引き寄せのシンデレラ

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 なんでこんなに虚しいのだろう?  夢も叶った。贅沢もできる。地位も人気もある。でも、どうして心は満たされないの?  夜中、私はベッドに腰かけ、窓の外を眺めていた。窓からは薄明りが差し込む。  今夜は満月。雲もなく、いつもより大きくて丸い月が怪しげに光っていた。  虚しい気持ち。寝れない夜。そして満月。私は突然、既視感に襲われる。  「こんばんわ」  突然の声に、私は振り向く。そこには見覚えのある老婆がいた。老婆は黒のとんがり帽子をかぶり、黒のマントを羽織っていた。  老婆を見て私は叫ぶ。  「あっ、魔法を使えない魔法使い。ニセモノ」  「だ、誰がニセモノだ」と老婆はキレた。  私はこの老婆に二度会っていた。会っていたのに、思い出すことはなかった。なぜか分からないが記憶からすっかり抜け落ちていた。しかし老婆の顔を見て、会ったことを鮮明に思い出す。  一回目に会ったのは、あれは私が八歳のときだった。    私のお母さんは、私が物心つく前に亡くなった。病気だった、と聞いている。だから私には、お母さんと楽しく過ごした思い出がない。思い出どころか、お母さんの顔すらはっきりと思い出せない。  だけど私は、寂しい思いをあまりしていなかった。なぜなら私には、優しいお父さんがいたから。お父さんは、私が一人で寂しくならないように、できるだけ一緒にいてくれ私を楽しませてくれた。  しかしあの日は違った。その日は、お父さんが仕事の関係で、丸一日、家を空けることになった。私は一人で留守番を任された。  お父さんは、いままでは私が小さかったから、日没までに仕事を終え、家に帰ってきた。私が成長し、一人でも留守番を任せられると思ったのだろう。 ~~~~~~~~~  「本当に大丈夫かい?」とお父さんが訊いてきた。  「子供扱いしないで。私はもう大人よ」と私は答えた。  お父さんは、心配そうに顔をしたまま仕事に出掛けて行った。  私は一人でも平気だった、ベッドに入るまでは。  ベッドに入り寝ようとしたとき、急に寂しさに襲われた。寂しさから逃げるように布団の中に潜り込んだ。でも目を閉じても、その日は全然眠れなかった。  私はあまりにも眠れないので、一度ベッドから起き上がった。窓辺に近づいてカーテンを開けた。カーテンを開けて、星空を見たかった。  カーテンを開けてまず私の目に飛び込んだのは、大きな満月だった。  「こんばんわ」  突然の声に、私は振り向く。そこには老婆がいた。老婆は黒のとんがり帽子をかぶり、黒のマントを羽織っていた。  「きゃ」。私は咄嗟に悲鳴が出た。「誰?あなたは」。私は老婆に訊ねる。  「私かい?私は、そうだな…、私は魔法使いだよ」    「魔法使い?」  「そうだよ。あなたの望みを叶える魔法使い」  「望みを叶えてくれるの?」  私は魔法使いの言葉にウキウキした。なぜか老婆のことを、怪しい人物だと疑うこともしなかった。それよりも寂しかった時間が、誰かと話しができることが嬉しかった。  「なんでも望みを叶えてあげましょう。あなたの望みを言いなさい」と魔法使いは言った。  私は考えた。私の憧れている世界を。  「大きな家に住んでいて、そこにはお父さんがいて、他にもいろんな人がいて、みんなで遊んだり、踊ったりして、毎日楽しく暮らしているの」  私は自分の望みを、身振り手振りを付けて魔法使いに伝えた。私は喋っていると自然と笑みがこぼれてきたし、魔法使いも私の話を笑顔で聞いてくれた。  「あなたはお姫様になりたいのね」と魔法使いが訊いてきた。  「そう。私はお姫様になりたいの」。私は魔法使いの言葉に納得した。私はお姫様に憧れていたのだ。皆の中心にいるお姫様に。  「では、望みを叶えてあげましょう」と魔法使いが言う。  私は姿勢を正す。  「いつも、お姫様を演じてなさい」  「えっ?」。私は魔法使いの言葉に理解が追い付かない。「どういうこと?」  「演じなさい。これが魔法よ」  「演じる?」  