第8章 白雲、蒼穹を奔る

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 浦賀を出港して一夜を海上で過ごした羽代の船団は、夜明けと同時に帆が上げられて航行を再開した。  昨日に引き続き、快晴の天気と適度な南風に後押しされ船団は予定通りに駿河湾を一日で渡った。羽代城を少し行き過ぎた辺りで船首を返し、陸へむけて航路を取る。その辺りで日が暮れたが、羽代の城下町の灯がちらちらと遠目に見える岩礁に錨を下ろすと羽代の港から船がやってきた。  荷船への荷の積み替えや、船番所や羽代城から寄越された伝令とのやり取りが絶え間無く続き、その夜は徹して船の着岸の準備が行われた。  浦賀を出航して三日目の朝、明るくなると羽代城も城下町も思っていたより間近だった。浜に出てこちらを見ているらしい人影も確認できる。  (かもめ)よりも小柄で軽やかに夏の海を飛ぶ真白な鯵刺鳥(あじさし)が、キリキリと高い声で鳴きながら船の周りを舞い飛び始めた。漁から帰った漁船と間違えているのかもしれない。  弘紀は江戸屋敷から持ち帰った白銀の地に鳳凰の刺繍が施された陣羽織を身に着けて、田崎を先頭とした羽代城の出迎えの船に乗り移った。 「弘紀様、ご無事のお戻り何よりでございます」 「田崎、頼んでいたことは」 「すべて予定通りに。港の建設も、砲台の設置も終えています。今日、これからすぐにでも大砲を置くことが可能です」 「ではこの船から直接大砲を山の上に持っていけ」  田崎が平伏して承諾の意を示した後、弘紀の背後に付く修之輔の姿をちら、と見た。弘紀が田崎に云いたいことはいくつもあったが、今は当主の帰国を祝う場だった。御座船に乗っていた藩士たちも次々に迎えの船に移っていく。  田崎は、弘紀の母、環姫がかつて嫁した伊勢の高位の神職の家に縁がある者だった。母の初婚の相手は婚礼の後すぐに病死し、だが母は黒河藩の実家に戻らず、そのまま先々代の羽代当主であった弘紀の父に嫁した。田崎は生国を棄てて母の護衛の任に付き続け、羽代の藩政にも関わるようになっていった。  その母のことを、くろさぎという者は日輪の巫女と呼んだ。  修之輔は月狼とも、狂狼とも呼ばれていた。巫女と狼は黒河に伝わる伝説だという。それを昨年、弘紀に教えたのは田崎だった。だが田崎はその伝説をより詳しく知っている筈なのに、以降は固く口を閉ざしている。  ならば自分で調べてみる必要がある。修之輔と自分に暗い影をもたらす黒河のその伝説を。  弘紀はそう思った。  背後の修之輔がこちらの背中を見守る視線を感じながら考えをまとめる弘紀の耳に、不意に、大きな水音が聞こえてきた。なにか大きな荷物が船から海に落ちたような。  振り向くと、弁財船から外田や小林が海に飛び込んでいるところだった。 「着いたぞ、羽代だ!」 「帰ってきたぞう!」  半ば泳ぎながら浜に向かう彼らに浜から駆け寄る人影があった。 「外田さん、もうちょっと船が近づいてから降りて下さいよ」 「おお木村、久しぶりだな元気だったか!」  他にも家臣の家族が浜まで出迎えに来ていて、一帯は華やかな祝賀の雰囲気に浮き立っていた。  ふと弘紀は身に着けている陣羽織の裾が引かれた気がした。見ると確かに修之輔の指が片方の裾を軽く引いている。 「秋生、何か」 「弘紀も海に飛び込むのではないかと心配になったので」  そんなことはしない、と言い返せないのは、ちょっとは動いていたその心を見透かされたから。弘紀は修之輔の手を軽く握って、裾から指を外させた。  一瞬、周囲の日が陰る。  二人して頭上を振り仰ぐと、羽代城に棲みつく海鷹、(みさご)が、当主の帰還を歓迎するように白い翼を七月の空に広げ、ゆっくりと空を舞っている姿が見えた。  ―――――  一八六四年七月十八日、京都に集結していた長州藩士が御所に向けて発砲。会津、桑名、そして薩摩藩による追撃を受けて長州へと敗走した。禁門の変と呼ばれるこの事件の後、二回の長州征討を経て幕府の権力は急激に衰えていった。  一八六七年一月、最後の将軍となる徳川慶喜が第十五代の征夷大将軍に就いた。この年の十二月に慶喜は朝廷に大政奉還し、二百六十五年続いた江戸幕府は終焉を迎えることになる。
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