恋する熊さんは「王子様」になりたい

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 熊太郎は私の驚きなど気にも止めずに、いつものように私の正面にどっかり座った。夕日を浴びていた机が、一瞬にして影に覆われてしまった。 「あんた……どうしたの? 恩田さんは?」  聞いて、すぐに後悔した。こんなに早く戻ってくるってことは……と、不穏なことを考えたけれど、熊太郎は首を横に振った。 「会えなかった」 「え、なんで?」  答える代わりに、熊太郎は手紙を差し出した。私が恩田さんに送った手紙だ。 「これが置いてあった。だからまぁ……『ごめんなさい』ってことだろ」 「ま、まだ決めつけるのは早いって。人気のないところに呼び出したから怪しまれただけかもしれないじゃん。場所を変えてみたら……」 「いや、いいんだ。やっぱり、『王子様』のフリしてたらダメなんだって思った」 「は?」  それを言うと、この数週間の努力はどうなる。そう言おうとしたけど、熊太郎がものすごく申し訳なさそうに笑うので、言えなくなった。 「ごめんな、協力してもらったのに。でもよく考えたらさ、『王子様』のフリして上手くいっちゃったら、ずっとそれを続けないといけないだろ? それってさ、好きな人が別の誰かを追いかけてるのを見続けなきゃいけないってことだろ」 「そ、それは……」 「やっと気付いたんだよ。『王子様』じゃなくて、俺を見てもらえるようにならなきゃって。まぁ俺自身を見てもらったら、逃げられちゃうかもだけどな」  熊太郎は、明るく言った。そんな声を聞けば聞くほど、悲しくなった。  こんな時まで笑わなくて良いのに。自分を卑下しなくていいのに。ちゃんと言われる前から諦めなくて良いのに。  熊太郎はいつだって、あんなに頑張っているのに。 「や……やめてよ。無理して笑わないで」 「え、でもなぁ」 「無理も何もない。だいいち、諦めることないじゃん。まだ何も言われてないんだから。そんな風に勝手に諦めて失恋気分になられたら……」 「なられたら?」 「……ま、不味くなるでしょ! あんたのキャンディが!」  熊太郎はきょとんとしていた。でも、ようやく無理な笑いをやめてくれた。 「知ってる? あんたが失恋した時の味って、そりゃもう酷いんだよ。苦いし渋いし、食べられたもんじゃないの。だから……あんたは常に前向きに恋しててもらわなきゃ困るの」  熊太郎の顔が、きょとんを通り越してぽかーんとしていた。目をパチパチさせて、私の言葉を理解しようと努力しているようだ。  何度も何度も言葉を反芻させていたかと思うと……おもむろに私の頭に手を伸ばしてきた。 「ありがとな、槇! うん、なんか元気でたわ」  そう言って、私の頭をわしゃわしゃと撫で回してぐしゃぐしゃにしていく。 「ちょっとやめてよ。髪が乱れるでしょ」 「え、そんなの気にすんの?」 「するわ!」  熊太郎は「悪い悪い」と軽く言って、鞄からキャンディをどさっと取り出した。 「それじゃ、またよろしく頼むわ」 「了解。『王子様作戦』は中止。プランBを新たに練りましょうか」  そう言って、私はまた、熊太郎から差し出された『恋心』を一つ、手に取る。包みを開けて口に放り込むと、まろやかで優しい甘みが広がっていく。  わかっている。熊太郎は、私の前では普通だ。恩田さんを前にした時みたいに緊張したりしない。私には、そんな気兼ねがないから。  全く、そんなことを思っていないから。  だからこそ、今目の前にいる熊太郎は、私だけのものだ。あけすけに笑う顔も、遠慮のない大声も、がさつな態度も、全部。  ああ、気付いてしまった。困ったことに。  私は、どうも好きらしい。この、蕩けるように甘くて、時々ちょっぴり苦い、熊太郎の『恋』が。 だからこれからも演じ続ける。『王子様』の恋を助ける『魔女』の役を。
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