人食い悪魔のアスベエル

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人食い悪魔のアスベエル

 広場の鐘が六回連続で鳴る時、その悪魔は現れる。  ゴーン……ゴーン、と鐘の荘厳な音色が街に響いていく。基本的に三度以上も連続して鳴ることのないこの鐘は、今日はやけに重く、長い音色を奏でていた。  ゴーン。  四回目。  さすがに街の人間たちがざわつきはじめた。否、『そろそろ』であったことくらい、皆も知っていたはずだ。  そうでなければ、私がこうして手枷をはめられ、清潔な白いワンピースなど着せてもらえるはずもないのだから。  ――ゴーン……  五回目。  腐りかけた木の扉が乱暴に開く。小汚い装いの男が私の腕を引っ張った。 「来い。お前を使う時が来た」  ただそれだけを告げ、私は冷たい石床の上を歩かされる。階段を上り終えて久々のお日様の光を浴びた時、六回目の鐘が鳴った。  ――瞬間、甲高い叫び声が辺りにこだました。 「チッ、もう来やがったな」  一人の悲鳴を合図に、それは周囲へと瞬く間に悲鳴と恐怖を伝染させる。私の腕を掴んだ男も、青ざめた顔をしていた。 「アスベエルが来た! 逃げろみんな!」 「広場の方にいたわ!! 真っ黒い化け物よ!」 「誰かやられたか!?」  目の前で展開される悲劇を、私はただぼうっと見ていることしかできなかった。穏やかな日というのは、こんなにも簡単に崩れていくのだと、得体の知れない恐怖で動けなかった。  だが、呆けている場合ではない。混乱している状況下なら、この男の腕さえ振り払うことができれば逃げられるかもしれない。  そう私が思った時だった。 「ひっ……!」  男が言葉にならない悲鳴をあげた。男はじっと何かに釘付けになっているようだった。  反射的に私もそっちを見た。  真っ黒なローブが、風に揺れている。ローブを突き破って天高く伸びるのは、二本の鋭い角。私よりも遥かに高い背丈。にんまりと笑う仮面には、血が飛び散っている。大きなローブから覗いた鋭い爪の生えた手のようなものは、漆黒の大鎌を携えていた。 「その女が、今回の贄か」  黒いローブ――アスベエルが、こちらを見た気がした。 「は、はいぃ! この女が、あなた様への贈り物でございます! ブロンドの髪に赤い瞳、さぞかし価値が高いかと!」 「……」 「お、お気に召しませんでしたでしょうかぁ……?」  男が裏返った情けない声でアスベエルと話している。一刻も早くここから逃げ出したい。  だって、このアスベエルは、逃げ惑う人を何人も殺してきたはずだ。今も、これまでも。伝承で、このアスベエルは人を食べると言っていた。このままここに居れば、私も食われてしまう。 「いや、気に入った」  アスベエルの声がにたりと笑う。私はひっと息を詰まらせた。一歩後ずさるが、男に思い切り背中を蹴飛ばされる。手枷をしているせいで手をつくこともできず、顔面から転んだ私の耳元に届く硬い足音。  アスベエルが、私を見下ろしていた。 「来い、此度はお前の命でこの街の平和は保たれた」 「い、いやだ……っ! 死にたくない!」 「……」  屈んだアスベエルを前に必死に抵抗しようと暴れてみる。にっこり笑う仮面が怖くて見ていられない。  仮面が私の顔に近づいてくる。  きっとここで私を食べるつもりなんだ。だって私は、そのために閉じ込められていたのだから。 「……細かいことは後で言う。今は黙って俺に着いてこい」 「……え?」  アスベエルが静かに私に告げる。私が何かを答える間もなく、アスベエルは私の腕を引いてこの街を後にした。
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