第1章 青嵐の予兆

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 羽代城は、海へと伸びた小さな半島に築かれた海城である。  天守こそ今は失われているが、城郭は戦国の時代の面影を色濃く残す。城内二の丸には藩主公邸を兼ねた二の丸御殿があり、漆喰の土壁などは持たない完全な木造ながら、堅牢な威容を誇っている。  羽代の海は沖に強い潮流があり、知らずに近づいた船は舵を取られて思いもよらない場所へ流される。季節によっては岩礁へぶつかる潮目も現れるので、この海を知らない他所の船は迂闊に陸には近寄れず、天然の防御に恵まれた立地でもある。  見知らぬ船が羽代の港に着くことはほとんど無くても、海辺からは東西に行き交う荷船が遠目に見えるし、稀に異国船の姿も見える。羽代の陸には上がってこないであろうという気安さで、その日の漁を終えた漁師や時間を持て余した者達が煙を上げて水平線の近く往く黒船を浜から物珍しく眺めていたりすることも日常である。  羽代はともかく、近頃、他の国ではその異国船との軋轢が増えてきたという。異国船を排斥できない幕府の弱腰を糾弾し、ならばとイギリスやフランスと自ら一戦交える大名までいるらしい。  ただ、異人を追い払う攘夷だとか、京の都におわす帝に政を移譲するための倒幕だとか、騒いでいるのは声の大きい一握りの者達だけで、多くの大名はそのような他人同士の争いに巻き込まれずに自国の領土は自分たちで守る気構えが必要と、自らの軍備の増強に力を入れ始めていた。  そんな時勢にあって羽代藩も例外ではなく、弘紀は当主に就いてすぐ、長年にわたる家中の抗争で疎かになっていた軍の整備に向けて動き始めていた。  しかし弓矢どころか剣を持つ手もおぼつかないという羽代家中の有様に、個人の鍛錬だけでは間に合わない、家中一斉の軍事訓練が必要だということになって、長屋が撤去されて広場になった羽代城三の丸は軍事訓練を受けたことのない下級藩士、すなわち下士と呼ばれる者達の練兵が行われるための場所となった。 「時間だぞ、集まれ!」   いつもは城内に時刻を告げる半鐘が、間髪入れずに何度もごんごんと打ち鳴らされる。大きな腹を揺らしながら力任せに半鐘を叩いているのは、山崎という名の下士のまとめ役である。山崎はまとめ役というその仕事柄、多くの者に顔が効く。その顔の広さを買われて徒歩頭の任に着き、軍事訓練では下士の指揮を執ることになっていた。  先ほど慌てて長屋を出た面々の内のうち、徒士組に配属されている外田と木村は山崎が半鐘を叩いている広場の中央に向かって走り、馬廻り組に配属されている修之輔は、広場の隅、既に厩番によって数頭の馬が牽き出されている一画に早足で向かった。  途中、大きな椎の木が太い枝を横に広げたその木陰に、石垣を背にして朝永の家紋が染められた幔幕(まんまく)が張られ、日よけの傘と座床几(ざしょうぎ)がいくつか用意されているのが修之輔の目に留まる。簡素ながら戦場の本陣を模したその誂えは、弘紀と家中の重臣が今日の訓練を観覧するためのものである。そこには要職についている上級藩士が既に姿を見せていて、家老である田崎と加納は席には付かずに立ったまま、状況を調整しているようだった。  今日吹く風は微かな東の風、彼らの会話が修之輔の耳にも途切れがちに聞こえてきた。 「加納殿、儂はどの辺りにいればいい」 「西川殿はその右手の方にお座りください。けれど、席に着かれる前に、身に付けられているその脛当て、上下が逆の様にお見受けします」 「そうか、これは逆か。いや、失態失態。胴当ては大丈夫かのう、どうも腹回りがきつい」  戦の仕様に慣れていないのは、修之輔たち下士だけではなさそうだった。    修之輔がそれとなく探した弘紀の姿は幔幕の中に未だなく、正面の席は空いたままだった。気にはなったがそのまま留まるのも不自然なので、修之輔は本陣前を足早に通り過ぎた。予定の時間までまだ間がある。弘紀はぎりぎりまで二の丸御殿で執務をしているのだろうか。 