妖精と躍る

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 お団子に結った白髪。細い眉と年相応の皺が刻まれた顔。重たそうな紫のローブ。半透明の大呪術師ディアドラが、本の表紙をステージにくるりと回った。「どうもー」 「ああ、あ、どうも……」  本を手にした者の前に、彼女は気紛れに現れる。彼女の残留思念だとか、モーナが本にかけた「幻影(スコル)」の呪文だとか、正体は諸説ある。  ……「ちゃんとご飯食べてる?」といきなり登場する近所の世話好きなオバちゃんだと思えばいい。逆らわず、我慢して話を聞いてれば、じきに本へと帰ってくれる……。  彼女に会ったことのある同僚が、遠い目をしてそう呟いていたのをライグは思い出した。 「お前、名前は?」 「ライグ・フィニアンです」 「おお、聞いたことがある。足の巻き爪くらい内向きで、口下手で、辛気臭い三十男」 「……」 「思慮深く、控えめで、物静かな鉱石学教授」 「できればそちらで」  呪術師の半透明の杖が、ライグの後ろの黒板を指した。 「はい、チョーク持つ」 「え?」 「呪術師の素質を見る」 「ないですよ。昔、確かめて……」 「はい、チョーク持つ。今から書く呪文に反応する人間は、素質がある。はい、A、S……」  ――黙って言うこと聞いてれば、じきに……。  ライグは小さく息を吐き、白いチョークで言われた通りの文字を書いた。 「頭の奥がピリピリする?」 「いえ」 「羽毛で顔を撫でられた感じは?」 「全く」 「手のひらが痒い?」 「全然」 「素質はないね」  苦笑いしたライグの顔を呪術師が覗き込んだ。 「そのしょぼくれた顔。さてはお前、悩みがあるな?」  ライグはできるだけ早い呪術師の帰還を促すべく、答えた。「ないです」  呪術師は挑むような視線を彼に向けた。 「悩みがない? 人は悩む生き物ぞ? あるはずだ。金か? 恋か? 職場の人間関係か? 水虫か? 人間、悩むと言ったらこの四つ」 「水虫?」 「ああ、『健康』の間違い。改めて訊く」呪術師は軽く咳払いをした。「金か? 恋か? 職場の人間関係か? 水虫か? ……はい! 恋だな。恋の言葉に瞳孔の拡大あり」 「今……何かの取り調べですか?」  これ以上下手に誤魔化すと、もっと面倒な尋問に突入しそうな気配がする。ライグは諦めて、真実をだいぶ薄めて口にした。 「恋じゃないです。ひと月前、おれの安易な発言で、学生が呪術学の講義に出席するのを止めてしまった。素質がある子だったのに。モーナ教授にも申し訳なくて」 「詳しく話せ」  脳裏に揺れた彼女の顔が、細い蔓のようにライグの首をきゅっと絞めた。「まあ、それは」
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