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「ハイリくんがモトラドに興味あるなんて思わなかったなぁ」
「俺だって。物知りで頭いいなのは分かってたけど、こんなに詳しいなんてさ」
ぼくはうなずく。運転免許証が取れたら二人でツーリングに行こうと話しているのは、ちょっと不思議な感じがする。きみは、共通点があれば誰とでも話せるんだろうな。その共通点を見つけ出すのが難しいだけで。
「ぼくは知識だけだからさ、乗れるかなぁって不安だよ。自転車も怪しいし……運動神経なくって」
「やってみないと分からんって。それに俺もないよ、運動神経」
「え? どこが?」
「いーや、逆上がりできないの。ホントに」
「……っふふふ、人は見かけによらないんだねえ」
ゴミをまとめて、水を少し残したバケツに放り込む。二人とも良いコンビだね、と声をかけると、ハイリは「相棒ほどじゃねえだろ」と笑う。
「相棒?」
「そっ。エギナルと二人、良い相棒だよなってさっき話してた」
面白いね、と白い歯を見せてきみは言う。
「相棒って単語が面白いよ。……夏休みが終わったらさ、誰と誰とが付き合ったとか、一緒にどこに行ってたとか、そういう話が増えると思うんだよ。だとしたら相棒って強いよね。特別な感じがするのがいいねえ」
「強い? そうかな」
「うーん、レア度が強い」
きみはちょっとだけ、胸を張るしぐさをした。
「友人、とか恋人、って関係性の中にいるひとたちはあちこちにいるけど、相棒ってきっとそんなに多くないじゃない」
「ああ、そういうこと。じゃあ俺もレア度高めたいな」
「ハイリくんは、友達! に、なってくれる?」
「んなの今更じゃん。ってか、言うわりに月並みだし」
「だってね、ぼくの中ではどっちもおんなじ重さなんだ。友達も相棒も、どっちもおんなじ大切で、順序はないの」
「……ホントに?」
「ほんとだよ!」
いたずらをした小さい子のようにきみは笑って、ハイリから顔を隠そうとする。どん、どん、と妙にからだに響く音が聞こえて来て、祭り会場でも花火の打ち上げが始まったのだと分かったけれど、二人に教えるのをためらってしまった。
大勢が見ている花火よりも、この三人で見た花火のほうがきれいだと思うから―なんてことを考えていたわけでは、ないけれど。
ハイリは真っ直ぐ家に帰ると言うので、会場にはぼくときみとで戻る。次に会うのはきっと始業日だ。……お互い、宿題がピンチにならない限りは。家も近いから、終わっていない分を助け合って完成させるのが、ほぼ毎年の恒例行事になっている。
それぞれの端末のライトを点けて、来た道を引き返す。秋の虫の音があちこちから聞こえてくるけど、この一帯は全部レプリカのものだと思っていいだろう。この音を響かせているのも、環境のためというより情趣のためのような気がする。レプリカは、本物の虫のなわばりとかぶらないように配置されているだろうし。
きみも同じようなことを考えていたのか、「レプリカってすごいねえ」とこぼす。
「本物の音みたい。って、本物は知らないけどね」
「はは、ぼくもだ。……あの、さ。元気そうで……良かったよ」
「うん。連絡しなくて、ごめんね」
「こっちこそ。ちょっと……勇気が出なかった。何を喋って良いのか、分からなくって」
「あはは、おんなじだ。だから今日はハイリくんも一緒だったのがなんか、良かったな。すっごい楽しかったし」
「あいつ、昔っから乗り物が好きだからさ。……あー。うん。誰か、もっといると良いな。モトラドじゃなくても」
「え?」
「昆虫好きな、ハイリみたいに話ができるやつ。ぼくみたいなじゃなくて、もっと昆虫探しが得意な人なら見つけられるかもだろ。森林公園の再挑戦するなら」
「でもぼくはエギナルと行きたいよ?」
隣を歩いていたきみが足を止める。ぼくも合わせて止まると、首からぶら下げた端末の光がひゅるりと揺れた。
「またレプリカしか見つからなくっても、エギナルと行きたい」
「でも、」
「本物は見たいけどレプリカも嫌いじゃないし。っふふふ、ていうか、エギナルが再挑戦してもいいって思ってくれてただけで、すっごい嬉しい」
