杏山と土居の場合⑤

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(あ、ヤバイ。本当に泣く)  そう思ったときにはもう、手は濡れ始めてしまっていた。  今なら冗談で済ませられる、と泣きやもうとするのに全然止まらない。  変に力を入れているせいで喉が痛いし、肩が震えてしまっている。 「ほ、本当に泣いてるのか!? 辛いな、辛いよな……!」  先生が焦っている声が聞こえたかと思うと、温かい腕に包まれた。  優しく頭を撫でられたら、もう目の前の胸に縋るしかない。  こうなってしまえば恥ずかしいとか今更だ。  それでも出来るだけ声は出さないようにしゃくりあげていると。 「先生、いらっしゃいま、す……か……」  今、一番聞きたくない声が上から降ってきた。  先生は即座に立ち上がって、入口の方へ飛んで行った。  そういえば、ドアも開けっ放しだった気がする。 「土居! プリント集めてくれたのか。練習前に悪いな!」 「は、はい。お取込み中すみません」  戸惑っているのが感じられる生真面目な言葉が聞こえてくる。  そりゃ、先生が泣いてる生徒を抱きしめてるとこ目撃したらその反応になるよな。  どうか俺だと気が付かないでくれと祈りながら息をひそめる。 「……杏山?」  バレた。 「なんで先生と杏山が」 「ちょっと相談に乗ってただけだから、気にするな。そろそろ行かないと練習に遅れるぞ」  訝し気に聞く土居に対して、先生はやんわりとその場を立ち去るように言ってくれるのだが。 「何の相談ですか」  何故か土居は掘り下げてくる。しかも、なんだか棘のある口調になっている気がする。 (お前を勝手に好きになって勝手にフラれた愚痴だよ)  人が泣いてる理由に関わってこようとする土居に内心で突っ込んだ。頼むから早く部活へ行ってくれ。野球やっててくれ。 「そうか。そういえば、ふたりは最近仲いいよな?」 「はい」 (仲がいいとは思ってくれてたのか)  先生の問いにハッキリキッパリと答える土居。  それだけでちょっと気持ちが浮上した単純な俺だったが、この後に続いた先生の台詞でひっくり返る心地になる。 「なるほど。それなら今回の話は土居が適任かもしれない! カギ閉めて良いからゆっくり話せ。野球部には遅れるって言っといてやろう!」 「え!! 待って先生!」  一体全体、何が「なるほど」だというのか。  さっきまですごく親身になって聞いてくれていたのに、急に突き放されてしまった。  土居とふたりっきりは勘弁してほしい。相談相手にならない。  俺は自分が泣き顔であることを忘れて、先生を追いかけようと振り向く。  しかしその先では、唇を一文字に引き結んだ土居が立ちはだかっていた。  後ろ手に扉を閉めた土居がガチャンと鍵を掛ける音を、絶望的な気持ちで聞くこととなってしまう。
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