第7章 漆黒の神域

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 暗闇の中を風が吹き過ぎて行く。  静謐さは失われ、轟々(ごうごう)と空は鳴る。いや、鳴っているのは海鳴りか。  闇の風に煽られることなく、対峙している人影が二つ。大きな袖は風をはらんでも雨に濡れた気配はない。 「くろさぎは、何を血迷って狂狼と配下の者の密会を酒井様へと訴えたのか」 「滅ぶのならば諸共の逆恨みだろう、見苦しいことこの上ない」 「黒河の巫女は自らの足で歩め、生きよと、あの者に伝えたのではなかったのか」 「あの者の心はすでに信仰とは別のところに捉われていた」 「ならば巫女の言葉も届かぬか。根無し草は成るべくして無へと帰したか」 「我ら闇に生きる者なれば無に帰ったところで誰も気づかぬ。永劫に明けぬ闇の中を彷徨い続け消えたことすら気づかれぬ」 「古浪殿。そなたはそれに飽いたから日の下に出ようと思ったのではなかったか」 「日の下へ出られるものは、日の光に焼かれてなお生き残ることができる者のみ。くろさぎはその器になかっただけのこと」 「日の下に出てやったことが札を撒くだけとは、くろさぎもそなたも変わらぬな、古浪殿」 「何もせぬよりはましだと思うぞ、二色殿」 「無駄な札撒き、民衆の狂乱を隠れ蓑にそなたの御師、朝廷や薩摩に近付いているとのもっぱらの噂」 「我らの御師の内、薩摩、大隅、日向を壇所(だんしょ)としている者がいるのは確かだ」  古浪の声に笑みが混じる 「薩摩の島津公は都の五摂家、近衛様を我らに引き合わせた」 「朝廷に入り込むなどと、まるで妖狐玉藻の前。古浪殿、伊勢はいったい何を企んでいる」 「世を覆すのは武の力。ならば今のうちに趨勢(すうせい)を見極めておこうと我らの考えは一致した」 「世を覆すのは、薩摩か」 「そして古の巫女の系譜。朝廷が武人よりその権力を奪還すれば、有象無象を寄せ集めるため、より強力な統治の象徴が必要となる。日輪の化身、天照大神様の有り様は民に説くこと易しく、仏と交わり民と交わる稲穂の狐がその先立ちとなろう。天照大神様の勢力は古今に通じ、稲荷神はこの国のあまねく場所に眷属を配している。朝廷と伊勢が融合することはこの国の掌握を迅速に進めることに繋がろう」 「京の帝は皇尊(すめらみこと)の依り代。皇尊は素戔嗚尊(すさのおのみこと)日本武尊(やまとたけるのみこと)に繋がる神。まさかその神と等しい存在に伊勢の天照大神を拝ませようというのか。神に神を祀らせるとは、なんたる冒涜」 「根を失くしている根無し草。繋いで生き永らえさせてやろうという心遣いだ」 「……黒河の巫女は、そもそも天照大神の依り代になるのではなかったのか」 「己の信じる神とは別の神の依り代となることを黒河の巫女は拒み、伊勢を去った。神が人に堕ちる時、その呪いも穢れも全てを負うことになる。人に堕ちた黒河の巫女のあの末路は、定められた運命だったのだ」 「呪いを躱して巫女を守る当代の月狼は既に無く、呪いも穢れもすべてが巫女一人に降りかかったか」 二色の声音に痛ましさが混じる。 「さて呪いを躱す身代わりたる存在、そなたのそれは確か天地玄黄(てんちげんおう)の二色の海蛇だったかな、出雲の御師たる二色殿」 「応々、朝を告げる白き管鶏(くだどり)を守る狐、伊勢大神宮の狐狼殿がそなたの居場所だったはず」 「天地玄黄の海蛇が崇めるのは我らに国を譲りし大国主命(おおくにぬしのみこと)なれば、さあて、仏が海の彼方に去った後、次の世を総べるのは我らの日輪、天照大神か、それとも八雲立つ出雲の大国主命が再興を果たすのか」  古老の声音には相手を揶揄(から)かう響きがあからさまにあった。  ひう、と空を裂く音がして、古浪の足下に何処かから射られた矢が落ちる。 「分かった、此度の邂逅はこれまでとしよう。だが二色殿、次にそなたと会う時は、既に時代の勝敗は決していようぞ」  辺りに一層強く風は渦巻き、そして誰もいなくなった。
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