愛と恋の違い

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愛と恋の違い

 「愛と恋とは全く別のものだ」  そういう言葉を私が初めて聞いたのは、確かテレビでした。文脈の前後はよく覚えていませんが、確かタモリさんが仰っていたと記憶しています。  当時の私にはこの二つの違いなどさっぱり分からず、そもそも恋をしたことがあったのかどうかさえ怪しいところですが、現在の私ははっきりと別物であると意識しています。  この二つについてそれぞれ一言で言い表すならば、「愛は愛着」、「恋は発情期」というところでしょうか。  動物のドキュメンタリー番組などでナレーションの方がよく「恋の季節がやってきました」というような言い回しをされることが多いかと思いますが、あれはつまり発情期のことですね。人間の場合、発情期という期間はありません。なので私はその代わりに「恋」という状態が存在しているのだと考えています。  小説でそれぞれを分かりやすく表現しているものとしては、「恋」は森見登美彦著の「太陽の塔」、「愛」はサン=テグジュペリ著の「星の王子様」でしょうか。  「太陽の塔」の最初の方で「どいつもこいつも熱病に罹っていやがる」というような文言があったように記憶しています。日本語の表現でも「恋煩い」というものがあるように、「恋」というものは病的な、あるいは通常ではない異常な状態になることを指すと言えると思います。  対して「愛」というものは通常状態で常に存在し、あるいは「愛」という異常な状態に半永久的に変化して、以後元に戻ることはないものと考えています。それを以下でどうにか示したいと思います。  「星の王子様」の中で、王子様は自分の星で一輪の薔薇と生活していました。この薔薇は自我があって会話することができます。王子様はある時この薔薇と喧嘩をして、それが引き金となり星を飛び出すことになります。その後王子様は地球に辿り着いた時、薔薇園に興味を持ち、入ってみることにしました。そして衝撃を受けます。そこには自分が共に暮らしていた薔薇と同じものが大量に咲いていたからです。自分が大切にしていたものが特別なものでなく、ありきたりなものであるということにショックを受けた王子様のもとに、これまた喋る狐がやってきます。狐は落ち込む王子様の話を聞くと言います。「あの薔薇園には本当に君の薔薇と同じものがあったのかい」  その言葉を聞いた王子様は再び薔薇園に入っていきました。そして帰ってくると顔を輝かせて狐に言うのです。「あそこには沢山の薔薇があった。でも僕が水をやり、虫を取ってやり、風で散らないようにガラスのカバーをかけてやったあの薔薇はあそこにはなかった。あれは僕の薔薇だ。大切な僕の薔薇だよ」  長々とネタバレをしましたが、幾つもの寓意が混み合った「星の王子様」において、このエピソードが「愛」について表現されている部分だと思われます。それについては、数年前の話ですが、「しくじり先生」というテレビ番組で、オリエンタルラジオの中田さんも解説されていました。因みにその時中田さんは、「愛」とは「それにかけた時間」だと仰っていましたが、正確には少し違うと、若輩ながら私は考えています。  さて、この「星の王子様」のエピソードを愛を表現したものであると解釈するならば、王子様は喧嘩別れして随分経つ薔薇に対して、変わらず「大切だ」と認識していることになります。この薔薇は結構わがままで、王子様にあれをしてくれなきゃ枯れてしまう、これをしてくれなきゃ枯れてしまうと注文を付け、その癖お礼も言いません。それで喧嘩して別れたというのに、王子様の中では大切なもののままなのです。つまり王子様は薔薇に対して愛情を持ち続け、変わることがなかったということです。  いやいやそれは作り話でしょ。実際はそうじゃないよ、という方もいらっしゃるかもしれません。けれど愛には「永久(とわ)の愛」という言い回しがあります。恋にはありません。恋は例え百年続いたとしても冷めるのです。  他にも「愛」と「恋」の違いはあります。「恋」は基本的にいわゆる恋愛関係においてのみ使用されますが、「愛」は家族間、親子間、あるいは友達との間にもあります。それぞれ「家族愛」、「親子愛」、「友愛」ですね。これらと「恋」との違いは、相手の欠点が見えているかどうかです。 「恋は盲目」で「痘痕(あばた)(えくぼ)」といいますが、これらは欠点を見ない、あるいは欠点を欠点と認識できないことを指します。「愛」では言いません。では、対して「愛」の特徴はというと、例えば親子愛、特に親から子への愛において如実に現れることと思います。  自身の子どもが犯罪を犯し逮捕された時、著名人の方の場合は世間からバッシングを受けたりします。その時親は子どものために泣きながら頭を下げ、必ず罪を償わさせますと言うのが常だと思います。基本的に、お前なんかもう知らん、と突き放すことはありません。あるいは反抗期の子どもから「大嫌い」と言われたとして、その瞬間はイラッとしたとしても、じゃあこっちも嫌いだよ、と言うことはないと思います。良いところも悪いところもそれぞれ分かった上で、それでも一緒にいるというところに「愛」はあるのです。  ……こんな当たり前のこと、何だか自分でも恥ずかしくなってきました。既に食傷気味ですが、せっかくここまで来たのですから、食せるとこまで食してみましょう。  次からは「愛」というものが具体的にはどういうものを言うのか、それをジャン・ヴァルジャンに教えてもらいたいと思います。
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