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橋下は二階で丞のそばについていた。その顔をジッと見つめた。眉間に皺が寄っていた。傷口が痛むというよりは悪夢にうなされているに見えた。
丞はそこそこ大きな食品会社に勤めていた。最後に会った時は課長に昇進したと言っていた。特に用事もなかったので、連絡しなくなって何年経つのだろうか。
丞には家族がいた。妻とひとり息子。そして妻の母親と一緒に埼玉に住んでいるはずだった。浮気をしてその相手に刺されたという理由がカタギの丞には一番しっくりくる。だがそれだとこの家まで来た理由が分からない。確かに妻にバレたくないというのもあるだろう。しかしそもそも正月からそんなことになるだろうか。
橋下は顔を歪ませて眠る弟を長い間眺めていた。
丞は一度目を覚ましたが、薬を飲んでまた眠りについた。何か言いかけたがその苦しそうな表情に、橋下は「今は無理しなくていい」と言って薬を飲ませた。
そして「ありがとう」と呟くとすぐに丞は眠っていた。兄の顔を見て安心したのかもしれない。今度は苦しそうな顔をしておらず、気持ちよさそうに寝息を立てていた。
橋下はそれを確認すると、煙草を吸うために階下に降りてきた。
「──弟さん、目を覚ましたんですか?」
火をつけるとすぐにそう声がかかった。
「ああ、悪い。起こしたか?」居間を覗くと、木崎が布団から頭を出していた。
「いえ、どうせ眠れませんから」
そうか、橋下は小さく呟いた。
「その、悪かったな。正月から呼び出して」
「それは大丈夫です。マ……田口に代わりを頼んできましたから」
田口? 新しい構成員が増えたのだろうか。紅玉組は木崎と道重だけと聞いていたが。
「それより弟さんは何か?」
「いや。まだ聞ける状態じゃねえ。すまない」
「いえ、無理に聞くのもなんだなって思ってましたから。今はまだ怪我を治すのに専念してたほうがいいかもしれません」
「痴情のもつれならいいんだがな。向こうは地獄だろうが俺には関係ない」
「それはそうですね」
そう言うと木崎は口を噤んだ。何か考えているようだった。そしてゆっくりと口を開いた。
「──でもそうじゃない可能性が高いってことですね?」
橋下は顔を上げて木崎を見た。そういうところに頭が回る奴だったと思い出す。
「俺の杞憂だといいがな」
「事務長さんの勘は外れないでしょ?」
橋下はそっと木崎から目を逸らした。煙草を灰皿に押し付けた。もしかしたら自分が絡んでいるのかもしれない──その考えはずっと頭の片隅にあった。
「それより木崎。なんつー寝方してンだ?」さっきから首から下が微動だにしないことを不思議だと思っていた。
「動こうにも動けないんですって」
そういえばあの二人はどうしたんだろうか。橋下は木崎の寝る布団の足元をそっと覗いた。木崎の両隣にはピタリと身体を寄せた二人の姿があった。
「まあ、あったけえンじゃねえの」橋下は笑いを堪えながらそう言った。道重は背中をピタリと木崎にくっつけていて、菅原は木崎の脇の下に潜り込むように丸まっていた。
「大型犬と猫に挟まれてる気分になります」
「そうだな。まあ、辛抱しろや」
「事務長さんも無理しないで下さい」
「ああ。大丈夫だ」
橋下はそう言って階段を上がって行った。少しだけ気持ちがほぐれていた。木崎には間違って電話をしたが、むしろそれで良かったかもしれないと思い始めていた。
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