メインキャスト

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 僕の名前は芥創介(あくた・そうすけ)。食えない役者をやっていて、飲食店の調理係とデリバリーサービスの配達員と銭湯の店番と交通整理員を掛け持ちしてその日暮らしをしている。多分、役者と名乗るより猛烈アルバイターと名乗った方が正しい。二十代も半ばを越したので役者の夢を諦めるか、このまま背水の陣で夢に挑み続けるかを決めなくてはならなくなってきたのだが、どちらにしても精神的にキツい決断なのでずるずると先延ばしになっている。  そんなある日、以前に所属していた劇団の先輩から電話をもらった。今から話せないかと都内の居酒屋の場所を告げられて、僕は早めにデリバリーサービスの仕事を切り上げて自転車で向かった。  居酒屋に着くと、すぐに先輩は片手を上げて僕を呼んだ。 「芥! 久しぶりだな。元気だったか?」 「お久しぶりです、永楽(えいらく)先輩。見ての通り可もなく不可もなしです」 「相変わらずとぼけたヤツだな。まぁ、座ってくれ」  はい、と返事をしつつ、僕は永楽先輩の隣にいた女性へ目をやった。 「初めまして、横田静(よこた・しずか)と申します」 「芥です。初めまして」  ショートボブの、切れ長の目が印象的な女性だった。役者か、モデルだろうか。彼女の芸能人オーラをいぶかしんでいると、永楽先輩が僕の分の飲み物を注文しはじめる。 「お前、ハイボール好きだったよな? それでいいか」  はい、と僕は頷く。劇団から離れて一年くらいが経っていたのに、まだこの先輩は僕の好きな酒を覚えていてくれたのか、と驚いてしまう。  僕が劇団を辞めた理由は平たく言うと「友達がいないから」だった。というのも、劇団で公演をする時の費用を賄うために各劇団員にはチケットノルマというものが課せられる。大抵の劇団員は友達や親類縁者のツテを使って目標枚数のチケットを売ってノルマをどうにかするのだが、生憎僕にはほとんど頼れる友達がいなかった。演劇に興味のある友達が少なかった、が正しい表現かもしれない。親に相談をすれば、きっと無理をして全てのチケットを買い占めてくれただろうけど、それを延々続けるつもりにもなれなくて、僕はチケットノルマを自腹で賄い続け、結局立ち行かなくなって劇団を辞めた。イマドキであれば動画サイトやSNSでファンを作って応援してもらうような事もできるはずだけど、僕にはその器量がないというのも悟ってしまったのだ。僕は僕が思っている以上に凡庸で、石ころのような人間だった。  ハイボールが届くまで、僕らは近況を互いに報告し合った。永楽先輩が最近2.5次元の舞台で役を貰うようになっていたのは噂で知っていたのだが、僕でも知っているベストセラー小説の映画への出演が決まったという。 「すごいですね、おめでとうございます」 「芥はアレだよな。ちょっと前だったか、深夜ドラマで……」 「そう、ひったくり犯の役でした」 「はは、お前に犯罪者の役振るなんて、テレビの連中も見る目がねぇよな」 「悪人役、今まで受かった事ないから僕もびっくりしました」 「あっちの、刑事役のヤツの方が悪い顔してたもんな」  ふふ、と小さく笑い声が聞こえる。横田さんが口元を押さえてぷるぷるしていた。僕の視線に気づいたのか、彼女がはっとしたように姿勢を改めた。 「ごめんなさい、笑ったりして。私も、芥さんが悪い人の役って変な感じだなって思ってしまって」 「いえ、本当の事です。悪役って、もっと人生経験が豊富で深みのある人じゃないと映えないし説得力ないですから」  僕が答えると永楽先輩までおかしそうに笑いだした。 「ひったくり役でそこまで考えたのかよ」 「そりゃあ、そうですよ。僕自身、万年金欠ですけど誰かの鞄をひったくろうだなんて考えた事なかったんで、どうしてこんな犯罪に走っちゃうんだろうって悩みました」  すると、永楽先輩はちらりと横田さんを見た。横田さんも永楽先輩に何か目配せをしている。店が混んでいて、なかなか届かなかったハイボールがようやくテーブルに置かれ、僕らは乾杯をした。 