **** 「――契約を延長してもらうことは可能だろうか」  目の前に座る夫、カーティス・ハウエルが静かに、しかしどこか縋るような切実さを帯びた声で言った。 「え?」  ダリルはカーティスの言葉に目を見開いた。聞こえなかったわけではない。むしろ屋敷は夜の静寂に包まれ、今この世にいるのはカーティスの書斎にいる自分たちだけではないかと錯覚するほどに静かだった。  しかし、それでも聞き返してしまうほどに、カーティスの言葉は予想外のものだった。  契約、と聞いて彼との間で思いつくものはひとつだけだ。ハウエル公爵家当主と元使用人、このあまりに身分の違う二人を繋げる婚姻関係である。  確かに二人は婚姻関係にあるが、それは一年だけ――彼の息子、カイルが全寮制の王立学園に入学する今日まで、のはずだ。契約という言葉通り、そこに恋愛感情は一切なく期間限定の仮初の関係である。  それこそ、先ほどまで二人で今日学園に入学したカイルとの思い出話に花を咲かせていたのだ、このままきれいに関係を終えるものだと信じて疑わなかった。 「……えっと、契約、というのは、この婚姻関係についてでしょうか?」  念の為、ダリルは確認した。 「ああ、そうだ」  戸惑うダリルに反してカーティスは冷静に頷き返す。ダリルの困惑はますます深まるばかりだった。 「あの、どうして、延長を……?」  そもそも一年だけという条件を出したのはカーティスの方だった。しかも二人の結婚を望んだのはカイルであり、その彼はもうこの屋敷にいない。  はっきり言って、この婚姻関係を延長する意図が分からなかった。 「あ、もしかして、学園の行事などで両親の参加が必要なのですか? それなら、いつでも呼び出してくれれば駆けつけ――」 「違う」  ダリルが言い切る前に否定するその声は鋭く、少し苛立っているようでもあった。  よく見れば、眉間にも薄っすらと皺が寄っている。 (何か悪いこと言っただろうか……?)
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