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――女はね、演じる生き物なのよ。
銀幕の中、美しく着飾った情婦が地味な本妻に向けて艶やかに笑う。
情婦は次の瞬間、本妻に頬を引っ叩かれたけれど、彼女の台詞は当時、まだ幼かった私の心を打ち、生き方の道標となった。
物心ついた頃から、しきりに「良い子になさい」という親が煩わしくて堪らなかった頃のことである。
良い子――親の示す言葉は、抽象的すぎてわからない。
じゃあ、他に何を命じられるのかといえば、「片付けなさい」「お行儀よくなさい」「やんちゃをしてはいけない」とかの"大人に都合の良い子"だと、子どもながらにわかっていた。
では、お望みのままに、と"良い子"を演じ始めたのは美しい情婦の台詞に感銘を受けた直後のことだ。私は大人の前では、彼らに都合の良い子どもの役を演じた。
するとどうだろう。まず、いつだって口喧しい母親は声を張ることがなくなり、父親は"良い子"の私にご褒美をくれるようになった。
結構なことだ。彼らの前で演じてさえいれば、後は好き勝手にしても大目に見て貰える。
学校に通い、家族以外の人間と関わるようになってからは、演技以外にも気を配るようになった。
相手、場所、活動に合わせて、服装や髪型を変える。
長い髪って便利よ。髪型ひとつで、印象ががらりと変わるもの。更に言葉遣いや態度も変えれば、親だけでなく皆にとって"良い子"になれた。
敏い子や意地悪な子は私の演技に気付いて、八方美人とか仮面女と揶揄したけれど、大抵は頼りになる人の前でちょっと涙を見せて事情を告げれば、いつの間にか解決するものだ。支援者は悪評を吹聴する人間よりも、"良い子"を大切にしてくれるなんて定石でしょう。
学生時代も社会人になっても、基本はそれでなんとかなれた。
演じることには慣れている。
演じ分けもお茶の子さいさい。どんな役にでもなってみせる。必要ならば、悪女にも不良娘も演じるわ。
だって、女は演じる生き物なら、容姿と言動、態度の匙加減が出来て当然だもの。
相手が望む自分でさえいれば、皆、私にとって都合の良い人になる。
好きなもの、お金、楽しい時間、快い言動、良い知らせ、快適な環境、労力、信用……望めばわりと何でも手に入るし、相手は可能な限り私に尽くしてくれた。
中でもとりわけ私に色々なものをくれたのは今の夫だ。
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