第1話 筆舌の及ばない

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第1話 筆舌の及ばない

 始まりは月暈だった。  あれは小学生低学年の、キャンプに行った時の思い出だ。 「京介ー! 見ろよ、空が金色だ!」  俺がそう言って指さした先は、とっくに夜中の時分だというのに、夕焼けに近い黄金色の空があった。幼いながらそれを神秘的だと感じた記憶がある。  京介の方はぼおっと空を眺めていた。  見惚れていたのだろう。  そうして小さく「わぁ……」と言葉を漏らしながら、彼も空を指さした。 「界人、天使の輪だ!」 「おおっ」  神秘が神秘を呼ぶように、黄金色の夜空には『月暈(げつうん)』が現れる。薄雲を通り抜けた月光が作り出すその輪を、英語ではルナ・ヘイローと言うらしい。外国住まいの長かった京介の父が、傍らでそう説明してくれた。 「なぁなぁ、見てよ界人」  たったった、と小さく地面を蹴る足音が彼の無邪気さを表していた。俺がその方を見遣ると、そこには少し小高い展望台に立ち、丁度俺の居る位置からあたかも『頭に天のヘイローを戴く』ように見える京介の姿。それを見て、俺はどうしようもなく心が躍ってしまった。 「お、俺もやりたい! 俺も!」 「ふふ。じゃあさ、もっと見つけようよ。天使の輪」  色んな天使の輪を見つけて、頭に乗せよう。そう無邪気に俺を誘う幼い笑顔は、宗教画から飛び出した美少年のように見えた。その白髪も、色白の肌も、端正な顔立ちも。黄金色の奇妙な夜空の下では、彼はあらゆる点で天使だったのだ。  始まりは月暈(げつうん)。キャンプの帰り際、山の展望台からそれを見た。薄雲がかかり、それを通って反射・屈折を起こすことで見られる現象。  次に街灯。輪を探そうと冒険を始めて最初に見つけたのは、曇った眼鏡で通した街灯の光だった。生憎眼鏡をかけた俺にしか見えない、白んだ世界の光の輪。  次に家電量販店。蛍光灯やLED灯の中には輪っかの形をしているものもあるが、「かっこよくない、うつくしくない」と俺も京介も気に入りはしなかった。  次にブロッケン現象。学校のスキー合宿が中止になりしょげていた俺達に、京介の両親が計画してくれた登山旅行で見たつけたもの。山頂で見たその怪現象に恐れおののくと同時に、共に現れた虹の輪にこれ以上ない興奮を覚えた。嬉しさのあまり俺と京介で抱き合った程だ。  初めは親同士の付き合いから知り合った仲なのに、いつしか大小様々なヘイローを探していく内に俺、『榎本界人』と『薊京介』の間には固い友情が生まれた。だがその友情は少しばかり奇妙で、俺はそれに明確な名前を付けることが出来なかった。そうした、『形容しがたい感情』を抱くようになったのだ。 「合言葉作ろうぜ」  俺がそう提案したのは、子供心に友情を確かめ合いたいから。連帯感を以て、この筆舌の及ばない感情の輪郭を明らかにしたかったからだ。 「いいね。僕たちだけの冒険だもん。秘密のヘイロー探しの」  秘密と言っても、親などにはバレていただろうし、ひょっとするとそれ以外の友人や学校の先生にすらバレていたかもしれない。ただ秘密と修飾することで、特別感を味わいたかった年頃だ。その特別感に合わせて、天使の輪のことも『ヘイロー』などと洒落こんで表現しているくらいである。 「少年、少年冒険団……うぅん」  既存の言葉と自分達を重ねながら、悩みに悩んで――しかし子供の悩みごとなどそう長くもなく、十分もしない内に京介が「あっ!」と叫んで提案した。 「少年ヘイロー!」  語感だよりの稚拙な造語に、しかし未知を求める自分たちを表したその言葉に、俺と京介は腕を振るほどにわくわくした。いいな、少年ヘイロー。合言葉は少年ヘイロー。うん、これしかない。 「じゃあ、合言葉は!」  目を輝かせて始めた俺に、京介はうんうんと頷いた。 「少年……!」  京介が続けて、最後に俺が叫ぶのだ。 「ヘイロー!」
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