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◆喪に服した日
いつもと変わらない朝だった。
とある二月の月曜日、ぼくは駅前通りを急いでいた。
午後から雪の予報となった今日は、都心でも記録的な寒さらしい。まったく、月曜の朝からこんなに寒いなんてつくづく憂鬱だ。
おかげで早く起きられなかった……と、誰が聞くともない愚痴を白い息に変えながら、ぼくは腕時計に目をやる。やばい、次の電車には乗らないと。
ぼくは足取りを速めて、駅前に蠢く人混みの合間を進んだ。
このときのぼくはまだ、世界の異変に気がついてはいなかった。
なんとかいつもと同じ電車に飛び込むことができ、鮨詰めの車両に運ばれて、ぼくは定刻通りに会社の入っているビルに辿り着いた。
社員証を取り出しながら受付を素通りし、ゲートに入ったところで声をかけられる。
「おう、生駒。おはよう」
「あっ先輩。おはようございます」
同じ営業所の先輩だった。
朝たまに時間が一緒になることがあり、いつものパターンならぼくが先輩の背中を見つけて声をかけるのだけど、今日は気づかず追い抜いていたらしい。
「なんだよ、今日は無視するじゃん」と軽口をたたかれてしまい、ぼくは先輩に目を向けて言い訳した。
「いやいや、無視じゃないですって。先輩、アウター変えました? いいですね。前のキャメルのも似合ってましたけど」
「はあ? 何言ってんだよ。今日も同じだろ」
「え? だってそれ、黒じゃないですか」
そうなのだ。先輩はいつもスラリとした体躯に似合いの、キャメル色のチェスターコートを着ている。そこに四角いビジネスリュックを背負ったなかなかお洒落な格好が、冬の先輩のトレードマークなのだけど。
今日の先輩は新調したのか黒いコートを着ていて、だからぼくは先輩と気づかなかったのだ。
けれど先輩からは怪訝な声が返ってくる。
「だからお前、何言ってんだ? だいたいコート買い替える余裕なんか今の俺には無いっつーの」
「ええー……?」
「何言ってんだ」はこっちの台詞だ。営業成績が伸び悩んでいるらしい先輩の憂慮よりも、ぼくはコートの色が気になって仕方なくなる。
「それ、キャメルじゃなくて明らかに黒ですよね? まあ確かに、形は前のとすごく似てるけど」
「生駒お前、まさか仲良くなったお客さんとこんなノリで話したりしてないだろうな? やめろよ。つまんないし、しつこいと人によっちゃ怒るぜ」
宥めるように苦笑する先輩に、ぼくはもう一度疑問の声をあげそうになったが、事務所に入って言葉を飲み込んだ。
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