「あんな結果になっちゃったんだから挽回はしたいって。……レプリカでも良いのか? レプリカも機械だから見てて楽しいとか、そういうこと?」
きみは首を横に振る。ぼくが持っていたバケツの取っ手のはじを持って、取っ手越しに手をつなぐみたいにして歩き出す。
「いつかちゃんと知りたいの。レプリカのこと、本物とおんなじくらい、もっとずっと深く。違いが分かるようになって安心したいの。レプリカは本物の代わりにはなれないでしょ。本物の真似をするから生き物で、だけど機械だから機械じゃなくて。ふわふわしててるのって、不安になる」
「……似せようとするから不安なのかもな」
どういうこと、と、きみは目で尋ねる。
「なんか……僕は、そこまで似せようとしなくても良いと思うんだ。本物の真似ごとをするのがレプリカ、じゃなくて、本物のレプリカとしてのレプリカって思えばさ、別に。上手く言えないけど」
レプリカは、人間が勝手につくりだした環境維持装置だとしても。そこにある以上、生きている―動いている意味や理由は明確にある。そう思い込みたいだけなのかもしれないけど、完全な間違いでもないんじゃないだろうか。
「ちゃんと似てるか気にしないといけないのってしんどい気がするんだよ。だからそのまま捉えれば、不安も減るかなって」
「そのまま?」
「そう。比べるとかどうとか関係なく。そのまま」
「……そのままで、ね。……エギナルはすごいや」
きみは握った手をより深くする。心なしか、小さく震えている気がした。
「じゃあぼくも、ぼくのままでよかったのかなぁ」
「今だって、きみはきみだろ」
「ううん。失敗しちゃってるんだよ」
何が、と訊き返すより早く、きみは口を開く。ぼくのことばを挟むまいとするかのように、訥々と、でもはっきりと、どこか他人事のように、ぼくが知らないきみを語る。
「ぼくの母さまがもういないのは知ってるでしょ。小さかったし、ぼくもたくさん泣いたけど……父さまは、もっと大変だった。別人みたいに元気がなくなってね、笑わなくなって。……だからぼく、元に戻ってほしくってさ。母さまには秘密にしなさいって言われてたけど、教えたんだ、父さまに。ぼくも空を飛べるって」
「……うん」
飛べると言い出してから具合が悪くなり始めたことは、あの日に所長から聞いていた。
「母さまとの楽しかったこと、ええと、思い出? を思い出せたら、父さまも元気出るかなって。でも逆効果だった。そんなの止めろって言われた。あんなに必死な顔の父さま、見たことなくってびっくりしたよ。……空を飛ぶなんて言い出さなきゃよかったのかな、って今でもたまに思うよ。……母さまの代わりに飛ぼうなんて」
「そんなこと、言うなよ」
所長は、怖かったんじゃないだろうか。
きみのしたことが不快だったとか悲しかったとかではなくて。自分が知りえる範囲を越えて、きみがお母さんのように遠くへ行ってしまうことを恐れたんじゃないだろうか。取り返しのつかないことになる前に、きみを、空から遠ざけたかったんじゃないか。
ぼくはきみの話に、背中にある翼の名残に惹かれたけど、誰だってそうとは限らない。きみがぼくの癖を知ってもなお、何でもないように接してくれるのと同じかもしれない。知った途端、腫物扱いをする人も少なからずいる。
知らないもの、分からないものは怖い。
きみがレプリカに不安を覚えるように。
「ぼくは母さまになれなかったし、かといって鳥にもなれないよ。逆に要らないものばっかり増えてくんだ、この身体」
肩甲骨の痛みもゆがみも、きみのものだけれど。
自分だけの―オリジナルだけど、欲しいものではないのだ。
「こういうこと考え始めると頭ん中ぐちゃぐちゃになるんだ。他と違うものに憧れるのって普通だろうけど……ぼくにとっては、その普通が普通じゃなくて、一番欲しいもの。……あは。普通のひとは飛ばないんでしょ? 飛ぶのって多分変なことなんだろうね。だけどこれが、ぼくの唯一だよ」
「飛ぶだけじゃないだろ。見た目も声も、きみがしてくれる話も全部きみだけだ」
きみのほうを向いても顔は見えない。そのことが少し、ありがたい。
