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看板はもう下がっていて、店は閉めたようだった。カチャッという音が立ち扉を開けると、
「あ〜すいません、もう店… 」
店を閉めた、と言おうとしてこちらを見た修司と目が合った。
完全な無視だった。
スッと俺から視線を逸らして片付けを続けている。
想いを告げようと思った。何と言われても、『修司を好きだ』と、告げようと思って店に戻った。
「修司… 」
俺の声掛けに、ピクリともしない。テーブルを拭いたり椅子の位置を直したりと、フロアに出て来ているのに俺は全く修司の視界に入っていなかった。
「しゅ、修司、あ、の… 」
もう一度声を掛けてみたが、修司の態度は一向に変わらない。
そのうちに、修司のスマホの着信音が鳴り響く。
「あ、もしもし?メグミ?」
女から。
「着信気付いた?悪りぃな、折り返し貰って」
俺に背を向け電話を続けた。
「ああ、うん、じゃあ、マンションの下で待ってて、なるべく早く行く」
電話を切り、まるで今気付いたように修司が俺を見た。
「あ?どうした?忘れモン?」
「い、や… 」
すっかり強張っている顔で、俺は漸く笑顔にすると、何も言わずに店を出た。
いつもなら平気な顔が出来た。何も気にしていないという顔が出来ていたのに、今日は辛かった。
女との電話のやり取りを聞いただけで、胸が張り裂けそうだった。
想いも告げられない。
何故だか彰さんに申し訳なくて、自分が情けなくて涙が溢れた。
また暫く、なのか、これから先もずっとなのか分からないが、修司の店に行くのは遠慮した。メグミさんという人と、今は愉しんでいるのだろう。
さぁ、俺はどうする?
修司からの
『たまには飲みに来いよ』
のメールが来たら、やはり行くのか?そんな事を考えながら毎日を過ごした。
今日は… 外回りの予定を見て、少し笑った。
○△物産、野口さんが受付をしている会社訪問の予定があった。そうだ、何か美味しいお菓子を買って行こうと思う。小さなすったもんだがあって、野口さんには気を悪くさせてしまったかも知れない。
✴︎✴︎✴︎
「春名くんっ!」
黙っていれば綺麗な野口さんが、大きな声を出して手を振る。
「こんにちは、これ、良かったら… 」
「え〜っ!これっ!銀座の『バウムッシュ』じゃない!?」
目と鼻の穴が同じ位に開いている。webで見て人気のバームクーヘンのようだったから、これにしたのだが、気に入って貰って安心する。
「修司の件は、申し訳なかった」
頭を下げると、
「ぜ〜んぜんっ!」
そう言うと左手を綺麗に揃えて、俺の顔の前に差し出した。その薬指には小さな宝石が付いた指輪が輝いていた。
「え?」
「彼からプロポーズされたのっ!」
「そ、そうっ!?」
おめでとう、と言わなければならないのに、野口さんのあまりの勢いにそんな風に言ってしまった。
「ねぇ!春名くん、今夜って予定ある?」
「あ、特にないけど… 」
「じゃあ、飲みに行かない?」
「あ、っと… 」
修司の事が頭にチラついたが、そんな事はもうどうでもいいだろうと思って一人笑った。
でも二人で飲みに行くって彼氏さんは大丈夫なのだろうかと心配になる。
「彼氏さんは大丈夫なの?」
「え?全然っ!大丈夫!」
当たり前じゃない、なんで? という感じで答えられ、そんなものなのかと俺は小さく首を傾げた。
「では、行こうか?」
「うん!じゃあさ、後で連絡するから!お店、どこでもいい?」
任せるよ、と言って野口さんの会社を後にした。考えてみたら女性と二人で飲みになんて初めてで、相手は結婚が決まっているとはいえ、ほんの少し緊張する自分に笑う。
空は曇天。
もうすぐ鬱陶しい梅雨に入る頃だった。
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