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私は暗闇の中、脇に隠れて息を潜めていた。その視線の先で男は一人カウンターに座っていた。男はがっとグラスを掴むとそれを一気に仰いだ。
「っだあ゛ぁー、あのクソ上司ぃ」
その男は仕事終わりのためか既にスーツを着崩しており、叩きつけるようにグラスをカウンターに置くと上司への愚痴をこぼした。
「お疲れみたいですね、サラリーマンさん」
「あん?なんっ」
男が振り返るとそこには艶やかな雰囲気を醸す美しい女性が立っていた。
「いやっ、仕事がなかなか上手くいかなくて、恥ずかしいところを見せていまいました」
男がそう取り繕うように言うと女性は首を振った。
「いいえ、仕方ありませんよ。人間は誰だって人前では本当の自分を隠し、窮屈な思いをしながらもしっかりとした姿を演じるものです。私だって人のことは言えません」
男は座る自分と目線を合わせ、前屈みになる女性に思わず唾を飲み込む。
「あなたも本来の自分を隠していると?」
「ええ、気になりますか?」
男が頷くと女性は一度を微笑み、その直後、猟奇的な笑みを浮かべた。そのあまりの変化に男は慄く。
「フフフ、食物連鎖の頂点に立ったつもりでいるの人間どもは本当につまらない悩みを抱えているのね」
「ど、どうしたのですか?」
困惑する男に女性は続ける。
「私はニンゲン喰ライ。人間に擬態し、油断を誘って捕食するもの。自分たちは弱肉強食と無縁とでも思ったか?思い上がったな、人間!」
静寂が訪れる。私の頬を冷や汗がつたった。
「……はっ」
「……?何がおかしい?」
突如本性を表した女性を男は鼻で笑った。
「思い上がっているのはお前たちだニンゲン喰ライ」
「何ですって?」
男の様子の変化にニンゲン喰ライは困惑する。
「お前たちが沢山の人間を喰らってきたことは知っている。なんせそれによって人間はほぼ絶滅したのだからな。そして新たにお前たちを捕食する存在が現れた」
「そんな、まさかっ」
「俺様はニンゲン喰ライ喰ライ。先進国の出生率の低さを見誤ったなニンゲン喰ライ!」
再び静寂が訪れる。私は頭を抱えた。私の視線の先ではニンゲン喰ライとニンゲン喰ライ喰ライを演じる劇団の仲間の顔に焦りが生まれているのがわかる。
一切反応しない観客たちを隠れ見ながらどこで間違えたのかと私は考える。ストーリーが分かりにくかったか?もしたかするとそれ以前にストーリーが不出来だったのかもしれない。
たとえそうだとしても今更こと演劇を投げ出すと言う選択は私にはない。例えどんな結果を迎えても最後までやり切ってやる。
私がニンゲン喰ライ喰ライ喰ライとして登場するまで残り30秒。
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