「頭が良いところだけじゃなくて、考え方、好きなものも嫌いなものも……それに想像力だって、きみにしかない。トレースしようとしたってできない。きみのレプリカは作れない。きみの気持ちもきみのものだろ。誰かの代わりとか真似とかじゃなくて、きみが思ってる。だったらきみは、そのままのきみだ」
「……そうかな」
「少なくとも、ぼくにとってはそうだ」
力を込めてそう返す。きみはかみしめるようにうなずき、小さく「ありがとう」をこぼした。
「夏休みに入ってから、痛くなる日が多くってさ。おさまるまでは飛ぶ練習もしないようにしてるんだ。だから―空が遠くなっちゃってて」
寂しかったのかな、ときみは照れくさそうにする。
「エギナルからそんな風に言ってもらえたら今すぐ飛べちゃいそう。きみの言葉はぼくの翼だ」
「な、なんか、恥ずかしいぞそれ」
「あはは! 恥ずかしがってるエギナルも、優しいエギナルもぼく、大好き!」
「―だ、」
ことばが詰まる。ぼくの意志とは関係なく。
ぼくは―ぼくも、とは、返せない。
返せたら良いと思いながら、その一言を紡げない。
「……相棒として、嬉しい限りだね」
精一杯の軽口を、ぼくは何とか絞り出す。
祭りの会場が見えてきた。花火も終わってしまったし、屋台の撤収が始まっているようだ。
空き地と工場のあいだの道を突っ切って駐輪場に向かう。駐車場脇の駐輪場も、そろそろ解放時間が終わってしまう。
「荷物持っててくれる? 自転車取ってくるから」
あまり遅いと、片付けをしている人の邪魔になる。それにパッと見た感じだと、意外と駐輪場はぎっしりだ。端末のライトはあるといっても、手元がよく見えない中で自転車を探して、引っ張りだすのは大変そうだ―
「―あ、れ?」
車止めを跨ぎ越そうとして、何かが足に引っかかった。ロープだろうか。目の前には、規定の場所からあふれ出ている自転車の群れ。
あ、まずい、
手を伸ばしたって、これじゃあ―
「エギナル!」
きみの声が響くとともに、身体がふっと浮くのを感じた。
同時に、足元が発光している、ような。
時間を巻き戻したみたいに車止めのこちら側に両足をついて、案の定バリケード代わりのロープが爪先に絡まっていたのをほどく。いきなりのことにどくどく鳴っていた心臓は、ほどき終わるころには元に戻っていた。
「だ、大丈夫、エギナル……?」
あちこち見渡そうとして、すぐ右隣にきみを見つけた。
「うん。不注意だったよ、つまずくなんて。きみに助けてもらわなかったら、今頃……」
きみに―助けてもらった?
手を引いて? 胴を掴んで?
そんな感触は一切なかった。
重力から逃れて、一瞬だけ、身体の重さを感じなくなったんだ。
「……今頃、自転車に突っこんでたところだったけど……もしかして、あれが……」
きみは無言で小さく頷いた。
ちょっとだけ、とべたね。
囁きにさえならない声量で言って唇をかむ。
「……エギナルが怪我するの嫌だって思ったら、飛べちゃった」
「と、飛べちゃいました……ね?」
「……ね、あのさ。あの、あのね。……その、もう一回、」
いつになく歯切れ悪く言うので、思わず顔をのぞきこむ。頬がうっすら赤くなっていて、日焼けした直後みたいだ。
「もう一回。エギナルとなら飛べる気がするの。いい?」
「良いって、飛ぶのが?」
「そう。一緒に。いい?」
「良いかって……良いに決まってるよ」
「う―うん!」
きみはこちらの手を掴むと駐輪場も通り過ぎ、人気のない裏側の駐車場へ向かう。こっちはふだん来客や特殊車両を停める場所だ。きみの走る速度が想像よりも速くてびっくりした。止まるのも急で、思わずつんのめる。
「手。両方、貸して」
きみはぼくに向き直ると、両手首を取って自分の両肩に乗せる。りんと顔を上げて、ぼくの目を覗き込むようにまっすぐ見つめた。
「……目を閉じて。息は止めないでね。普通に、いつも通り」
言われるがまままぶたを落とす。胴のあたりが温かくなる。それが回された腕だと気付いたけれど、目を開けられない。まぶたがぴったりくっついてしまったように、重たくて開けられないのだ。
きみの呼吸が腕ごしに感じられる。自分の呼吸と重なっていく。
