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演じるということ。
それは私にとって、"相手の都合に合わせる"ことだ。
この都合の良し悪しは、相手次第。相手が私にとって価値のある人ならば相手の望む役を演じてあげるし、逆に相手のこと不要と思えばテキトーにあしらうし、不都合な存在であれば、相手に嫌われるような役を演じる。
私に何かを要求する相手がいる限り、私は相手に合わせた役を演じる。
でもね、限界だったのよ。
人前で演じるようになってから、本当にたくさんの役を演じすぎて、"本当の自分"がどうだったかわからなくなってきたの。
だから、子どもが欲しかった。子どもの母親になりたかった。
母親は子どもがいて初めて"成れる"存在で、誰かに求められて演じる役とは性質が異なる。
私から生まれた赤ん坊は、お乳や排泄、睡眠などの本能以外のものを私に求めない。
無垢で無知な赤ん坊ゆえに演技は通じず、その瞳にはありのままの人間の姿しか見えないだろう。きっと、ありのままの私だけしか見ないはず。
私も我が子の前では何を演じることなく、身も心も我が子の母親になりたかった。
それなのに、夫は私に、母親になることだけは許さない。――愛人には子を産ませたというのに。
だからね、夫が私に子どもをくれないのなら、仕方ないと思うことにした。
仕方ないから、いつか、夫の子どもの母親になれないかしら、と夫の愛人の住むアパートを窺って、胸の内で望んだ。
見上げたアパートの一室、レースのカーテン越しには小さな子どもの影が映る。
――あなたの瞳には、私がどんな人間に見えるのかしら?
その夜、私は幼い子どもの母親になる夢を見た。
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