帰宅

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 洗面台に取り付けられた鏡はピカピカに磨かれている。  首を絞めつけているネクタイを外しながら、僕はその鏡に映る自分を何となく見つめていた。 「疲れてるなぁ」  口から零れてきたのはそんな言葉。  自嘲の響きが我ながら感じられた。  ここのところ少しハード目の日々が続いていたから、そのせいなのだろう。  そして、だからこそこんなにも妻が恋しくなったのだろう。  このままあるいは……と、思ったところでふと歯ブラシ立てに立てられた見覚えのない緑色の歯ブラシに気付いた。僕の電動歯ブラシはきちんと洗面台の横に置いた充電器に立てかけられている。本来、歯ブラシ立てには妻の物である赤い歯ブラシ一本だけが立っているはずだ。だが、今は赤と緑の二本が立てかけられている。二人暮らしの家に三本目の歯ブラシ。 「……マジかぁ」  怒りよりも先に絶望感が僕の中に渦を巻いた。  今日だけはこういうのを見たくなかった。  少々の事なら目をつぶろうという気にもなるが、今回に限ってはさすがに見過ごせない。  ゆったりとした夜を過ごしたいのだ。  この歯ブラシについてここで何も言わなかったとしても、心にささくれは残る。  それでどうやってリラックスできようか。  ゆったりとした夜は完全に失われてしまったのだ。  解きかけのネクタイを首に引っ掛けたまま、僕は歯ブラシを手に洗面所を出た。
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