「そうよ。なりたい自分を、今この瞬間から演じればいいのよ。お姫様になりたければ、お姫様を演じなさい。立ち振る舞いから言葉遣いまで、お姫様ならどうするかをイメージして演じるの。それが魔法よ」    私はがっかりした。私はてっきり魔法をかけてもらうと、今すぐにお姫様になれると思っていたので。さっきまで感じたウキウキが急速に(しぼ)んでいく。  「あら?どうしたの、急に元気が無くなったわね?」と魔法使いは言った。まるで私の心を見透かすように。  「だって、今すぐにお姫様になれないんでしょ?」  魔法使いは声に出して笑う。「それはそうよ。だってあなたまだ子供じゃない」  「私は子供じゃなわよ。もう大人よ」。私はムキになって言い返した。  「あらそう?大人なら一人で留守番ぐらいできるわよ。さっきまであなた、一人で寂しくて泣きそうだったじゃない?」。そう言うと、魔法使いは再び声に出して笑った。  私は耳が熱くなった。恥ずかしかった。寂しいのがバレていたようだ。  「まあまあ、そんなに焦らなくても、じきに大人になれるわよ」。魔法使いはそう言うと私の頭を撫で、髪の毛をくしゃくしゃにした。「もう一回、言うわよ。お姫様になりたいのなら、お姫様を演じなさい。演じて、自分をお姫様だと信じなさい。信じたとき、魔法は発動するわ」  「信じる」と私は小声で呟く。  もちろん、私はお姫様になりたい。お姫様を演じることも楽しそう。でも自分のことをお姫様なんて信じれるかな?だって私は普通の家で育っている、普通の女の子。お姫様とでは身分が違いすぎるもの。  「自信がないの?」と魔法使いは訊いてきた。とても優しい声だった。  私は、コクッと小さく頷く。  「だったら、あんたを信じてくれる人を見つけなさい。そして、その人に『私はお姫様』と伝えなさい。自分が信じれない分は、あなたを信じてくれる人が補ってくれるわ。誰か、あなたを信じてくれる人いる?」  私は考える。すぐに、お父さんの顔が浮かんだ。お父さんは、私をいつも信じてくれる。  私はもう一度コクリと頷く。今度は大きく頷いた。  魔法使いは私に向かって微笑んでくれた。「それは良かったね」と言ってくれた。  魔法使いは(ひざまず)き、私の目を見つめて言った。「信じることが魔法。信じれば叶う。信じたことが現実」。そして私を抱きしめた。魔法使いは私の耳元で、何やら呪文のようなことを(ささや)いた。あまりにも小さな声だったので、私には上手く聞き取れなかった。 ~~~~~~~~~     窓から朝日が差し込む。私は朝日の眩しさに目が覚めた。  どうやらカーテンを開けたまま、いつの間にかベッドで寝てしまったみたい。  私は全く、魔法使いのことを忘れていた。忘れていた、というより、そもそも魔法使いと会ったことすら無い、そんな感覚になっていた。  ただ、いい夢を見たのだけど内容は思い出せず、心のウキウキは残っている。当時はそんなふうに思っていた。  魔法使いのことは忘れていたのだけど、私は次の日から、お姫様を演じていた。演じることが心地良かったし、演じたくて仕方が無かった。  お父さんにも話をした。お父さんも、私をお姫様のように扱ってくれたし、私をお姫様だと信じてくれていた。元々、可愛がってもらっていたが、それだけでなく、勉強や習い事をやらせてもらった。お姫様としての教養や礼儀も、きちんと指導する徹底ぶりだった。  私は毎日が幸せだった。朝起きるたびにウキウキした。今日も新しい何かを手に入れられるような感覚で毎日を過ごした。  しかし、その幸せは、ずっとは続かなかった。  私のお父さんは再婚をした。私に家族が増えた。新しいお母さんと二人のお姉さん。しばらくは家族で仲良く暮らしていた。お父さんが仕事でいないときも、私も寂しさを感じることはなくなった。    しかし悲劇というのは突然にやって来る。  お父さんが仕事の移動中、馬車が誤って谷底に落ちてしまった。お父さんはそのまま帰らない人になってしまった。  お父さんが亡くなって、みんなが悲しんだ。