1038人が本棚に入れています
本棚に追加
それから何日も、つまらない日々を過ごした。就職の内定も貰い、単位を落とさない様にして卒業を待つだけ。卒業まで何かアルバイトでも始めようかと、ふっと頭を過ぎるが行動に移せない。
榊の事が頭から離れなかった。
『また店に来てくれよ』
そう言っていた。いや、社交辞令だろう。
行ってどうする?時が経てば忘れられるだろう、もう会わない方がいい、想いが報われる事は絶対に無い、また傷付くだけだ、切なくなるだけだ、何度も頭の中で繰り返された。
『会うな』と自分を守りたい俺が囁いている、歯を食いしばり頭を掻きむしった。
カチャっと少し重たい木の扉を開き、中からの音楽が聞こえてきた瞬間、胸が詰まる感覚と、頭から思考が飛んだような、ふわふわとした感覚が入り交じり、変な気分になった。
やはり、来てしまった。
「いらっしゃ… 春名ぁーっ!」
すぐに俺に気付き、カウンターから飛び出し抱き付いてきた。
やめろ、スマホで撮る女子はもういないぞ、心の中で呟きながらも高鳴る胸の鼓動を抑えられない。
こんなお出迎えだとは予想だにしなかったので、用意していた話す内容をすっかり忘れてしまった。
「こ、この間は途中で帰ってすまなかった。」
この挨拶は覚えていた。あとは何だったか… 何で話を繋げようとしただろうか、抱き付かれた驚きで頭が真っ白になり思い出せない。
「まったくよー、春名帰っちまうから、つまんなかったぜ!」
ニコニコの顔で榊は、左手を俺の肩に乗せ、右手で身体中をパンパンと叩きながら言った。
「まぁ座れよ」
カウンターの椅子を引くと俺の両肩に手をやって座るようにと下に押した。
「何飲む?」
カウンターの中に戻りながら、嬉しそうに訊く。えーっと、と考えると
「俺さ、最近カクテルとか作ってんだよ、どう?」
「あ、じゃあ、お願いしようかな」
「いや、でもまずはビールだよな!」
顔の前で手をぶんぶんと振って笑う。何なんだよ、と少し眉を顰めたけれど、歓迎してくれているのが分かって、途轍もなく嬉しくなる。
半分以上埋まっている席をチラリと見て、なかなか繁盛しているんだな、と感嘆する。
「あら?修司のお知り合い?」
綺麗なモデルさんの様な女性がカウンターの奥から現れた。
一緒に働いているようで、黒の首掛けエプロンを前で結んで着けている、その女性が榊の横に立って訊ねる。
そうだ、何でそんな事も想像出来なかったんだ。
榊に彼女がいない訳がないだろう、胸が激しく締め付けられた。
最初のコメントを投稿しよう!