目を閉じているのに、目の前に何かが浮かんでくる感じがした。白くてちかちかするものが動いている。所々、黄色か金色に光っている。二対の白い、ぼくのからだほどもあるそれは、上下に動いている。
頬や脛を風が撫でた。一瞬だけ、身体から重さがなくなる。
白い―きみの羽根は、よりいっそう、大きく羽ばたこうとする。
だけどぼくは、飛ぼうとするきみに逆らうように、自分の身体がどんどん重たくなっていくのを感じていた。どろどろのねばついたものが内臓からせりあがってきて、心臓と肺をおしつぶしていくようだ。のけぞっても身体を縮めても苦しさに逃げ場はない。
いつも通りの呼吸ってどうやるんだっけ。どうしてこんなに苦しいんだ。食べ物も何も、この体には入っていないのに。
無意識に、肩に乗せた手に力をこめてしまった。きみが小さく息を詰める声がきこえて、目を開けてしまう。
そのとたん、翼は消えた。一つの羽も残さずに。
きみが呼びかける声が遠くから聞こえるけれど、同時にやって来ためまいに思わずうずくまってしまう。身体から力が抜けていく。頭から、顔から血の気が引いて、まずい、まずいと全身が警鐘を鳴らす。吐き気が、爪先から頭のてっぺんまでをしびれさせていく。
「ゆっくり息して。ね、エギナル、深呼吸だよ」
きみの手が肩に乗る。とん、とん、と、心臓の早さで指が動く。それでも気持ち悪さが腹の奥に溜まっていく。吐き出すものがないのに、身体が吐き出してしまいたいと叫んでいる。身体の芯がぎゅうぎゅうと内側から圧迫されて、深呼吸をしたくてもできない。
視界にきみの脚が映った。どこにでもいる―にんげんの、脚だ。
「ごめん。ごめんぼく、わがままいったから」
「我儘じゃない」
むりやり顔を上げた。笑えたかどうかは分からなかった。しゃがんだきみの顔は、すぐ近くにあるのに滲んで見える。
「良いって言ったのはぼくだ」
「ううん。……嬉しいときとか楽しいときはずっと上手く飛べるの、だから。……あ、相棒って言ってくれたの、すごい嬉しくって、今なら、って」
「なら、ぼくのせいじゃないか」
「そんなことない! エギナルとなら」
きみは、しおれるように語尾を縮ませた。
羽ばたく感覚はきっとぼくには分かり得ないものなのだろう。今も―きっといつまでも。
いくら分かりたいと願っても、体は思考とは別に動く。アレルギーみたいに体が拒んでいる。
空へ向かえないきみと、土の上ですらままならないぼくとは、似ているようで全く違う。
ぼくは、きみと空を共有できない。
「悪いことした」
「…………」
「ごめん。飛べなくて」
「謝んないで」
でもぼくには、きみが他の誰かと飛んでいるところも想像できなかった。きみの視界を―世界を一番初めに知るのは、きみだけであってほしい。そんな風に思う理由は、頭の中を探しても見つけられなかったけれど。
「出来ることがあれば手伝うから。何だって」
「……なんでもは、難しいよ」
「難しくないさ。できる」
「ぼくは、嫌わないでくれたらそれだけでいいんだ、エギナル」
「そんなの不公平だ」
「え、公平だよ、気にしないで―」
「ぼくは気にするんだよ」
他愛もない話を日が暮れるまですることもきみを嫌わないと約束することも、ぼくにとっては何でもないことだ。でもきみが一番に願っていただろうことは―一緒に飛ぶことは、きっと一生かかっても実現できない。
それなのに。
それだけ、なんて言うなよ。
「……なんでもは無理かもしれない。だったらきみの相棒として、できることは何だってする。できなくても、何かこう……頑張る」
ぼくの無茶苦茶なことばに、きみはあきれたみたいに息をついた。格好つかない自覚はあるけど、もう今更だ。
「頑張っても無理なら、エギナルはどうするの」
「えっ? あー……謝る。きみに。そんで妥協点を見つける。で、もう一回何とかやってみる」
「なにそれ。っふふふ、大人みたい」
妥協点、ときみは繰り返す。ことばの響きが面白かったみたいだ。
ぼくが立ち上がれるようになるまで、きみの指が肩の上でリズムをとっていた。
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