私もだけど、お母さんもお姉さんも、私と同じように悲しんだ。しばらくはお互いで慰め合った。  でも段々と私と家族との仲が歪んできた。  お母さんは自分の娘二人を可愛がり、私をいじめるようになってきた。  初めのほうは、お姉さん二人は褒めるのに、私は褒めてくれない。そんな些細なことだった。次第に、ご飯のおかずの多さが違ったり、お姉さんにだけ新しい服を買ったりと、あからさまな態度になっていった。  最終的には、私はいつもボロボロの服を着せられ、部屋は汚くて小さな屋根裏部屋に移らされた。そして毎日の家事をさせられた。炊事に洗濯、掃除、お母さんと二人のお姉さんの世話は私の仕事になった。  毎日が辛くて悲しかった。寂しくて情けなくて毎日、声を押し殺して泣いていた。毎日、毎日、助けて下さい、と神様に祈った。  そしてもう一度、あの魔法使いに会ったのは、私が十三歳のときだった。  あの日も満月だった。前と違ったのは窓だった。顔も出せないような小さな窓。もちろんカーテンなんてものはない。そんな小さな窓に、大きな満月が押し込められたように、ぴったり全体が映っていた。 ~~~~~~~~~     「痛っ。低い天井ね、頭ぶつけたじゃない」  突然の声に、私は振り向く。そこには見覚えのある老婆がいた。魔法使いだ。魔法使いの黒のとんがり帽子は、完全に折れ曲がり、天井の(はり)に押しつぶされていた。    私はこの老婆を見たことがある。魔法使いだ。一度会っていたのに、今まで思い出すことはなかった。なぜか分からないが記憶からすっかり抜け落ちていた。しかし魔法使いの顔を見た途端、会ったことを鮮明に思い出す。  「やれやれ、また泣いてたのかい?」と魔法使いは言った。  私はすぐに袖で涙をぬぐった。「ちょっと、目にゴミが入っただけよ」と強がって見せた。  「そうかい。まあ、こんなに汚い部屋だとゴミも目に入っちゃうね」。魔法使いは、床を手で払い、少し綺麗にしてから腰を下ろした。「ところで、今もお姫様をちゃんと演じているかい?」  私は耳を疑った。私はボロボロの服を着ていて、汚い屋根裏部屋に住んでいるのに、よくそんな無神経なことを訊いてくるのだと憤りを覚えた。  「お姫様なんて演じられるわけないでしょ」と私は声を荒げた。  「どうして?」  「そんなの見たら分かるでしょ。こんな惨めな生活してる私が、お姫様を演じれるわけないでしょ」  「だから、不幸な自分を演じてるわけかい?」と魔法使いは訊いてきた。  不幸を演じる?私のこと何も知らないくせに。  「演じてるわけじゃない。お父さんが亡くなって、私はお母さんから意地悪されて、みんなの世話は全部やらされて。これが不幸じゃなければ、何が不幸なのよ」  私は怒りながら泣いていた。自然と涙がこぼれてきた。  「そうね。辛かったわね。よく辛抱したわね」  魔法使いは手を伸ばし、指先で私の涙をぬぐってくれた。    私は久しぶりに誰かに優しくされた。私は(せき)が切れたように、どうどんと涙が溢れてきた。終いには、声を上げて泣いた。魔法使いは私の頭を抱えるように、抱きしめてくれた。  私はしばらくの間、泣いていた。思いっきり泣いて、少し気分がすっきりした。  魔法使いは、泣き止んだ私の頭に手を置き、髪を優しくなでてくれた。  「さっきは、ひどいこと言って、ごめんなさいね」と魔法使いは謝った。「あなたが辛いことは知ってたわ。でも、その辛さを乗り越えて」  「乗り越えられないわ。毎日毎日、こき使われてるんだもの」  「でも、ちょっと、一回考えてごらんなさい。あなた、お父さんの二人だけで暮らしているとき、家事は誰がやっていたの?」    私は昔を思い出す。そういえば、家事は私がやっていた。掃除、洗濯、炊事、家のことは全て私がやっていた。お父さんの役に立てるのが嬉しくて、自ら進んでやっていた。  「あなたは家事が嫌いなわけじゃない。苦手でもない。どちらかと言えば好きでしょ。綺麗にすることや美味しいものを作ることが、あなたは好きなのよ」と魔法使いは言った。  魔法使いの言葉に衝撃を受けた。