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「全くなーにが横浜生まれの横浜育ちだ。ふざけやがって」
早川がぼやき始めた。そういえば早川は『それだけじゃない』と言っていたか。
「あのオンナは日本人じゃねえよ」
「二世か三世ですか?」
「それも違うな。会話のテンポが妙だった。日本語を理解するまでに時間がかかってる感じだった。恐らく大陸からやって来てそう日は経ってねえだろ」
「それで横浜生まれの横浜育ちって言ってたンすか?」
「まあな。だからわざと〈浜っ子〉の話をしてやったわ。案の定、知らなかった」
「それはハマっ子じゃないわねえ」早川の隣に座る〈ツイッギー松葉〉が突っ込んだ。ツイッギーという言葉どおり痩せて小柄なおっさんだ。いつも乾燥気味の化粧は深夜になればなるほど厚くなっていく。今日は紅白のボーダーのシャツを着ていた。
「〈浜っ子〉?」
「横浜の学童みてえなもんだ。知らねえ奴はいねえよ」
「そうねえ。どうせ嘘つくならもっと上手くつかなきゃ」松葉は呆れたように言った。
「全身サイボーグだし、話は通じねえし。もっと上手くやれっての」
「サイボーグならあたし達だって〈サイボーグ〉よねえ」松葉が琴美に言った。
「お前らは〈改造〉してねえだろ」
「こないだ琴美とあたし、ヒアルロン酸の注射しに行ったの。だから肌がツヤツヤでしょ?」
「そ、そうか?」早川は焦ったように言った。「なにもしなくても綺麗なんだから余計なことはするな」
やっだー! とデカい声と共に早川の肩はバチバチと叩かれた。「痛えって」と言っていたが、聞いてもらえないようだった。
「早川ちゃん!」救いの声がした。
「ジョゼ!」早川はすぐに立ち上がると声の主のところまで急いで向かって行った。赤いピンヒールに黒のロングタイトスカート。漆黒のボブカットに真紅の唇。だが身長は180センチはゆうに超えていた。早川はすぐに背中に手を回し、優雅にエスコートするとカウンターに二人で座ってしまった。
「悔しいけど絵になるわねえ」松葉が残念そうに言った。
「だいたい〈ジョセフィーヌ〉って聞いてすぐに〈ジョゼ〉呼びするんだから。仕方ないわよ」琴美が肩をすくめた。
「本当よねえ。秀実オーナーだってまんざらじゃないみたいだし」
橋下は苦く笑うしかなかった。そんな色っぽい話ではない。オーナーの秀実はこの界隈では情報通である。しかも懇意にしている探偵なる男は裏事情に精通している。それを目当てに早川はやって来たのだ。
恐らく話はしばらくかかるだろう。橋下はしばし癒しの時間を堪能しようと思った。
しばらくすると早川が戻って来て、橋下の肩を叩いた。
「お楽しみのところ悪いが、事務所に戻るぞ。副島と菅原が戻ってくるそうだ」
わざわざ戻ってくるということは、それなりに重要な情報を掴んだということだ。橋下は慌てて身体を起こした。
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