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最後となる家のドアノッカーを三回ノックし、僕は待った。
階段を駆け下りる音がする。反対に僕の心は高鳴る。
木でできた縦長のドアが重たそうにギギギと鳴りながら開くと、僕を出迎えた女の子は去年より伸びた髪をオレンジ色のリボンで結び、かわらない笑顔で微笑んだ。
「また同じ格好なのね」
かぼちゃ頭に白いシーツを被っただけの僕を見て、悪戯っぽく言う。
陳腐な仮装の僕とは違い、前に着ていた魔女の服をリメイクしたらしいその子は漆黒のベルベットを羽織ったバンパイアになっていた。整った仕上がりの彼女との差に思わず、感覚もないのにかぼちゃの頭をかく。
「でも良いと思うよ」
僕が気を悪くしたとでも思ったのだろう。慌てて付け足す女の子。この子は昔から優しい。意地悪かと思えば、存外人の機微に敏感で、そしてそれは人にだけではなくて。
年に一度だけ、楽しみな日がある。
狼男や魔女やフランケンシュタイン、化け猫だっていい。子供たちは思い思いの姿で出かけ、家々をまわってお菓子を集める。たくさん貰ったお菓子を抱えて家で待つ家族に色んな話を聞かせるその子たちの様子はなんとも幸せそうだ。
郊外にある墓石の上で、ぼんやりそれを眺めるのが一年に一度の習慣になっていた。人が寄り付かなくなったこの場所は木の葉さえも枯れて音を立てず、唯一聞こえるのは時々羽を休めにくるカラスの鳴き声くらいだった。
寒くて、暗くて、まるで正反対の場所だ。あっちは温かいのだろうか。分け合っているお菓子はどんな味がするのだろうか。僕に家はないけれど、話す相手もいないけれど、少しでもかまわないから味わってみたい。
そして気付いた。今日は、今日だけは、僕もなれる。みんなと同じように、何にだってなれる。被り物をして、体を衣装で覆えば、他の子に紛れて街に繰り出すことも出来るかもしれない。
成長しきって地面に転がっていたかぼちゃをくり抜いた頭をつけて、引き裂いたシーツを体に巻き付ける。お世辞にも素敵とは言えないけれど、満足していた。今から街に行くんだ。
今日は僕でさえも、仮装してしまえば人間の子供になれる日なんだ。
街路樹は黄色く色付き、独特なにおいを放っている。まだ人が少ない辺りを慎重に進んでいると、その香りに混じって、チョコレートやキャラメルの甘いにおいが街を包み込み漂っているものだから、思わずスキップしそうになった。
ふと、前方にケープを羽織った老婆が近付いて来たので、着ていたシーツの重ねた部分を握り締める。動揺を隠すようにゆっくりと進み、すれ違ったその時、ケープの隙間から布が落ちるのが見えた。
反射的に拾ってしまい、このまま持っておくのも躊躇われたので、老婆の後を追い、肩をたたいた。
「あら、何かしら」
不思議そうな顔はそのまま差し出した布に向けられ、察した様子で受け取ると曲がった腰をさらに折って、老婆は深々と頭を下げた。
「どうもありがとう」
老婆は目尻に皺を寄せると、ケープの下にあった鞄の中から何かを取り出し、僕のシーツ越しに差し出した手の上にそれを乗せた。
「お礼になるかはわからないけれど」
よかったら。そう渡された包みの中にはこの時期らしくカラフルに着色されたチョコレートが入っていた。
「孫にあげる分を作りすぎてしまったの。気にせず受け取ってちょうだい」
両手でそっと僕に渡すと、老婆は再びお辞儀をして、去って行った。
透明な包みの中から、一番派手な色の物を掴んで、かぼちゃ頭の隙間から入れる。初めて貰ったお菓子は、甘くて、香ばしくて、優しい味がした。
誰かに気づかれやしないだろうかという不安は、あっという間に色とりどりのチョコレートと一緒に飲み込んでしまった。
もう少し、人がいるところに行ってみよう。空になった包みを丸め、僕はさらに街の中心部へと進んだ。