確かに、お父さんと一緒に生活していたときは、家事を楽しくやっていた。なぜ、今はこんなに辛いの?  私の心の声に反応するように、魔法使いは答えを教えてくれた。  魔法使いは人差し指を立て、「まず一つは、やらされてるから。やらされてると思ったら、何をしても辛くなるわ」と言った。人差し指の次に中指も立てた。「二つ目は、嫌々やってるから、余計嫌になるのよ」  「でも……」。私は言い訳をしようとした。  「あなたの言いたいことも分かるわ」。魔法使いは、私の言い訳を制止させた。「あなたが掃除しているとき、他の家族は遊びに行って楽しんでる。自分がボロボロの服を着て洗濯しているとき、他の家族は新しい服を買っている。そんな家族のために家事をするのは嫌だよね」  魔法使いの言葉に、私は黙って頷く。  魔法使いは話を続けた。  「でも、あなたはまだ子供。この家から出て行けない。あなたが大人になってこの家を出るまで、この、こき使われる生活から逃げることは出来ない。だったら覚悟を決めなさい。あいつらの言いなりで動いてるわけではなく、自分の意志で動いている。そういう態度で生活してごらんなさい」  私の心に炎が灯った。負けるもんか、という気持ちになった。    「やっと良い表情になったわね」と魔法使いが褒めてくれた。「辛いと感じたら、より一層、家事に集中しなさい。辛い気持ちすら入らないくら没頭するのよ。そして、できることなら、愉快な自分を演じなさい。いじわるされたら、鼻歌でも歌ってやりなさい」  魔法使いはヘンテコな鼻歌を歌い、陽気な表情で、座ったまま体を左右に揺らし踊った。私は可笑しくて、クスクスと笑った。  しばらく鼻歌を歌っていた魔法使いだが、突然に止めた。そして何か思い出したかのように喋り出した。「そうそう、新たな魔法を忘れるとこだった」    魔法という言葉に私は一瞬、心が躍った。しかしすぐに冷静さを取り戻す。どうせこの魔法使いのことだから、大した魔法ではないとなんとなく分かってしまった。  「あなた、神様に助けを求めるの止めなさい」  さきほどまで陽気な顔をしていた魔法使いだったけど、今はいたって真剣だった。  「なぜ、神様に助けを求めては駄目なの?神様なんていないって言いたの?」  私は聞き捨てならなかった。お父さんがいなくなった今、神様だけが私の心のより所だったので。  「前にも言ったけど、あなたが信じたものが現実よ。だから神様を信じたとき、そこに神様は実在する。ずっと存在するわけではなく、あなたが助けを求めたときだけね」  「だったら神様に助けを求めたっていいじゃない」  「でも残念なことに、神様は人間界のことよく分かってないの。人間の楽しいとか辛いとか、幸せだとか不幸だとか、そういうことが理解できないの」  「理解できない?」  「そう、理解できないの。でも神様も呼ばれると嬉しいの。人間に信じてもらい存在したいの。だから自分を必要とした現象を、もう一度その人に向かって起こさせるの。例えば、困っている人が神様に救いを求めたら、神様は呼ばれたことが嬉しくて、その人にもう一度困った現象を与えるの。そうすれば再び自分が呼ばれる、って神様は思うわけなの」  「そんな……」    「でも神様に悪気があるわけではないの。ただ人間のことを上手く理解できてない、おっちょこちょいなのよ」。魔法使いは突然笑顔になった。「でも安心しなさい。ここからが魔法よ。感謝するのよ。神様に助けを求めるのではなく、神様には感謝するの。奇跡を起こしてくれて、ありがとう神様、って言うの」  「奇跡なんて、そんなの起きてないんだけど」と私はため息を吐きながら答えた。  「バカね、何でもいいのよ。晴れたなら、お日様の暖かさにありがとう。雨が降れば、水の恵みをありがとう。他にも、風が気持ち良い。空気が吸える。食べ物がある。全て神様が起こしている奇跡って考えればいいのよ。ほんの些細なことでも神様に感謝しなさい」  「それが魔法なの?」  「そうよ。奇跡をありがとう、って神様に言う。神様は自分を必要として現象を与える。神様は奇跡をもう一度その人に向かって起こさせる。