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第6回 津田沼編
「文化と鉄道の街・津田沼」
私め、津田沼のある習志野市の近くの自治体に住んでおりまして、高校が千葉市立東千葉高校という学校を出ておりまして、これが中途半端な高校だったのですよ。
愛校心がみんなメチャクチャ凄く、他人に高校の名前を言うと、「ああ、あの頭のいい高校でしょ?」って、それは「県立千葉高!!」(笑)と間違えられ、「ああ、あのサッカーとか駅伝の強い高校でしょ?」って、それは「市立船橋!!」(笑)と、まあ知名度のない平凡な高校だったのですよ。
市立高校だったのですが、入学した時先生、先輩たちがうちは4年制高校というので、意味が分からず、
「何で4年制高校なのですか?」って聞いたら、なんと卒業後はこの津田沼にある某大手の「山の手ゼミナール」に行くから4年制、つまり「浪人する!」から4年制高校と知り、我が市立東千葉高校生にしてみれば、津田沼は切っても切れない場所だったのですよ。
実際、津田沼には、この山の手ゼミナールのA館と、B館というのがあり、
「山中、C館行こうぜ!」
と、浪人友達がいうので、あれ?山の手ゼミナールに、C館なんかあったっけ?と思ったら、何とA館とB館の間に、「谷津プラザ」というパチンコ屋さんがありまして、そこが何と、C館!!(笑)だったわけですよ。
今の津田沼駅海側の交番の前の交差点にあったのです。今は、立派な本屋さんと手芸屋さん、他の予備校さんに変わっちゃいましたが。懐かしい思い出です。
津田沼という地名は造語です。自治体自体は習志野市で、駅陸側の大きなショッピングモールのほうは、厳密にいうと船橋市です。
その陸側ファッションのショッピングモールも、千葉市と同じく潰される運命にあり、大変にショックです。
思い出詰まりすぎていて「文化の象徴」だったのですが、大変に残念です。
駅海側にはこれまた大きなショッピングモールがあり、習志野市文化ホールという、習志野市の規模から考えると相当大きなホールがありまして、80年代からめちゃくちゃ栄えていましたね。
大手スーパーが入っていたり、大手百貨店が入っていましたから、今ももちろん立派なのですが、往時の勢いはなくなってしまいました。
「津田沼」は造語と申し上げましたが、地名がなくて、近くの「谷津」「久々田」「鷺沼」のそれぞれの「津」「田」「沼」を取って、津田沼になりました。
この津田沼もあなどれない。
何と車両センター、「JR東日本習志野運輸区」と「JR東日本幕張車両センター」を抱えており、JRとしては凄い要衝です。
規模が日本最大規模。鉄道とは、切っても切れない街です。
それもそのはず、駅前に「千葉工業大学」があり、立派になったよな、この千葉工業大学自体が、もともと、あの「ちばよい」第1回目で紹介した、戦前の鉄道聯隊の二つ目、「鉄道第二聯隊」のあった場所なのです。
なんとビックリなのですが、今でも正門のレンガ造りの門は、当時の鉄道第二聯隊の門をそのまま使っているのです。
これには、本当に子供のころから驚いた。
さらに、この鉄道第二聯隊の演習線の線路は、何と京成津田沼駅から松戸駅まで伸びている、新京成電鉄の線路そのまんま!!というから驚いた。
もちろん、線路の幅は、1435ミリ標準軌、新幹線や京成電鉄と同じ幅に替わっているけれど、この新京成電鉄は超優良企業で、新津田沼駅からJR津田沼駅の乗り換えで商店街めちゃくちゃ栄えています。
大手の超大型スーパー2つあり、いやー千葉駅前に比べれば、うらやましいくらいの賑わい。
これ、お隣の自治体の船橋市の発展にも言えるのだよな。
船橋市の発展ぶりも凄いですよ。(笑)
さらに、津田沼は京成津田沼駅もあり、京成本線、千葉線、新京成電鉄のターミナルになっており、駅の規模はJRよりは規模が小さいですがとても重要な鉄道の要衝です。
ただし、JR津田沼駅と京成・新京成津田沼駅は離れております。要注意。
あと、新京成電鉄で言っていったら、北習志野駅は外せません。
自治体は習志野市ではなくて船橋市になるのですが、東葉高速鉄道線との乗り換え駅になっていて、これまた利用者が多く便利。
さらに面白いのは、新京成電鉄習志野駅もあるのですが、ここも習志野市でなくて船橋市で、薬園台高校に近く、習志野市でないのがみそです。(笑)
陸上自衛隊習志野駐屯地が近く、空挺団とか落下傘の訓練とかしていて、本当にパラーシュートで訓練しているので、間近に見るとビビります。
昔、両親の実家が山梨で、亡くなったおじいちゃんの写真とか見てみたら、習志野駐屯地で、馬に乗っていたおじいちゃんの写真があり、「習志野駐屯地にて」、なんて書いてあったので、ビックリしちゃって、もちろん戦前の写真なのですが、当時今もそうなのかな?、兵隊の人はいつ亡くなるかわからないので、しょっちゅう写真を遺影になるように撮っていたらしいのですね。
我々の世代は戦後世代で、戦前のご先祖様の苦労なんか知らないから、まさかおじいちゃんが旧日本軍の兵隊として習志野駐屯地に来ていて、遺影になるように写真撮影しているなんて思いもしなかったので、すごく複雑な気持ちになりました。
いや、習志野市とか、津田沼駅は実際にあまり知られていなくて、神奈川県方面の人なんて、横須賀線で千葉方面、津田沼行きなんて、どこだ?(笑)と思う人多かったと思いますが、こういう街だったのですよ。
決して、津田塾とか長津田とは関係ありませんので、どうかご容赦下さい。(笑)
とにかく、商業がとても盛んな街で、元気のある街です。
これから徐々に、県東部とか県南部とか紹介していくのですが、こういう津田沼のある習志野市とか、千葉市、船橋市、市川市、柏市、松戸市という、県北西部との地域性の違いや格差は物凄く、都会と田舎の混在が「ちば」の特徴なのです。
都心部だけが中心で重要であるわけがなく、地域の活性化とは全国的な課題であるわけで、首都圏一極集中だけがいいわけがなく、まさに田舎と都会の混在した「ちば」は本当にモデルケースとしては、問題提起には示唆にとんだ、ANSWERの詰まった地域です。
どうも、地域地域の特徴を前面に押し出して、差別化するのも一つの手らしく、ある千葉の和菓子メーカーなんて、ピーナッツ自体はお値段が高いので、それに模した「最中」
を作り、その中にピーナツまぶしたら、一大ヒット商品になってしまいまして、そういうヒント、アイデアは沢山あると思うのです。
酒々井のアウトレットなんか、ポップコーンめちゃくちゃ高いやつ作ったのですが、これがめちゃくちゃ手の込んだ、美味しいのつくったら、たちまち全国的に有名になってしまいまして、そういう創意工夫なのだと思います。
疫病で社会の構造がこの3年で激変し、東京に通うだけ、千葉都民になるだけが能でないことは、ZOOMとかで証明されてしまったわけであり、地域に住みながらどう産業に関わっていくか?そのヒントが詰まっているまさに激変期に我々はいると思います。
どうか、皆様の住む地域が元気になられることを祈りながら、「ちばよい」頑張ります。
(笑)
Fin
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