「それで、先輩。今日はどうしたんですか」 「実はな、芥。頼み事があるんだ」  こういう切り出し方はミステリドラマの悪事の相談というのがセオリーだが、永楽先輩と横田さんから語られた「仕事」の内容を聞いて、僕はほとんど考えもせずに引き受ける事にした。  数日後、僕はかっちりとしたスーツを着て、とある街角に立っていた。スーツと同じく永楽先輩に貸してもらった高級そうな腕時計で時間を確認すると、そろそろ彼女もやってくる頃合いだった。駅に続く道をぼんやり眺めていると、ヒールの音を響かせて、横田さんがやってきた。 「お待たせしました。今日はよろしくお願いします」  深々と会釈され、僕もこちらこそ、と頭を下げる。  居酒屋で会った時、横田さんはさっぱりとしたスポーティーな格好をしていたが、今日は紺色のワンピース姿でどこか少女のような、フェミニンな出で立ちである。後光が差すというのは、こういう事なのか、と僕は思った。近場のカーブミラーに映る自分と彼女の取り合わせに、不安を覚えてしまう。 「……やっぱり、永楽先輩の方が様になるんじゃないでしょうか」 「そんな事ないです。芥さん、スーツよく似合ってますよ」  僕達は連れ立って、横田さんのおばあちゃんの家を目指し始めた。  居酒屋で僕が受けた相談。それは「横田さんの彼氏のふりをして、老い先短いおばあちゃんを安心させたい」という内容だった。よく事情を聞いてみると、横田さんは僕が劇団を辞めた後に入ってきた女優の卵で、最初は永楽先輩に相談をしたらしい。しかし、永楽先輩が「それならうってつけの誠実そうな見た目のヤツがいる」と僕を呼びだし、こうしてなりすまし彼氏役を依頼したという。 「私、おばあちゃんが元気なうちにテレビに出て、喜んでもらいたいと思っていたんですけど……おばあちゃんが末期癌だって知ってしまって」  横田さんはおばあちゃんっ子で、小さな頃が可愛がってもらっていたらしい。 「私に何かできる事ない? って聞いたら『しずちゃんのお嫁さん姿見たかったわねぇ』と言われてしまって……」  前時代的発想だ、と僕は思いつつ、切り捨てる事も出来なかった。こどもや孫がいる人間なら、どうしても願ってしまう事だから、仕方がない。僕も、両親にそういう想いをさせているのだろう。そんな考えが過って、わずかに胸が苦しくなる。 「ほとんど初対面の方にこんなお願いをするのは、心苦しいんですが……どうか力を貸していただけないでしょうか」  こうして、僕は彼女の頼みを引き受けてしまったのだ。  横田さんのおばあちゃん――大庭るみさんの家は映画のセットのような立派な洋館だった。僕は横田さんから貰った情報を頭の中で整理し、彼女の隣に立つに相応しい男になりきろうと背筋を伸ばした。 「おばあちゃん、しずです。起きてる?」  勝手知ったる、といった風に横田さんが合い鍵で洋館の玄関を開け、中へ入っていく。内部もアンティークの調度品で揃えられており、僕は気圧されそうになった。横田さんが、ついてきて、と小さく言って二階へ上がっていく。僕はドタドタとした足音を立てないよう気をつけながら彼女の後を追った。  横田さんが二階の廊下のつきあたりの扉をノックする。 「おばあちゃん、こんにちは」 「……あらぁ、しずちゃん?」  赤ん坊のような、けれど掠れたか細い声がかろうじて聞こえた。 「うん、入ってもいい?」 「ええ、ええ、来てくれてありがとねぇ」  横田さんが扉を開ける。僕は小さく息を吐いた。室内の大きなベッドがすぐ目についた。それから枕元に大きな花瓶があって、色とりどりのスイトピーの花が飾られていた。横田さんから聞いた通り、おばあさんは花が好きらしい。 「今日は、しずちゃんだけ、じゃあないのね。どちらさま?」  ゆっくりと横田さんがおばあさんの上体を起こし、支える。末期癌を患っているという事だが、思ったよりも顔色が良く、さすが横田さんのおばあちゃんと言うべきか、不思議と気品のある老婦人だった。 「初めまして。芥創介と申します」  僕は見舞いに持参したガーベラの花束を渡した。