そして神様も、たまにバグって、とてつもない奇跡を起こしちゃうものなのよ」  言い終わると、魔法使いはガハハと笑いだした。私は、言ってることが怪しくて、疑いの目を向けていた。  私の視線に気づいた魔法使いは付け加えた。「あなたが信じたことが現実よ」と。    さらに魔法使いは付け加えた。「あなたは、もうお姫様になれないと信じてる。今がこうだからといって、未来のことは誰にも分からないのに、お姫様になれないと自分で決めている。でも、今こんな状況でも、あなたのお父さんさんは、きっとあなたのことを信じてるわよ、お姫様になれるって。それでもあなたは自分のこと信じられないわけ?もし自分のことが信じれるようになったら、一日一分でも一秒でもいいから、お姫様を演じなさい」    初めは怒ったし、泣きながら否定した。お姫様なんて演じられないっと。でも、お父さんのことを出されたら、私は何も言い返せない。だって、本当のことだから。お父さんなら、いつも私を信じてくれる。  魔法使いは座ったまま私に近づいた。私の目の前まで来て、私の目をしっかり見つめて言った。「信じることが魔法。信じれば叶う。信じたことが現実」。そして私を抱きしめた。魔法使いは私の耳元で、何やら呪文のようなことを(ささや)いた。    私はこのとき咄嗟に、神経を耳に集中した。理由は分からないが、魔法使いの言葉を聞き逃さないようにっと、直感が働いた。  魔法使いの声は小さかったが、かすかに聞こえてきた。  「私はあなたを信じてる。あなたも私を信じなさい。私は……」    あまりにも小さな声だったので、途中からは上手く聞き取れなかった。 ~~~~~~~~~   小窓から朝日が差し込む。私は朝日の眩しさに目が覚めた。  いつもなら朝が憂鬱なのに、今日は違った。朝日が心地良かったし、気分が晴れやかな気持ちになっていた。太陽に感謝せずにはいられないほどに。  もちろん私は、魔法使いのことを忘れていた。忘れていた、というより、そもそも魔法使いと会ったことすら無い、そんな感覚になっていた。  ただ、いい夢を見たのだけど内容は思い出せない。でも心のモヤモヤを晴らしてくれるような夢。当時はそんなふうに思っていた。  魔法使いのことは忘れていたのだけど、私は家事を自分から進んでやり、作業中はそのことに没頭した。嫌なことを考えられないくらい忙しくした。そして家族がいないときなんかは、鼻歌を歌ったり、踊ったり、楽しみながら家事をした。  もちろん辛くなかったと言えば嘘になる。夜になると、寂しくて泣くこともある。でもそういうとき、必ず、お父さんの顔を思い出し、勇気を貰う。  そういう生活が約三年間続いた。私が十六歳になったとき奇跡が起きた。  私の目の前に、魔法使いが現れた。今度は正真正銘の魔法使いだった。老婆と違う魔法使い。  あれは国の王子様が花嫁を探すため、国中の十六歳以上の未婚の女性を舞踏会に招待した時のことだ。  私もその舞踏会に参加したかった。でも服はボロボロ、ドレスもない。こんな格好では舞踏会に参加できないと、途方に暮れていた。  そんなとき、突如、私の目の前に魔法使いが現れた。黒いとんがり帽子をかぶり、黒いマントを羽織っていた。歳は四十か五十くらい。グラマラスでセクシーな女性だった。きっとこういう人が、美魔女と言われる人なんだろう、と私は感心していた。  「シンデレラ、こんなところで悲しんで、どうしたの?」と魔法使いは訊いてきた。  私は説明した。舞踏会に行きたいのに、こんなボロボロの服では行けないっと。  説明を聞いた魔法使いは、「私が魔法をかけてあげましょう」と言った。  魔法使いは呪文を唱えると、持っていた杖から光が輝いた。すると、かぼちゃが馬車になり、ねずみが白馬に変わった。私のボロボロの服も、綺麗なドレスに変わり、靴もガラスの靴に変わった。  魔法使いは私に言った。「いいシンデレラ、魔法の効果は今夜十二時まで。それまでには帰りなさい」と忠告した。  私は綺麗なドレスで舞踏会に参加した。そこで私は王子様に見初められた。  そして私は王子様と結婚し、私は王女になった。 ~~~~~~~~~  なんでこんなに虚しいのだろうか?  夢も叶った。贅沢もできる。地位も人気もある。でも、どうして心は満たされないの?  夜中、私はベッドに腰かけ、窓の外を眺めていた。窓からは薄明りが差し込む。  今夜は満月。雲もなく、いつもより大きくて丸い月が怪しげに光っていた。  虚しい気持ち。寝れない夜。そして満月。私は突然、既視感に襲われる。  「こんばんわ」  突然の声に、私は振り向く。そこには見覚えのある老婆がいた。老婆は黒のとんがり帽子をかぶり、黒のマントを羽織っていた。  私は老婆の魔法使いを見て、過去二回会ったことを鮮明に思い出す。  老婆を見て私は叫ぶ。  「あっ、魔法を使えない魔法使い。ニセモノ」  「だ、誰がニセモノだ」と老婆はキレた。  怒っている老婆に、私が会った本物の魔法使いの話をした。かぼちゃを馬車にしたり、私の服をドレスにしたり、舞踏会の話を説明した。  「どう?これが本物の魔法使いでしょ」  私は自分が魔法でも使えるような気分で自慢げに言った。  老婆は鼻で笑った。「そんなの大したことないわね」と言った。  「じゃあ、あなたもそんな魔法が使えるの?」と私は少し怒った。  「半日も持たない魔法でしょ。しかも、魔法使わずとも、お金があれば解決出来るじゃない、馬車とかドレスとか」  私は腹が立った。自分が魔法を使えないからって、私を助けた本物の魔法使いを侮辱するなんて。「魔法のおかげで私は王女様になれたのよ」と私は大きな声で言ってやった。  「いやいやいや。その魔法使いがやったのは、舞踏会に参加したい、という、あなたの希望を叶えただけでしょ。王女様になれたのは、私の魔法でしょ。お姫様を演じる、っていう私の魔法の、お・か・げ」  老婆は胸を張り、自慢げに言った。先ほど私が自慢げに言ったのが、よっぽど癪に障っていたのだろう。  私が言い返せずに黙っていたら、老婆はすかさず付け加える。  「それに、あなたが言う本物の魔法使い。どうして舞踏会の日に偶然に会えたの?それって奇跡なんじゃない?私が教えた、神様に奇跡を起こさせる魔法のおかげでしょ。結局、私が教えた魔法のおかげで、その本物の魔法使いとやらを呼び寄せたのよ」  背中の曲がっていた老婆とは思えぬほど、老婆は自慢げに胸を張っていた。  「言い返せないようなら、私のことをちゃんと魔法使いと呼びなさいね」と老婆は言う。  私は、もう面倒だと思ったので、老婆の言うことを聞くことにした。  「ところであなた、さっきは浮かない顔をしていたわね」と魔法使いが言った。  私はギクリとした。嫌なところを見られたのかもしれない。私は「何でもないの」と言って誤魔化した。  「そんなことないでしょ。何か気になることがあるんでしょ。言ってごらんなさい」  「何でもないの、本当に」  「言ってごらんよ」  「何でもないわ」  「いいから、言ってごらん」  「何でもないから」  こんなやりとりが、あと五回ほど続いた。私は観念するように話をした。  私は王女になって生活して、最初のうちは気分が良かった。毎日が夢のような生活だった。綺麗なドレスを着れて、美味しい食事が食べられて、フカフカのベッドで眠りにつける。  でも、それだけだった。私のするべきことがなかった。食事の準備に掃除、その他もろもろ城の中のことは、メイドや執事がする仕事。私の出る幕ではない。  いや、王女になって、するべき仕事はあった。訪問者への対応。私は王子様の隣に座り、訪問者の面会に付き添う。しかし私は、ただ座っているだけ。上品に、おしとやかに、お人形さんのように座るっているだけだ。  私は次第に物足りなさを感じていた。お城の中にはありとあらゆる豪華な物が溢れているというのに。  私の悩みを魔法使いに伝えると、魔法使いは一つため息を吐き、「贅沢な悩みね」と言った。  分かってます、分かってます、自分でも分かってます。だから言いたくなかったのに、あなたが無理やり言わせたんでしょ、と私は訴えたかった。  「だったら、やりたいことやればいいじゃない」と魔法使いは付け加えた。  