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「こんな処で良かったかな?」
不安そうに訊く岡野主任に、笑みを返す。大手の居酒屋チェーン店の自動ドアをくぐる。ずっと修司の店ばかりだったから、俺には新鮮だった。
ひとつひとつのテーブルが間仕切りされていて、半個室になっている。
「今日は俺の奢りだから、好きなの頼んで」
岡野主任が微笑んで、メニューを俺の方へ向ける。
「あ、いえ、そういう訳にはいきません」
ご馳走してくれると言う岡野主任に、顔の前でブンブンと手を振った。
「自分の不備だったのに、わざわざ営業部まで来て頂いて… あ、自分にご馳走させてください!」
そうだ、それが正しいだろう、と思ったが入社一年目の俺が差し出がましかっただろうかと、一瞬固まる。
「そんな、それこそそんな訳にはいかないよ」
はっはっはっと岡野主任が愉快そうに笑ったので、俺は紅潮して頭をポリポリと掻いた。
「春名君はいつもきちんとしているから、珍しいなと思った」
いえ、と軽く首を振って微笑んだ。
とりあえずビールと、何品かつまみを頼む。話しが弾み、会社の色んな人達の事が聞けた。決して悪口ではなく、「あの人にはこういう風に接するといい」とか「アイツは言い方がキツいけれど根はいい奴なんだ」など、有難い情報をたくさんくれた。
入社八年目で今年三十歳になるという主任、結婚はしていないようだった。
「今日は本当にご馳走様でした。美味しかったです」
「うん、良かったらまた行こう」
「はいっ!」
楽しかった時間で、思わずそう答えた。
翌週末、営業から戻り部署に向かう途中、廊下で後ろから声を掛けられた。
「春名君!」
「岡野主任!お疲れ様です!」
軽く頭を下げて、笑顔で挨拶をした。
「今日も、どうかな?飲みに行かないか?」
「はいっ!是非っ!」
先日の居酒屋での時間が楽しかったし、料理も美味しかった。いや、料理は修司の方が美味しいか、とふと思い出したが、修司の事を忘れていた事に気付く。
「じゃあ、連絡するよ… あ、連絡先、聞いていい?」
「はい、じゃあ… 」
メールの交換をした。部署に戻り報告書をまとめたら今日は終わりなので、定時には上がれそうだった。
「お待たせ」
エントランスで待っていると、岡野主任が小走りでやってきた。
「いえ、自分も今来たところです」
「じゃあ、行こうか。今日はさ、美味しいすき焼きの店に招待するよ」
「え!?すき焼きですか!?」
寒くなり美味しい季節になってきたけれど、財布の中を少し心配した。
顔が少し引き攣ってしまっていたのか、
「心配すんなよ、俺が出すから」
笑いながら背中を叩かれる。先日もご馳走になったのに、そんな訳には行かなかった。
「そ、そんな駄目です!先日だってご馳走になったんですから!」
歩く足を止め、慌てて首と手を振った。ご馳走するよ、駄目ですよ、と何度かやり取りが交わされ
「そうか… じゃあ、ラーメンにするか?」
俺の財布事情を察して、そう言ってくれた。でも、すき焼きは食べたい… と思う。修司の所に行っていないし、お金もそんなに使っていなかったからたまにはいいかと思い始めた。
「すき焼き!行きましょう!」
鼻息荒く答えると、岡野主任は吹き出して笑った。
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