これは僕の提案だった。見舞いの品に何か気の利いたものが物があった方がいいのではないか、とおばあさんの花の好みを横田さんに教えてもらったうえで用意をしたのだ。 「まぁ、綺麗なお花。オレンジの花は、見ていると、気分が明るくなるから、好きよ」  喜んでいただけて嬉しいです、と僕は一礼する。そうして、恋人に促すかのような眼差しで横田さんに最初の一声をお願いする。 「今日は、おばあちゃんに報告したい事があるの」 「なぁに?」  そう言いながら、薄々おばあさんは勘づいているようだった。それはそうだ。孫娘が急に正装した男を連れて挨拶に来たのだから。 「僕は、横田さんと――」  早速、間違えた。僕は慌てて言い直す。 「いえ、静さんとお付き合いをしています」  緊張している彼氏風の言い直し方を咄嗟に組み立てて、表情の動きや声色に気を配る。僕の言葉におばあさんは素直に感激してくれているようだった。 「うふふ、そうなの、まぁまぁ!」 「静さんと結婚について話をしていたのですが、やはり彼女にとって大切な家族であるおばあさまにも是非ご挨拶したいと思い、本日は参りました」 「ああ、嬉しいわぁ。こんなに真面目そうな人が、しずちゃんの、お婿さんになってくれるのね」  想像以上に力強く、おばあさんが僕の手を握ってくれる。 「ええ、おばあちゃん。そうなの。でも、そんなに興奮しないで、身体に障るわ」  おばあさんの背中をさすりながら、横田さんが微笑む。 「はぁ、そうね、でも嬉しくて……可愛いしずちゃんが、お嫁に行くのねぇ」  ゆっくりとおばあさんの身体をまた横たえながら、彼女は言った。 「そうよ、安心しておばあちゃん。私、ちゃんと幸せになるからね」  彼女達の会話は、何という事のないやりとりのはずだ。それなのに家族への愛に溢れた横田さんの声に、僕は不覚にも涙を流してしまった。 「あく、創介さん? どうしたの?」  僕が急にボロボロ泣き出したので、横田さんも困惑している。 「いえ、静さんがとてもおばあさまを、想っているのが伝わってきて……すみません」  こんな嘘を続けていいんだろうか。もしもおばあさんに何かあったら、静さんは後悔しないだろうか。気休めの言葉で、大切な家族を騙してしまった、と。傷ついてしまう事はないのだろうか。それぐらいに、彼女の「ちゃんと幸せになるからね」という言葉が僕の胸には重く響いてしまった。  駄目だ。急に泣き出すような男じゃ、横田さんの彼氏役には相応しくない。僕は涙を拭って、立ち直ろうとする。そうして、また横田さんとおばあさんの方へ顔を上げた時だった。 「これは決まりじゃないかしら?」  いたずらっぽく、おばあさんが誰にともなく言った。今までの弱々しさが嘘のような、張りのある声だった。一聴して彼女が舞台人だ、と僕は悟った。ガチャリと部屋の扉が開く。数人の男達が入ってきて、その中に知った顔がいた。 「永楽先輩? あの、これは……?」 「オーディションだよ」  僕は目が点になった。 「俺も出演する映画なんだが、監督から「誠実で、アホほど真面目で、共演者の台詞にメチャクチャ乗って来てくれる役者を探してる」って言われてな。俺はそんなヤツを一人しか知らなかったからお前を推した」 「じゃあ、横田さんとこのおばあさんは……」  おほほ、と彼女達は楽しそうに笑い合っている。とんでもない迫真の演技だ。完全に騙されてしまった。 「永楽先輩……」 「まぁ、そう怒るな」 「怒ってませんよ。むしろ感謝しかないです」  僕が礼を伝えると、永楽先輩は照れ臭かったのか黙ってにやっと笑った。 「それで、僕はこれから何をすればいいんでしょう? 通行人役ですか? それとも詐欺の被害者役ですか?」  人の好さそうなモブの役柄を思い浮かべながら尋ねる。  すると監督と思しき眼鏡の男性が、歩み寄ってきて僕に台本を渡してくれた。 「いいや、主役だよ」  おめでとう、と肩を叩かれて、僕はまた泣きそうになった。
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