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第48回 栄町編①
「いにしえ・文字通りの街・栄町(さかえまち)①」
いや、山中、大変に驚きました。幼心では、思っていたのですよ。何故、栄町(さかえまち)は、成田支線の成田から我孫子の単線区間で、自治体としては「安食(あじき)駅」しか駅がなく、田んぼや、印旛沼の自然に囲まれた地区なのに、
「栄町」(さかえてる?)
なのか?
それは、追ってわかってくると思います。ちばの、
「謎」
に迫る、ひとつの「問題提起」です。まず、この一日あった、ショートドラマにお付き合いください。
というのも、この栄町は、幼い頃からよく来ていたのですよ。自治体は「成田市」になりますが、下総松崎(しもうさまんざき)という駅から近いところに温泉施設があり、よく行っていたのです。
さらに、この下総松崎駅から歩いて行ける、自治体は「栄町」になります、
「房総風土記の丘」
という、大変な「古墳群」のある地区がありまして、よく両親兄弟と来ていたのです。
栄町(さかえまち)と言いましても、千葉市中央区にあります、「栄町(さかえちょう)」とは違います。あっちは歓楽街で、栄町(さかえまち)は、印旛沼の北、千葉県北部の自治体です。
ここが、何と古墳時代の、
「ちばの中心」
だったと知る人は、もしかしたら少ないかも知れません。今回、大変驚きました。解説していきます。
下総松崎駅を降りて、てくてく歩いて行くのですが、途中「坂田ヶ池公園」という景色のいい公園や、史跡・旧平野家住宅近くを通りながら、目指すところに行きます。どこかと言いますと、
「龍角寺岩屋古墳(りゅうかくじいわやこふん)」
なのです。ここが、ぶったまげたのです。何故かと言うと、この古墳は古代のお墓「方墳」(ほうふん)として、
「日本全国で一番大きい方墳」
なのです。この「謎」がとけないのです。何でこんなにデカい古墳がこの地区にあるの?
これが、「栄町」の「テーマ」なのです。
現地には、「旧学習院初等科正堂」に使われていた、「ものほん」の「国の重要文化財」の建物が移築されてあり、大変に綺麗です。
秋なんて来てくださいよ。コスモス咲いていて、メチャクチャ綺麗だから。よくアイドルさんのプロモーションビデオの撮影なんかに使われるのだ。本当におしゃれですよ。
この場所に、ちば県一の古墳が115基もある、「古墳銀座」の地区があるのです。それもですよ。古墳だけでありません。もっと時代が古く、貝塚や石器、土器が沢山発掘されているのです。
この龍角寺(りゅうかくじ)地区から、酒直(さかなお)地区に点在する遺跡の謎がとけない。行ってビックリしました。何しろ写真をご覧ください。龍角寺岩屋古墳です。これ、
「ピラミッド」
でしょ?どう考えても。ちゃんと三段に盛られていて、二重の堀があるのですよ。高さ13m、東西108m、南北96m、とにかくデカい。
今は、石室が盗掘にあって、何にもないことは小さい頃から親に聞かされていたから知っていたけれど、何かあれ現地へ行ったら、工事中?何だ?何で測量なんかしているの?お邪魔になっちゃ悪いと、現地のお兄さん達に、頭下げて写真を撮らせて戴いたけれど、まあいいやなんて思いながら、次の目的地、「房総のむら」と、「風土記の丘資料館」に向かったのですよ。
そしたら、房総のむら、ここ商家の街並みとか、武家屋敷が再現された、栄町肝いりの施設があるのですが、その受付の方々が大変に親切でしてね。
今日は、乗り換えに使った都賀駅の駅係員の方が大変に親切なので、いい日だな、なんて気分をよくしていたのに(18切符も大変に便利)、さらに栄町行政のかたの親切さに大変に気分がよくなっていた最中だったのですよ。
この房総のむらは、再現された建物で、そのそばに、古墳群、そして「風土記の丘資料館」があるのです。
この資料館で驚いたのです。こぢんまりとした、小さな資料館と思いはしたものの、受付の方の応対がこれまた親切でビックリし、さらにですよ、刀剣とか土器、石器、等々、やたら凄い量が展示してあるから、レプリカだと思ったのですよ。そしたら全て、
「本物ですよ」
と、言われてビックリ!本当ですか?と聞いてみたら、
「本当です」
にさらにビックリ!さらに、疑問に思ったので、さっき行ってきた「龍角寺岩屋古墳」のあの測量士の人たち、もしかして「学術調査」ですか?と聞いたら、
「その通りです」
え?本当に調査していたのですか?と、聞き返しちゃいましたよ。何と、学芸員先生がおっしゃるには、東京の日本で一番有名な私学の大学の研究チームの方々が、盗掘にあった何にも発見されなかった石室以外に、まだ石室がないかと、エコー・超音波を使って、今現在も調べている最中だ、というのですよ。それで、素朴な疑問をぶつけてみたのです。
「先生、ちばは、前方後円墳がメチャクチャ多くあり、古墳が日本一多い、何万基もありますが、何でなんでしょうか?」と。
そしたら、学芸員先生も、
「おっしゃる通り、謎でわからない」
というのですよ。今、山中さんのおっしゃった通り、管轄官庁である文化庁のほうでも力をいれて調べているのですが、謎がいまだに解明されないというのですよ。
しかし、何故に、「畿内」からこんなに離れているちばに、古墳が一番あるのか?学芸員先生や、日本で一番有名な大学の研究チームの先生方でも、
「わからない」
というのですよ。本当に不思議なのです。
「山中さん、よかったら龍角寺の方へも行ってみてください」
「龍角寺?」
そういう「寺」があるのか?そういえば、方墳の名前も「龍角寺岩屋古墳」。これは、
「行くしかない」
山中は、本当に親切な資料館の受付の方、警備員の方、学芸員先生に感謝し、言われるままに、その、
「龍角寺」
と言われる地区に、向かうことにした・・・
一旦。Fin
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