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「もう、またこんなに散らかして!」
不機嫌そうな声に目を覚ますと、トビヒコは頭をかきながら起き上がった。
「あ……。今日って月曜だったっけ」
「当たり前でしょ。どうせ昨日ダラダラしてたんでしょうけど、その結果がこれよ。どうしてくれんの!」
トビヒコは周りの床に目をやる。食べかす、飲み残し、崩れた書類、無造作に置かれたパソコンやタブレット、それに、実験用の様々な機械やパーツ……。
足の踏み場もないほど散らかされた室内は、ゴミ袋が破裂した爆心地のような様相を呈していた。
「悪かったって。後で片付けておくから」
トビヒコがそう言うと、不機嫌そうな女性――ヒナは、手に持ったコードレス掃除機の電源を入れた。
三角巾にTシャツ、その上にエプロンという格好の彼女は、掃除機のスイッチを強にする。
「後じゃない、今! こんなに汚いの、わたしには耐えられないんだから!」
吸引音の大きさに負けないような大声を出すと、ヒナはトビヒコを部屋からつまみ出した。
リビングに追い出されたトビヒコは、背後から上がる「何これ、いつのお茶!」などという悲鳴を聞きながら、疑問を口にする。
「今度は何を読んだんだよ?」
「何でアンタに教えなきゃならないのよ」
テーブルの上に広げられていた漫画が目に入った。あれは確か、ツンデレ妹ヒロインが出てくるものだったはずだ。
なるほど、それでか。トビヒコは一人納得する。
「ヒナ、色々と吸収するのはいいけど、このヒロインみたいなのはかなり特殊なパターンだと思うぜ。もっと別の……タレントが出てる番組とか、コミュニケーションの本とか、職業マニュアルとか見た方がいいんじゃないか」
部屋に向かってそう告げると、ドアの隙間からヒナがにゅっと顔だけ出す。
「……すみません。そういうものとは知らず。トビヒコさんが好きなのかと思いまして」
先ほどまでとは打って変わって、彼女は無機質な声でトビヒコにそう告げる。
トビヒコは、彼女のそばに寄って頭をぽんと叩く。
「場所や時間や、職業に合ったコミュニケーションって、難しいけどさ」
トビヒコはぽりぽりと頭を掻いて、続ける。
「……それでも。俺はヒナに学習して欲しいし、演じて欲しいんだ。君と関わる色々な人間が、楽しく、気持ちよく毎日を過ごせるように。……その時々に応じた人格ってやつをさ」
トビヒコは窓から遠くを見た。ヒナには彼がどうしてそうしたのか、良くわからなかった。
「ヒナ。俺が名付けた通り、君はまだまだ雛だし、ひよっこだ。でもいつか立派な翼を持って、未来という大空に羽ばたいていけるって、俺は信じてる」
「……私は鳥でもなければ、翼もありませんが?」
「ものの例えってやつさ。別に空を飛ぶ必要はない……いや、もしかしたら、飛行機に乗って飛ぶこともあるかもしれないけれど」
トビヒコは窓を開けた。ヒナの肌に、部屋の温度よりも2℃低い空気が、風速2.5メートルで当たる。
彼女の手には、トビヒコが飲み残した230グラムのお茶が入ったペットボトルに、充電が残り21パーセントの掃除機が握られていた。
「ヒナの感じる世界は、人間のそれよりもちょっぴりデータ的かもしれない。それでも、その感性が役に立つ日がきっとくる。……ひょっとしたら将来、誰かの命を救うなんてこともあるかもな」
トビヒコは口角を上げた。
ヒナにはわかった。あれは、笑うという行為だ。
「わかりません。どのような状況で、私の能力が役に立つのか」
「……だからこそ、その可能性ってやつを見つけていこう。近々、人手を必要としている職場に声を掛けてみよう。最初は苦労するかもしれないけれど、ヒナの能力を求めているところはきっとある」
トビヒコはヒナの、人間で言えば瞳がある場所――そこにあるカメラに向かって、微笑みかけた。
「きっとみんなの役に立ってくれよ。世界に一人だけの、俺の最高傑作」
ヒナは、トビヒコの真似をして口角のモーターを動かした。
「はい。こんな言葉はプログラムにはありませんが、ネット上で学習した表現があります。きっと、あなたの期待に応えることができる日が来るでしょう。……みんなが楽しく過ごせて、頼りにしてくれるように、誰かの助けになるように……私は、学習し、演じ続けます」
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