先程より人通りが増えた住宅街で、子供の姿を探す。三人組の男の子たちが誰かの家のノッカーを鳴らしているのを見つけた。お菓子を貰っている様子を観察していると、どうやらドアノブにキャンディーを模した飾りを付けている家々を巡っているらしい。あれがお菓子をくれるところの目印のようだ。同じように目印のある家を探してたずねてみようか。けれど万が一違ったら不味いので、とりあえずあの子たちがまわった家を追いかけてみよう、と彼らの後をつけることにした。
男の子たちがノッカーを鳴らし、お決まりの言葉を叫ぶ。お菓子を貰った三人が背を向けその場から離れたのを見計らい、僕もノッカーを鳴らす。言葉にしなくてもこの格好とついさっきの流れから、家主は何も言わずにお菓子をくれる。お辞儀をして、走ってまた三人を追いかける。これを繰り返すうちに、僕の腕の中はみるみるお菓子で溢れていった。
大きなうずまきのキャンディーを貰った頃には気をつけて走らないと落としてしまいそうなほどの量で。だからそちらに意識を取られ、後をつけていたことを三人組に気づかれた時には、その場から逃げ出す術がなかった。
「お前どういうつもりだ」
「ずっとついて来ていただろ」
「どこの家のやつだ」
囲まれて、体当たりをされ、抱えていたお菓子が地面に散らばる。
「こいつ、俺たちのより大きいキャンディーを貰ってやがる」
棒にささり毒々しい赤い色をしたうずまきのそれが自分たちの物より良く見えたのか、男の子の一人が落ちたキャンディーを靴で踏み付けた。粉々になった飴が虚しくつやつやと光る。どうしてこんな酷いことをするのだろう。僕が悪いのだろうか。人間の子のようになってみたいと思った僕が。
「何とか言えよ」
倒され、地面に座り込んだまま言葉を発しない僕の態度が気に入らなかったらしい男の子たちは、三人がかりで僕を押さえ込むと頭のかぼちゃを脱がそうと掴みかかって来た。
どうしよう、見られたら、ばれてしまう。
必死に抵抗するけれど、三対一では勝てるはずもない。馬乗りになった男の子が拒むように掴んでいた僕のかぼちゃを思い切り奪った瞬間、三人は大きな悲鳴を上げた。
「こいつ、頭が…」
ぽっかりとなくなった僕の首から上を指差し、腰を抜かす三人。男の子の手から落ちたかぼちゃを慌てて拾い上げ、元のように被るも、もう遅い。見られてしまった。僕の本当の姿を。
ない頭が真っ白になる。必死に考えても動揺が大きくなるばかりで、足に力も入らないから立ち上がることさえ出来ない。
「あんたたち、何やってんの!」
突然聞こえてきた怒鳴り声に驚き、体をそちらに向けようとした時、僕の目の前をかぼちゃが横切った。
「一人に寄ってたかって、この卑怯者!」
男の子の一人に見事に当たったかぼちゃは鈍い音を立て、地面へと転がる。声の主である黒いローブ姿の女の子がずんずんと僕らの間に立つ。そして前に立ちはだかるようにして男の子たちを見下ろした。三人組は抜かした腰を無理やり立たせながら、言葉にならない叫び声を上げ逃げて行った。
「大丈夫?」
僕の体をはたきながら、女の子はたずねる。近くに落ちていた彼女のかぼちゃの被り物を恐る恐る手渡すと、さっきまでの怖い様子とは裏腹に柔らかい表情でありがとう、と女の子は笑顔を返した。
戸惑っていた。聞きたいことがたくさんあった。
『君は僕のかぼちゃの下を見たの?』
『正体に気づいているの?』
いや、それより何より。
『どうして助けてくれたの?』
けれどどれも、聞けやしなかった。僕にはそれをたずねる口さえなかったから。
「こんなにいっぱい、どうやって持っていたの?」
女の子は僕が落としたお菓子を拾い集めてくれていた。答えに困った僕は、何とか伝わらないだろうかと抱えるような動きをして見せた。
「それじゃあ落としちゃうよ」
汲み取ってくれたらしい女の子はローブを袋のようにして集めたお菓子を包むと、座り込む僕を立たせ、引っ張った。
「良い物あげる」
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