「秋生、来たか」  馬廻り組の者が集まる場所に近付くと、早速、組頭から名を呼ばれた。 「遅れて申し訳ございません」 「いや、あの徒士組の奴らの脇をすり抜けてこっちまで来るのは大変だっただろう。まだ来ていない者もいる。まずは残雪を執れ」  厩番の手から修之輔に栗毛の馬、残雪の手綱が渡された。    残雪は、弘紀から修之輔が好きに使っていいと言われている馬だが、城で管理している馬なので修之輔の馬ではない。けれど内々の承知はあって、毎朝課されている馬追いや、急ぎでない伝令などの任務の時は、修之輔が優先して残雪に乗ることができる。  大人しい性格の残雪は、修之輔にとりわけ懐いているというわけではなく、どのような人間が乗ろうと従順に従う。体毛の明るい栗色と、尾花よりは色が濃くても日の光に当たると明るく光を零すの色合いが如何にも優美で見目が良いため、羽代に外から客を迎える時などは、飾られた残雪を修之輔が牽いて行くことが多い。  その残雪と対照的なのが、弘紀の愛馬である松風である。  今も一頭だけ、他の馬から離れたところに繋がれている松風の背には、朝永の家紋が入った黒漆に螺鈿の装飾が施された馬具が置かれている。鹿毛の松風の脚の逞しさは他の馬より明らかに優れていて、毛艶の滑らかさや、艶やかに梳かれた鬣からは十分な世話が施されていることが見て取れる。  だが松風の気性は見た目以上に激しくて、気にくわなければ人も馬も関係なく蹴ったり噛みついたりする。  世話をする厩番も、使役する馬廻り組も、この松風の扱いには手を焼いている。だが厩番いわく、修之輔は松風に気に入られているらしい。気に入られている、というのは厩番の勝手な言い分で、ただ噛みつかれたり蹴られたりしないだけなのだが、それだけで十分に気に入られているということらしい。  なので、松風の細かな手入れをする時には、修之輔が呼ばれて手伝うことがある。  厄介な馬だが、それでも修之輔が解した藁束で松風の毛並みを整えてやると時折目を細めたり、首筋を寄せてくるような仕草をみせる。どことなく主である弘紀を思わせるそんな様子を目にすれば、松風の世話もそう大変なものとは思えない。修之輔はこのところ、時間を持て余すたびに厩に顔を出すようになっていた。  そうなると厩番とも顔見知りになって、馬の扱いについても色々と教えられることが多くなる。最近では修之輔が番方の馬廻り頭と厩番のあいだを取り持つような仕事も増えてきた。  先日も、参勤行列での馬の配置に関する馬廻り頭と厩番の相談に修之輔は呼び出された。馬同士の相性もあるから配置を考えなければと馬廻り頭は言うのだが、問題になるほど気性が難しい馬は弘紀の愛馬である松風だけである。    当主の馬なので、参勤の行列に加わる間は身分の低い者が乗って制御するわけにはいかない。人馬いずれか松風を牽く引き役が要るのだが、人のみならず馬も松風を敬遠しており、なかなか決まらないらしい。 「秋生、残雪は松風の近くにいても大丈夫か」 「はい、馬房で隣り合っても松風とは特に問題はないようです」 「ならば口取りの徒士を用意するのではなく、松風は残雪に繋いで牽くか。秋生、道中の大半をこの馬二頭を牽いて貰うことになるが頼んだぞ」 「はい」 「参勤までに松風を引き綱に馴らさないとならんな」  当然、その仕事は修之輔の仕事になった。  そんな相談が先日あっての今日の訓練なので、残雪の手綱の後、松風の手綱も修之輔の手に寄越された。松風の手綱を残雪の鞍に繋いで二頭が前後に、あるいは並列で歩けるか、今日の訓練は初めてそれを試してみる予定になっていた。  参勤行列には騎乗のための馬だけでなく、荷を運ぶ荷役の馬も城下から徴収されて行列に入る。修之輔が残雪と松風を同時に歩かせている傍らで、他の馬廻り組衆が馬同士の相性を見ながら配置を決めているうちに、広場の真ん中あたりで徒士組の集団がやけに騒がしくなってきた。
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