「だから、やりたいことが分からないの」  魔法使いは呆れた表情をした。「何でもできるのに、一つもやりたいことが分からないなんて、変な話」と言った。  的を射てる言葉に、私は何も言い返せなかった。  「まあ仕方ないことね。あなたは自分のこと、何も知らないんだから。だから、まずは自分のことを知ろうとしなさい」と魔法使いは私に命令した。    自分のことを知らない?そんな可笑しな話はない。私のことは誰よりも私が一番よく分かってる。そんなの当たり前なこと。  「知ろうとしなくても、自分で自分のことぐらい分かりますよ」と私は反論する。  「だったら、やりたいことが分からないなんて、あり得ないわ。自分を知らないから、今、あなたは充実してないのでしょ?」  私は反論できずにいた。魔法使いはそのまま話を続けた。  「あなたは自分の芯を分かってないの。私は何をしたいのか?どうなりたいのか?何が幸せなのか?自分なりの答えを探すことが先決よ」  私はこれには反論した。  「ちょっと待って。幸せを求めてきたから、今、王女になれてるんですよ」  「でも王女様になれても、幸せだと感じきれてないわけでしょ?」  「……はい」  「それは、あなたが憧れや嫉妬から選択してきたからよ。確かに、憧れや嫉妬の先に幸せだってあるかもしれない。でもあなたの場合はそうではなかった。だから外からの刺激に目を向けるのではなく、自分の内に耳を傾けるのよ」  「自分の内に耳を傾ける?」  「そう。自分の中にある、自分にとっての幸せを見つけるの。そして見つけた自分の幸せから全てを選択すればいいの。外からの憧れや嫉妬、ましてや恐れや不安から選択では幸せになれるわけではないの。でも、自分の幸せを知っていれば、その幸せのために選択すればいいの。だって幸せの先には幸せしかないのだから」  私は素朴な疑問を訊く。  「でも、どうすれば見つかるの?その自分にとっての幸せは」  「まず焦らない。答えをすぐに求めない。そして、目を閉じて、自分の呼吸に意識を向けるの。毎日毎日、それを続けるの。すると、答えはいずれ訪れるわ。心の声が教えてくれるの」  「たった、それだけ?」  「そうよ。でも答えが訪れたときに否定しないこと。自分には無理だとか、私は女性だからとか、王女として恥ずかしいとか、迷惑かけるとか、そういうことは一切考えないで、とりあえずは心の声に従いなさい」  魔法使いは真剣な目で私に訴えかけた。私は黙って頷いた。    魔法使いはニコリと笑った。そして続ける。「幸せじゃないと感じたら。何度も何度も、立ち止まっては、心の声に耳を傾けなさい。その都度、方向転換すればいいのよ。そして、いずれ自分にとっての幸せが見つかると信じていなさい」  魔法使いは、私に近づいた。私の目の前まで来て、私の目をしっかり見つめて言った。「信じることが魔法。信じれば叶う。信じたことが現実」。そして私を抱きしめた。魔法使いは私の耳元で、何やら呪文のようなことを(ささや)いた。    私はこのとき咄嗟に、神経を耳に集中した。理由は分からないが、魔法使いの言葉を聞き逃さないようにっと、直感が働いた。  魔法使いの声は小さかったが、かすかに聞こえてきた。  「私はあなたを信じてる。あなたも私を信じなさい。私はあなた。あなたは私。全てが上手く行っている」    小さな声だったけど、やっと最後まで聞き取れた。 ~~~~~~~~~   大きな窓から、朝日が差し込んできた。私は朝日の眩しさに目が覚めた。カーテンを閉め忘れていたようだ。もちろん私は、魔法使いのことを忘れていた。    私はベッドから起き上がり、大きな窓を開けた。  窓を開けると、心地良い風が吹いてきた。私は目を閉じ、深呼吸をする。風と一緒に空気を大きく吸った。そして、体の中にあった空気を全て吐き出す。  私は何回も深呼吸を繰り返した。  私の未来に、新しい自分が待っているような気がした。  
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加