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猛暑日が二十日以上も続いているとニュースで言っていた。これ以上続くと、もうすぐ記録更新になるらしい。
外回りにもなかなかの覚悟が要る。
会社のビルを出る所で後ろから声を掛けられた。
「春名君!」
声を聞いて分かった、岡野主任、彰さん。
周りを見て誰もいない事が分かると傍に走り寄ってきて『慶人』と呼んだ。
「お疲れ様です」
頭を下げた。
「元気?」
「はい、暑いですね」
微笑んで返した。
「俺さ、関西支社に転勤になるんだ」
「えっ!?」
人事異動の時期ではない、急な欠員を補う為に彰さんが異動になるらしい。でも、係長になる栄転だと聞いてホッとする。
「いつからですか?」
「もう、明後日には向こうに行く」
「急、ですね… 」
「うん、でも先週には決まってたから。慶人に知らせる機会がなかった」
何とも言えない感情に包まれた。
勿論、あれから二人で会うことはなく、社でも顔を合わせれば挨拶をする程度で過ごしていた。
「慶人、元気でな」
穏やかな笑顔。彰さんと何も無かった頃の様に、普通に笑ってくれる。
「はい、岡野… 彰さんも… 」
俺が『彰さん』と呼んだのが嬉しかったのか、顔を綻ばせた。
「俺だって慶人に負けない位に良い人を見つけるからな!」
腕をパンパンと叩かれ、少し戸惑った顔をしてしまう。
「あ、向こうには工場もあるからな、ちょっと期待しちゃうな」
はははと笑うので、俺も笑ったが引き攣ってしまった。
「彰さんなら、良い人が必ず見つかりますよ」
本当にそう思った。こんなに優しくて出来た人、絶対に良い人が見つかる筈だと思った。俺なんかには勿体無い、そう思ったら自然に笑顔になれた。
「何だよ、少しは嫉妬くらいしてくれよ!」
俺の胸をぐーで軽くポンポンと叩くと、
「幸せにしてる?」
心配そうな顔で訊かれた。
「はいっ!」
笑顔で答えた。見栄を張った訳ではない、彰さんに心配を掛けたくなかっただけだ。でもそんな嘘はバレていただろうけれど
「うん、良かった。元気でな」
笑顔で俺に言った。
「はい、彰さんも、お体に気をつけて」
うん、と俺の肩を二度ほど叩くと、静かに摩って微笑んだ。
暑い、容赦なく太陽が照り付ける。何件か回った後、水分を摂ろうと涼みついでに駅ビルへ入った。
ベンチに座り、テイクアウトが出来る珈琲店で買ったお気に入りのアイスカフェラテを飲む。この暑さの為か、ベンチで休む人も多く、皆、吹き出した汗を拭いながら、しかめっ面で座っている。
ブッ、とメールを知らせるスマホの振動に、カバンから取り出して画面を見た。
『たまには飲みに来いよ』
俺は笑うしかなかった。
本当に修司、君って人は…
くっくっくっと笑いを堪えながら、メールを開く事もせずに削除した。
修司の電話番号も、二人で行った海の写真も全部、何もかも削除して、
俺は両手で顔を覆って、人目も憚らず号泣した。
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